事件発生の時刻は11月22日午後12時30分であることはあらゆる証言からして正確である。この事件直後の警察官の動きは実に敏速であった。ちなみに事件発生直後の12時31分にはマリオン・ベーカー巡査が教科書倉庫ビルに飛び込んでいっている。そして2分後にはビルの2階でオズワルドと対峙しているのである。さらには、ダラス警察のハーバート・ソーヤー刑事部長が現場に到着して現場に「司令部」を設置したのが12時35分とされている。裏返して考えてみるとこの極めて迅速な行動には”早すぎる”イメージさえ付きまとうのである。ダラス警察のこの迅速な行動は何故だったのであろうか。さらにはこの事件直後の45分間にいったい何が現場で起こり、”暗殺者の巣”と呼ばれた6階では何が起こっていたのであろうか、ここでは”偽りの犯行現場説”に触れてみたい。

無線記録

ウオーレン委員会は、「倉庫ビルから銃を撃っている人物を見た。」と発言した目撃者達を数人喚問している。しかし、彼らの証言のほとんどは事件後、数十分してから初めて警察の手に入った情報の提供者が多かった。しかし、警察は非常に早く建物になだれ込んでいるのである。その間の経過を記録したものが存在する。それはダラス警察の保管する無線記録である。この無線記録からの書き起こし文書は三つ存在する。一つはダラス警察の速記録でありこの文書は”ソーヤー物件”としてウオーレン報告付属文書にも掲載されている。二つ目はFBIのもの、これは委員会証拠物件1974号である。さらにはシークレット・サービスの速記録CE705号で、ジュディス・ポナーの著作「ある殺人の調査」の中で公表されている。無線交信記録テープそのものは一本しかないが混乱と録音状態から、これら三つの書き起こし文書には微妙な違いがあるが、ここでは基本的にFBI速記録の記述を使用している。
マリオン・ベーカー巡査が狙撃から1分以内に教科書ビルに飛び込んでいる、そしてビルの二階でコーラを飲みかけているオズワルドと接触しているのであるが、この事はページでも再三触れているので重複しないが。なぜこんなにも早くベーカーがビルに注目したかについては触れていないので記すと。彼の証言によると、モーターゲードの護衛担当であったベーカーは「銃撃の直後、教科書倉庫ビルの屋上から鳩が飛び立ったのを見て、銃撃はこのビルからと判断した。」と述べている。このことは事実であろう。しかし彼は警察本部にこの事を連絡していない。その直後の12時34分に無線番号136号ロバート・ハージス巡査からの交信が最初のものである。それによると「通り過がりの男が、銃撃はテキサス教科書倉庫からだ、と言っています。」本部の交信相手は答えた。「話をよく聞いておけ。」
次の交信はその直後12時35分にあって、無線番号142号クライド・ヘイグッド巡査がしている。「ここに立っている男と話をしたのですが、ハーツ・レンタカーの看板が屋上にあるテキサス教科書倉庫ビルから撃っていたと言っています。」本部は答えて言った。「その男の氏名、住所、電話番号を控えておけ。他に何でも知っている事を聞き出すんだ。」それから二分後、ヘイグッドは信号を送って、こう交信している。「この建物、テキサス教科書倉庫ビルに何人か送って寄越してくれ。撃ったのはここからだと思われる。エルム通りからだと、建物に向かって右上の角、端から二番目の窓だ!」ヘイグッドのこの交信は12時37分よりもすこし前になされていたが、この時点ですでに犯人がいたとされる窓の位置を、ほぼ正確に特定しているのである。この交信のあった数秒後には、無線番号137号白バイ警官のブルーワーが交信している。「ここにいる男が倉庫の7階の東南の角の窓から銃を引っ込めるのを見たと言っています。」
このように事件発生直後の警察官の無線交信から、現場においては12時37分の時点でほぼ正確に”テキサス教科書倉庫ビルの、かなり高い階の東南の角の窓”を特定していた事が解る。しかし、この後の全体的な動きにはおおきな疑問が指摘されている。

疑惑の目撃者

下の写真の中央やや左、二台の白バイの中央に立っている警官が、最初の目撃談を通報してきたロバート・ハージスであるが、彼は目撃者からテキサス教科書倉庫ビルを指摘されたにもかかわらず通信直後「グラシー・ノール」の方向に向かって走っていく。さらには倉庫ビルに人数を要請したヘイグッド巡査も同様に拳銃を抜いてグラシー・ノールに駆け上っていく写真も存在する。すなはち、自分自身の最初の反応とは異なった報告を本部に送っていた事になるのである。それではその彼等の反応と異なった情報の提供者はいったいどうなったのであろうか?それぞれの通信には目撃者が登場する。ハージスの場合は”通り過り”の男であり、ヘイグッドの場合は”ここに立っている”男であり、ブルーワーの場合は”ここにいる男”である。そしてダラス本部はヘイグッドに命じたように「その男の氏名、住所、電話番号を聞いておけ。あと他に何でも知っている事を聞き出すんだ。」と命じているのである。しかし、いずれの場合も、結局はこの”男”はどこの誰であるのか全く解らないままであった。警察官たちはこの情報提供者について質問されているが彼等の答えは特に役に立つものではなかった。

ベリン;あなたは(建物の)右手の角の端から二番目の窓から撃っていたと言った男の特徴をなにか覚えていますか?
ヘイグッド;いいえ
ベリン;白人だったか、黒人だったかは?
ヘイグッド;白人でした。
ベリン;若者でしたか中年それとも老人だったか覚えていますか?
ヘイグッド;勘で言うしかありませんが・・・よく覚えていないので・・・中年の男だったような。
ベリン;背広でしたか。別の服装でしたか?
ヘイグッド;覚えているかぎり、軽装でした、つまり、その、上着もネクタイもしていませんでした。

ブルーワー巡査も男の特徴を質問されている。

ベリン;あなたが話をした男と言うのは白人だったか黒人だったか覚えていますか?
ブルーワー;私の記憶では白人でした。
ベリン;何か他に覚えている事はありますか?
ブルーワー;いいえ。

なんとも情けない話であるが、ここに興味深い共通点が存在する。それは、三人の警官と後述するソーヤー刑事部長はすべてその”男”から「呼び止められた。」と主張している点である。ここで二つの可能性からの選択が必要になる。それは、この交信そのものがいいかげんなものであったのか、それとも、デイリー・プラザの周辺を歩きまわっていた男が居て、意図的に警官に近寄って、狙撃を見たと建物を指差して、ヘイグッドの場合には窓まで特定したあと、歴史の一コマから忽然と消え去り、完全に忘却の彼方に消え去ったのか、どちらかを選択しなければならないのである。

空白の40分

12時37分ブルーワー巡査の交信のあと2分後、正確には12時39分にダラス警察の無線はチャンネル1を通じて全員に指令をだしている。そのため倉庫ビルの周辺は警察官であふれ、その中の多くは建物の中に入っていった。「全員に告ぐ、コード3だ!(緊急の意味、赤ランプ点灯でサイレンを鳴らして急行の意味)エルム通りとヒューストン通りの交差点に急行せよ。注意せよ。」・・・と。
熱心な読者諸兄は倉庫ビルで、いわゆる”暗殺者の巣”と呼ばれる六階東南の角の犯行現場が発見された時間をご記憶であろう。そう、13時15分のことです。とすると、交信では倉庫ビルに注目するように指示し、しかもヘイグッドにいたっては、ほぼ正確な窓まで指摘し、数十人の警察官が倉庫ビルになだれ込んでいながら、なんと発見までに40分近くの時間を必要としたのである。1968年に国立公文書館でFBIの聴取した未公開の記録が発見されている。そのなかに、事件直後近くの建物で偶然倉庫ビルの狙撃があったと言われている窓を見ていた女性がダラスの弁護士に、その窓のところで「箱が動いている」のを見たと語った、と書かれていたのである。そして下院に設置された暗殺問題調査委員会の調査で、狙撃時に撮影された数多くの写真が専門官によって分析された。その結果「ケネディ大統領に向けて最後の銃弾が撃たれた二分後に、明らかに箱が動いていた形跡がある。」と判明している。この分析結果は下院暗殺問題調査委員会の最終報告書にも記載されている。それは”空白の40分間”の間に”暗殺者の巣”が作られていた。すなはち、警察官がビルになだれ込んでいった時点では、”巣”自体がまだ完成していなかったからではないだろうかと思わざるを得ないのである。この事で”一般的疑問”で提示した暗殺者の巣作りの疑問は解消されるのである。ウオーレン委員会も調査の最終段階で、狙撃と狙撃手の巣の発見との間にある、この不気味な空白の40分の存在に気が付いていた事は公開された資料から明白である。この問題に関して事件研究家のアル・ゴールドバーグはウオーレン報告書の刊行された六週間後の1964年11月2日に公開の質問状をFBIに対して送っている。その手紙には、この空白の40分に関しての説明を求め、さらに調査を続行するように要請している。この書簡に対して11月12日にフーバー長官は回答して、これ以上の調査は必要ない旨を告げこう記す。「この空白は、発見された証拠を科学的に分析した結果から見ると、たいして重要ではないと思われる。」また、この発見の遅れの原因は「大統領のパレードと暗殺による交通渋滞でダラス警察の鑑識課員が現場に到着するのが遅れた為」と書いている。ゴールドバーグは納得せず、彼の「ニュー・リパブリック」誌への寄稿”ウオーレン報告・その検証”のなかで次のように追求する。「鑑識課員が交通渋滞で遅れた事は解るような気がします。しかし、六階は他の警察官たちがすでに捜査を始めていたはずである、その証拠もきちんと有る。したがって、教科書倉庫ビルを探索していた警察官達に、六階もっと厳密に言えば六階の東南の角の窓から狙撃があったと伝えられたのは一体いつだったのか?もし、こうした情報が現場の警察官達に伝えられていなかったとしたら、その後の捜査の混乱は当然であったはずである。」と論じている。

想像上の容疑者

ウオーレン報告書では、犯人の特徴を告げたのはハワード・ブレナン。そしてブレナンはダラス警察のバーネット巡査にそれを告げた事になっている。この犯人の特徴が警察の無線によって知らされたのは警察の交信記録によると、12時45分のソーヤー刑事部長の以下の通信が最初である。

ソーヤー;凶器は30−30ライフル(さんまるさんまると読む、ライフルの弾の種類)か、ウインチェスターだと思われる。
本部;ライフルですね。
ソーヤー;ライフル。そうだ。
本部;衣服は?
ソーヤー;年は30、175センチ、74キロ。

繰り返すが、大統領が狙撃されたのが12時30分、そして、狙撃者の巣を指摘したヘイグッド交信が12時37分である。それからの八分間に起こったことは驚くべきことだった。警察本部からの電波はオズワルドの外見らしきものを「容疑者」の外見として告げているのである。
情報源は前述のソーヤー刑事部長の交信であるが、ウオーレン委員会で彼は次のように証言している。「誰か知らない人物に呼び止められて、その情報(犯人は30歳ぐらい、身長は175センチ、体重74キロ位)を得ました。」「その人物は白人でしたが若くはなく、かと言って年寄りでもありませんでした。目の前にいたのです。」と証言している。ブレナンでもバーネットでもないのである。それにしても、これがダラス警察の刑事部長の証言か?と耳を疑うが、とにかくこの情報が瞬時にすべての警察無線に流れて言った、いわく「全員に告ぐ。エルム通りとヒューストン通りでの狙撃の容疑者は、白人男性で、年齢は30歳、175センチ、74キロ痩せ型で、30−30ライフルを持っていると思われる。繰り返す・・・・・」オズワルドは確かに”白人で痩せ型”である。しかしソーヤーの通信には”白人”の言葉も”痩せ型”の言葉も存在しない。175センチ74キロの男は必ずしも痩せ型とは限らない、したがって、もし本部の通信士がソーヤーの情報を得て、それを全警察官に発信するまでの数秒間に自分の想像でこう発言したとしたら、警察官として素晴らしい仕事をしたと言えるかもしれない。
以上のように、ダラス警察の交信記録によると、狙撃後数分のうちに警察官は狙撃現場として”暗殺者の巣”と”容疑者”としてオズワルドに似た外見の男に注意を集めていたのである。要するに、狙撃後の最初の15分間だけから判断すると、ダラス警察の調査はウオーレン報告の結論を、勿論、胚芽という形ではあっても、すでに包含していた!と言えるのである。