弾道解析・単発説批判の続編です。ここではウオーレン委員会証拠物件399号を詳しく紹介する事によってウオーレン報告書の”嘘”をあばき、さらにかつてこのページでは触れることのなかった証拠物件567号と569号にも触れることによって「銃弾謀略説」を紹介します。 魔法の銃弾 弾道解析の項目において、ケネディ大統領とコナリー知事の銃弾に対する反応の「時間差」の問題、さらにケネディ大統領の遺体が証明する「高低差」の問題、さらには銃弾は大統領の体を貫通していなかったとする「非貫通の証拠」の存在。を説明してきました。これらの事は、大統領の背後にはもう一人の狙撃者がいたかもしれない事を指摘するに十分であったし、大統領とコナリーを傷つけた銃弾は一発であったという委員会のいわゆる「単発説」が、起こるはずのない事と思わせるのに十分であった。特に、単発説にたいして少しでも疑問をなげかける人々にとって、”起こるはずがない”という推測を”絶対に起こらなかった’という確信に高めたのは二人を撃ったとされる銃弾の状態であった。ウオーレン委員会「証拠物件399号」がその銃弾である。人はそれを”魔法の銃弾”と呼んだ。 ご覧のように銃弾はまるで射撃前のものの様である。記録によると次の事が明らかに成っていく。つまり、仮に一発の銃弾が委員会の主張するような弾道をとり、それでも銃弾自体がさほどの損傷も受けずにいられたかどうかの問題を一応無視したとしても、FBIの専門官ロバート・A・フレイザーの証言では、銃弾399は「きれいで」その表面には血糊も肉片もなにも付着していなかったのである。さらに銃弾399は158.8グラムの重さがあった。フレイザーは適当に選んだ同種の銃弾の重量を調べてみたが、399は、ほんの少し0.15グラム程度、「軽かった」。しかし、この程度は生産過程で通常起こりうる差でしかなかった、従って、フレイザーは「この銃弾の目方が少ないのは必ずしもそれが使用されたためとは限らない。」と証言している。1969年にニューオリンズでのクレイ・ショー裁判で、彼は399はその弾底が少し押しつぶれている以外は「実質的には原型のまま」だったと証言している。 銃弾というものは、誰かさんの女房のようにダイエットで体重を減らすようにしてその重さを減らすのではない。銃弾は命中時の衝撃でその一部が跳ね飛ばされて重量を減らすのである。つまり、問題の要点はこうである。コナリー知事の手首に当たったのが何であろうと、それは彼の骨を粉々に砕いていたのである。証言を求められた全員の医者が399があれだけの傷を与えておいて、なおかつあれだけ完全に近い形をとどめていられるはずはない、と証言しているのである。しかも、銃弾399の底からなくなったと思われるわずか0.15グラムよりもずっと多くの重量の金属片がコナリーの手首から検出されているのである。委員会顧問スペクターは399をヒュームズに見せながら言った。「この証拠物件399の銃弾を見てください。ヒュームズ博士、この銃弾がコナリー知事の右手首に傷を作ったものだとお考えになりますか?」ヒュームズは答えて、「おそらく有り得ないことだと思います。この銃弾が、大統領も含めて、コナリー知事の傷のどれ一つとして作り得ないはずだと考える理由は、この銃弾がほぼ原型をとどめているからです。条痕さえ私にはきれいすぎるように思いますし、二人の体に破片を残した銃弾だとは全く考えられないのです。」。検視に立ち会った法医学者のフィンク大佐やパークランド病院でコナリー知事を治療したショー医師もヒュームズとまったく同じ反応や意見を示している。事実知事の手首が大きな問題であった。そこで委員会は実験を繰り返したのだが、その結果は委員会の思惑に反することばかりが明らかになった。兵器庫の施設をつかって弾道実験は繰り返された。銃弾は何発も解剖用の死体の手首に撃ち込まれた。その銃弾はひどくつぶれて、先の方がほとんど平らになっていた、そのうちの一つが委員会証拠物件856号として公表された。399と比べると驚くばかりである。(左下写真) コナリーの体内にあったとされる金属片や形も崩れずしかも血糊もつかない銃弾、つまり399号がコナリー知事の手首の傷の原因であるとは思えないという、証人全員の証言があったにもかかわらず、ウオーレン報告書は結論として、破廉恥にもこのように記す。「すべての証拠によって知事のストレッチャーで発見された銃弾が彼のすべての負傷の原因であったことは間違いない。」と この文章は報告書の中で公開された真っ赤な嘘の一つである。この銃弾関連の証言のなかで、もう一つ証言記録を歪めている部分がある。コナリー知事が一発の銃弾で撃たれたであろうと思うことは、ごく普通の仮説であるが。この件に関してショー医師は委員会で、一発の銃弾がコナリーのすべての傷(胸の銃創・手首の銃創・足の傷)の原因だと思うか?との質問にこう答えている。「確かではありません!」。にもかかわらず報告書では、「ショー医師の証言によると、一発の銃弾が、コナリーの胸を通り抜け、手首を砕き、左腿に当たり、そこから落ちた。」と。 私の知人に裁判所に勤務する人物がいる。いまから15年前位になるだろうかその人物と酒を飲む機会があり四方山話にはなを咲かせていたとき私はフト次のような質問をしてみた事がある、当時私はケネディ暗殺事件の虜となり自分の時間のほとんどすべてをいろいろな記録の整理にあてていた。「検察側の”起訴状”というのか、要するにこいつが犯人だ!と指摘する裁判所あての書類の中に、重大な誤りや、裁判官が見て有り得ないことや、学問的に有り得ないことがあった場合にはその裁判はどうなるんだい?」彼は答えて「まず、まちがいなく無罪になるだろうね。」「誤りがたった一つでもか?」「程度にもよるが、無罪になるだろうな。」私は、ケネディ事件の場合とは断らずに、架空の殺人事件を作り出してそのなかに”魔法の銃弾”をおりこんで聞いてみた。彼の答えはこうであった「そんな起訴状を書く検事は日本にはいないよ。それってケネディのことだろ、くわばらくわばら・・・・・・」それっきりその話には乗ってこなくなってしまったのである。彼は”魔法の銃弾”のことを知っていたのである。しかしなぜ「くわばらくわばら・・」なのであろうか、いまだもって謎である。この事は、少なくともウオーレン報告書を容疑者オズワルドに対する検察官の起訴状として捉えた場合、すくなくとも日本では無罪に成るであろう事を強く示唆している。陪審制度のアメリカにおいては検察官の弁論技術によって多少は陪審員の心証を変えることができるとしても無罪の可能性のほうが高いのではないだろうか。かつてクレイ・ショー裁判でジム・ギャリソンは法廷でこの魔法の銃弾を論じている。結果はクレイ・ショーは無罪にはなったが陪審員たちはこう言っている、「確かに疑問は多いと思う。しかしクレイ・ショーが犯罪に荷担していたことに関して我々は無罪の表決をしたのだ。それが、この裁判のテーマだからね。」と。 発見の謎 さて、さきほど、なにげなくウオーレン報告書の記述として、「知事のストレッチャーで発見された・・・・」との記述を引用したが、これとても事実と相違する可能性を否定できないのである。事件当日の午後1時頃、パークランド病院の機械担当のダレル・トムリンソンは救急室のある地下と手術室のある上階との間のエレベーターを作動していた。地下のエレベーターの入口近くに四輪のストレッチャーが二台壁際に置かれていた。その中の一台は、コナリー知事を運んだストレッチャーで、トムリンソンが少し前にエレベーターから運び出して、もとからあったもう一台のストレッチャーの横に並べておいたものである。トムリンソンはよく覚えていないのだが、「インターンだったか、先生だったか」が、エレベーター近くのトイレに入っていった。その時だったが。「その人はトイレに入る為にストレッチャーを壁から少し離していきました。出てくると、そのまま歩いて行ってしまって、ストレッチャーを元に戻しませんでした。そこで私は、そのままではエレベーターの前が歩きにくくなるので、歩きやすくする為にストレッチャーを押し戻したのです。壁にぶつかるまで。すると一発の銃弾だか薬莢だかが転がり落ちました。明らかにストレッチャーのマットの端にひっかかっていたものだと思います。」魔法の銃弾の発見者である、トムリンソンの証言である。 証拠となった銃弾の外見上の状態やこの銃弾に対する医師達の反論とがこの銃弾への疑惑を深めていたはずであるにもかかわらず、アーレン・スペクターの関心事は、銃弾が見つかったのは二台のストレッチャーのうちどちらの方から?であった。その銃弾が”なぜ”ストレッチャーの上にあったか?ではなかった。「単発説」が、ともかくも有効な説である為には、銃弾はコナリーのストレッチャーにあったはずである。知事の方が大統領よりも後から撃たれたのだから。トムリンソンに対する証人喚問でスペクターは執拗にこの質問を繰り返している。しかしトムリンソンは屈しなかった。彼は最後まで「銃弾は知事が使用したストレッチャーではなく、もう一つの方にあった。」と主張したのである。もし、このトムリンソンの主張が正しければ、銃弾399が「ケネディ暗殺の謀略の道具の一つ」であることになる。そうでなければ、どちらの被害者にもまったく関係の無いストレッチャーの上に、暗殺に使用された凶弾が存在する訳がないからである。 三つの銃弾はカルカノから発射された。 実は、この事件で発見された銃弾は399だけではなかった。大統領専用車の床から、明らかに使用された銃弾の破片が二つ発見されている。証拠物件567と569である。一つは銃弾の先の方でもう一つは銃弾の底の部分の破片である。魔法の銃弾399と、この二つ。都合三つの銃弾が”凶弾”としてウオーレン委員会が認定しているのである。しかし、銃弾399とこの二つの銃弾には決定的な違いがあるのである。それは、これらの銃弾が”いつ、どこで発見されたか?”という問題である。前述のように399は病院のストレッチャーの上で11月22日午後1時頃発見されたのであるが、この二つの銃弾は、事件後ワシントンに空輸された”大統領専用車の中”で11月22日の夜10時頃に発見されたのである。当時、混乱の中パークランド病院の中は比較的警備は手薄で誰でも自由に出入りが可能であった、実際ジャック・ルビーも病院内で目撃されている。ところが、大統領専用車は事件直後から終始シークレットサービスの監視下に置かれていた、その為に誰もその近くに寄ることもできない状態であった。したがってこの二つの銃弾の破片を何者かが意図的に専用車の中に置くといった事は不可能であったのである。 さて、皆さんは線条痕もしくはライフルマークという言葉をご存知でしょうか。銃器から発射された銃弾にはその銃器特有の条痕が残されるのです。いわば銃弾に残された指紋のようなもので同一のものは絶対に存在しないといわれ、銃弾がどの銃器から発射されたものであるのかを特定する極めて有力な証拠となり得るのですが、この、都合三つの銃弾は、明らかに、ウオーレン委員会において「暗殺に使用された凶器」とされたカルカノ銃から発射された事が断定されているのです。ここにきて問題が少しややっこしくなってきました。人間に傷をつけたとは思われない銃弾399と、明らかに使用された銃弾567と569。そしてこれらの銃弾はカルカノ銃から発射された銃弾。委員会の結論に批判的な人々は困惑を隠せなかったのである。なかには399は別として、この証拠物件567と569こそがオズワルドの銃がケネディを狙撃するのに使われたことを示す確実な証拠である、とする人々も現れたのである。たしかに、この二つの破損した金属片は「使用した銃弾」として見ることはできる、しかし銃弾の一部が潰れているからといって、それが暗殺時に発射されたものであるのかどうかは解らないのである。ただ銃弾が何か固いものに撃ち込まれたことだけを意味しているのではないのだろうか、そしてその固いものの可能性の一つとしてケネディなりコナリーの体があるのであって、決して断定は出来ないのである。この事によって、399と二つの銃弾片が”ケネディ暗殺の謀略の道具”としての役割をはたしたとしたらそれはいったい何であったのか、という疑問に行き当たるのである。つまり、誰かが399を明らかに原型をとどめるような状態のままで謀略の道具に使ったとしたら、一体なぜかという疑問である。私は、次のように考える。教科書ビルで見つかった狙撃者の巣。積み上げられたダンボール箱と窓際に整然と並べられた空薬莢、そしてライフル銃,これらのものがすべて単純に用意されたもの。つまり、偽りの犯行現場なのではないのだろうかと。(これらの疑問に関しては以前アップした項目のなかで、オズワルドが犯行に携わった事に対する疑問の形で触れている。”暗殺者の巣作り””発見されたモーゼル銃”等などの項目を参照して頂きたい。)この事は、銃弾が謀略の道具として使われた可能性を考えるにあたっての出発点を「見つかった」銃弾ではなく、「見つかった」ライフル銃とすべきであるといった考え方に基ずくものなのである。 テキサス教科書倉庫ビルで見つかったとされるカルカノライフルは、果たして実際の犯行に使われたものなのであろうか?もしそうでないとすれば、三つの銃弾はすべて謀略の道具ということになる。しかし、逆にカルカノライフルがやはり大統領を撃ったものであるとするならば、今度は謀略の為の道具などというものは全く必要なくなるはずである。この考え方には中間的な考え方が存在する。つまり、オズワルドのライフルは実際の狙撃で使われ、しかも、オズワルドに罪を負わせるために使われた、その上、オズワルドの銃から「実際に」発射された銃弾が発見されなかった場合に備えて、まったく破損していない条痕のはっきりした銃弾をストレッチャーの上に置いた。というものである。 どちらの考え方をとるにしても、この二つの考え方には大きな問題が存在することは事実である。その問題は二つある、一つは謀略の道具として人々の目に触れるように置かれた銃弾の一つが全く完璧な形をしていて、暗殺に使用されたものとして病院のストレッチャーの上に置いたとしたら、高度な謀略には、まったく程遠い悪戯に等しいものであるということである。さらには、”謀略の道具”としては銃弾567と569の二つで十分であり399は正に[余計」なものでしかない事である。どのような陰謀であろうとも「余計な」ものは絶対に不要であるはずにもかかわらず。しかし、現実にはこんな児戯にも等しい、全くの嘘っぽい銃弾が”凶弾”と認定されたのである。二つ目は、実際に使用され大統領や知事を傷つけた銃弾が、残らない保証はない事である。万一、二人の体の中や専用車の中、もしくは流れ弾などで、実際に使用された銃弾が発見されたとしたら謀略者たちにとって極めて都合の悪い事態となってしまうのである。そこで、私は、二つの銃弾の破片が発見された時間に注目する。前述のように、この二つの銃弾が専用車の中から発見されたのは22日の夜10時である。パークランド病院でシークレットサービスが専用車を封鎖したのが中部標準時午後1時である。なんとこの間10時間たっているのである。(発見時間は東部標準時)いくら大統領専用車が大きいとはいえ、たかが車一台のなかから証拠物件を検出するには輸送時間を差し引いたとしても時間が経ちすぎていると思うのは自分だけであろうか。しかも大統領の検視がベセスタで開始されたのは、22日の午後8時である。10時の段階ではその検視作業は山を越えていた時間帯にあたるのである。 さらにまた、もしこの銃弾が三つとも偽物であったとしたならば、本当の銃弾は一体どうなったのであろうか。私は銃弾が偽物であった事が、大統領の遺体のレントゲン写真や検視写真が委員会に提出されなかった理由なのではないだろうか?と思うのである。 |