正に小学生時代からの「夢・希望・念願」であった「ローマ」を旅することができました、まさか実現するとは思いもよらぬ事でした。例によって14日間の旅、ローマの街の隅々まで見て歩いた詳細はすべて「カット」 ケネディ関連の事のみご報告致します。

生来いわゆる「旗振りツアー旅行」と言うものは大嫌いな私、実現の見通しがたった時点で早速ネット上で旅の計画を考え始めました。当然ながら「ケネディとローマ」についても探し回りました。 ケネディはローマを訪問した事はあったのかしらん?あれだけカソリック問題で傷めつけられたのだから、世論を逆撫でするようなローマには行ってないのでは?等と思いながらネット検索を初めて最初に出会ったのが何と「ザ・ケネディホテル」不思議な事に旅程も決まらない内に「宿泊ホテル」が最初に決まるという珍現象でした。それも、幸いな事に日本人が大好きな「超高級ホテル」ではなく、交通の便も申し分のないテルミニ駅近くの極々一般的な小さなホテル、私のような貧乏旅行には最適の宿だったのです!(正直日本の普通のビジネスホテルよりズ〜ット安いのであります)ローマ滞在7日間、寝る時間以外でホテルに居たのは20時間に満たない程、清潔でありさえすれば関係ない事です。応対もよく、これを読まれた「ケネディスト」以外の方にも自信を持ってお勧めできるホテルです。(何も貰っていませんので悪しからず)ただフロントマンに名前の由来を訊ねたところの答えが「さー?解りません」との答えが残念ではありました、しかし得意げに名前の由来をとうとうと喋られてもイタリア語ではネ(笑)
ケネディとローマ
さてケネディは大統領としてローマを訪ねた事は有るのでしょうか?答えは「イエス」です。1963年7月1日公式に訪問しています。この事を見つけたのはやはり「ライブラリー」のアーカイブでした。特に訪問自体は「歴史的エポック」でも何でもなく、扱いは地味で探すのには苦労しました。訪問場所として「ローマ市役所」「無名戦士の墓」「クイリナーレ宮(大統領官邸)」「コロッセオ」「ノースアメリカン神学校」が紹介されていました。やはり大統領としてバチカンを訪ねて法王との謁見は躊躇したのでしょうか、アーカイブでは確認できませんでした、それに63年7月と言えばヨハネ23世が死
去して間もなくでありパウロ6世が即位した半月後の事でもあり遠慮したのかも知れませんが真相は不明です。旅の計画の中に「ローマ市役所」「無名戦士の墓」「クイリナーレ宮(大統領官邸)」「コロッセオ」は当然の事のように組み込みました。これが「旗振りツアー旅行」では絶対に出来ない事なのです。「ローマはどこに行ったの?」の質問に「市役所!」と答える日本人は皆無でしょうネ(笑)
「無名戦士の墓」は探すのに苦労するかと思ったのですがローマ観光の定番中の定番「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂」の一角にありました。この二か所では、いやがる家内に命じて同じ角度・同じポーズで写真を撮らせました。
(上2段ローマ市役所 左がケネディ訪問時、右が今回の写真。3段目は無名戦士の墓に向かう階段にて。階段を昇る写真は人混みで一杯でしたので写真修正で周りの人を消しました。(笑)4段目右が クイリナーレ宮(大統領官邸))左が「ノースアメリカン神学校」です。
「クイリナーレ宮」「ノースアメリカン神学校」は当然な
がら中に入る事は出来ませんでした。ただしクイリナーレ宮は曜日時間指定の事前予約で内部に入れるとの事、後日ここのホームページで知りました。

今回の旅でケネディ関連で行ってみたかった場所が右白黒写真の撮影場所です。1939年ケネディ22歳、ヨーロッパ旅行の時ローマで撮影された写真の場所に行ってみたかったのです。この時には正直現地添乗員さんでも居ればな!と思いました。この写真で場所を特定できる人はざらには居ないでしょう。
ホテルの方や警察官の方数人に聞いてみたのですが残念ながら特定できませんでした。まっ家内の冷たい視線が気になってしまったのも事実ですが。(笑)

ローマ土産もケネディ
ローマ滞在中のある日、家内の希望で「ご近所さんや友人」への恒例のお土産探しに街を散策していた時の事でした。
私は全くお土産には興味がなく、家内のお供然としてくっついて歩いて居たところ、とある玩具屋さん(たぶん)のショーウインドウに目が釘ズけになってしまいました。歴代のアメリカ大統領のバブルヘッド人形が陳列されていたのです。製造販売 Royal Bobbls LLC. とありイタリア製では無さそうですが、そんな事はどうでも良い事、早速店内へ入ると当然我がケネディも居ました。迷うことなく購入、ローマのお土産が「ケネディ人形」とは!まっ、私らしくて良いのでは!と納得したのであります。