多くの歴史的な事件において、何らかの疑問点が残された時、多くの歴史家、研究者がさまざまな観点からその疑問を解明すべく数々の仮説をたて検証していきます。ケネディ事件においても、まさに百家争鳴の感すらあります。曰く「発射された銃弾は、四発であった。」「否、ライフルの性能上不可能である。」「最初の銃弾は、エルム通りに進入した直後に発射された。」等など、数え上げたならばきりがありません。当然、研究者たちは自身の仮説を正当化すべくあらゆる手段を使いますし、中には売名的な研究者も、なしとしないのが現状です。これらの研究者達にしてみればそのような攻撃をする研究者達こそ売名的な研究者と言うことになるのです。このページを開設してから、さまざまな方々からお手紙やメールを頂いてきました。批判的なご意見もあったことも事実です、曰く「どちらかと言えば、火の無いところに煙を立てる類のものかと言う印象」「ウオーレン報告書の全巻を読んだ上での意見なのか?」等など・・・・これらのご意見を頂いてから、メインページを変更して、必ずリード・ミー・ファーストを読んで頂くように再確認をさせて頂くようにしました。なぜならばリード・ミー・ファーストにはこのように書いてあるからです。「このホームページでご紹介する各種データは、ケネディ暗殺事件研究の初歩のデータを皆様に提供して、いかにこの事件が謎に満ちているかを知って頂く事を目的としています。」すなわち、本ページは資料の提供を目的としているのです。しかしながら、私も人間、過去の文章をあらためて読み直してみると、どうしても自分の考え方に誘導するような表現が散見されている事に気が付きました。おおいに反省しております。そこで、気をとりなおしてこの項目を追加しました。本項は、間違いのない物理的・客観的事実のみをとりあげる事とします、そしてその事実に対しての疑問を提起します、当然それらの事実にたいしての回答は読んだ事があります、しかし、私自身納得できる回答ではありませんでした。これらの、疑問に対して私自身納得できる回答が得られるのであれば、ウオーレン報告書を受け入れて良いとまで思っています。それは、とりもなおさず私自身がこの事件に対して疑問を抱かせるに至った疑問そのものなのです。

なぜ、パレードはメイン通りを直進しなかったのか?

写真をご覧下さい。まさに誰が考えてもメイン通りを直進すべきですし、保安上考えても絶対に安全です、パレード見学の一般市民に対しても親切です。
パレードは、デイリー広場を通過して陸橋を潜り抜けたところで、ステモンズフリーウエーに入る事になっていました。問題は、メイン通りからステモンズハイウエーに進入する事ができないのであれば話しは別です。なんの迷いもなく進入可能なエルム通りに迂回するのが当然ですが、事件関連書籍にはメイン通りからもステモンズフリーウエーに進入することは可能であったと記されています。(現地で確認したいところの一つです。)
しかも、事件前日のダラス・デイリー・モーニング紙には、パレードのコースはメイン通りを直進する事になっているのです。この問題を、一部研究者はカベル市長の指示でありカベル市長の実兄がCIAのカベル将軍である事からCIAの関与の傍証の一つに上げています。(一般的疑問の項参照)この最後の部分が火のない所の煙になるのでしょうが、では聞きたい・・なぜ直進しなかったのか!ヒューストン通りからメイン通りを迂回しなければならない納得できる理由を教えて欲しい!

なぜ、オズワルドはヒューストン通りで犯行に及ばなかったのか?

殺人犯の心理については当然専門でもないし、経験もないので何とも言えないが極めて常識的に言って次のようではないだろうか。個人差はあるにしても生まれて始めて人間を殺害しようとするのであるから相当興奮するのが当然と思う、この場合標的が目前に現れた場合早く撃ってしまうのが普通だと思う、現にビックス湾事件の時、弾薬不足に陥ったのはこれが原因のひとつである。ただし、プロは別である訓練された軍人はこんなことはしないし、プロの殺し屋もしないであろう。オズワルドは決してプロの殺し屋でもないし十分に訓練された軍人でもない。ではなぜオズワルドはヒューストン通りにパレードが進入した時点で狙撃しなかったのか?標的は近ずいてくるし、真っ正面である、そのうえ後続のシークレット・サービスの護衛車が邪魔になることもないし、木が遮ることもない。少なくとも実際の狙撃時点よりも数段条件がいいことは間違いない。この件を説明できる回答はたった一つ、専用車がメイン通りにはいってからでないと目的が達成できない事情があったから、としか考えられないのではないでしょうか。

なぜ、後部からの銃撃で体が後ろに動くのか?

大統領が頭部に被弾した瞬間の映像です。このあと大統領は激しく左後方にのけぞります、後部からの銃弾の圧力によってからだが後方に弾き飛ばされるとは、一般常識では考えられない事です。この件に関してはウオーレン委員会も頭を悩ました形跡がありありと読み取れます。そして出した結論が「大統領のこの動きは、大統領の脳髄が瞬間的に破壊されて生じた筋肉の痙攣による動きである。」というものでした。解ったような、なにかもう一つしっくりこない結論と思えて仕方が無いのですが、皆さんはいかがでしょうか。さらに間違いの無い事実として専用車の左後方に配置された護衛警察官が血と脳漿を浴びているのです。そしてケネディ夫人も大統領の頭蓋骨の破片が専用車後部のトランクに吹き飛ばされたのでそれを拾おうとしたと証言している事もまぎれもない事実です。

ザプルータフィルム瞬間の抜粋

なぜ、朝4時に逮捕されたオズワルドの顔写真が当日の朝刊に載るのか?

この写真は1963年11月23日付けのニュージーランド、クリスチャーチ・サン紙の紙面です。アメリカ中部時間とニュージーランドとの時差は、14時間です。オズワルドが逮捕された時間が22日の午後2時である、したがってニュージーランドでは11月23日の朝4時になります。はたして当日の朝刊にこのような紙面構成が、当時の技術で可能であったのでしょうか?コンピュータによる紙面編集はつい最近のことです。しかも、紙面にはオズワルドの経歴がしっかりと掲載されているのです。繰り返しますがアメリカ中部標準時間22日午後2時はオズワルドがテキサス劇場で逮捕された時間なのです。ダラス警察がケネディ暗殺犯人としてオズワルドを発表したのはさらに2時間を経過した時点だったのです。

紙面詳細

彼らはいったい何しに行くのか?

写真を見ていただきたい。この写真は事件の直後の群集の動きを映した写真です。彼らはいったいどこに行こうとしているのでしょうか。連続映像はニックスフィルム・ヒューズフィルムに映し出されています。もし、私が現場に居たならばどのような行動をとるか冷静に考えてみました。まず考えられるのは地面に這いつくばるでしょう、恐いですから。もし自分にもう少し勇気があったならば、もしくは、もう銃弾が発射される事が無くなったと判断したら。恐いもの見たさでこの写真の人々と同じ行動をとるであろうと言う結論に達しました。そう、自分が見た、もしくは近くの人が叫ぶ声「あそこから撃ったんだ!」の声につられてしまうであろう。最低限言える事は、彼らは恐怖によって現場から逃げ出そうとしているのでは絶対にないと言う事です。

この窓から、いったい何が見えたのか?

問題の教科書倉庫ビル6階の窓である。この窓でオズワルドは目撃されていますハワード・ブレナン 45歳になる配管工である。ブレナンは、エルム通りとヒューストン通りの南西の角でパレードを見物していた。そこからは、倉庫ビルの南面全体がはっきりと見える。しかし彼の位置は道路を挟んで反対側になるので六階部分はちょうど見上げるような位置関係になるはずである。多分この様な感じになるのではないでしょうか。しかも彼の位置から6階の南東窓まで直線距離で120フィート(36メーター)。このビルは倉庫専用の建物であるから各階の天井高が一般住宅より高く設計されている。ブレナンはこの位置から、狙撃者の顔の特徴から全身まで見た事になっている。しかも、問題の窓は引き上げ式で下から三分の一ほどしかひらいていなかった、それも、事務所と違って倉庫の窓は低い位置にある、その為その窓から外を見る為には、中腰か膝をつかなくてはならない、この状態では人間の身長など、とうてい目測できるはずはない。彼の目撃証言からダラス警察は犯人像を次のように緊急連絡している。「犯人は痩せ型の白人で体重165ポンド、身長5フィート10インチ、年齢は30歳を少し出た程度」と言 う事になる。まったく恐れ入る観察力である。

目撃者ブレナンの記者会見

倉庫ビル内部