![]() リー・ハーベイ・オズワルドを取り巻く人物像を吟味すればするほど「まともな人間」との付き合いはなかったのかしらん、と思えるほど多士済済な人物像が浮かび上がってくる。その中でも特に異彩を放つ人物がいる。「デヴィット・ウイリアム・フェリー」特異な風貌と経歴の持ち主であるフェリーをして、一説には「暗殺計画の現場指揮者」とも擬せられる人物である。今回はこのフェリーに焦点を当てる。 デヴィット・フェリー登場 ![]() フェリーと言う男 ![]() ジャック・マーチンの証言 ![]() ![]() 誰かがこんなことを言ったことがある、「人に見られずに何ことかしたいと思っても、誰にも見られていないことを入念にたしかめたとしても、かならず誰かが樫の木の下に座っているものだ」と。そのときはそうと気づかれなかったものの、バニスターの事務所という奇妙な場所で、ジャック・マーチンはその樫の木の下に座った男になってしまったのだ。 彼は深く息を吸い込んで、話をつづけた。「他の連中も何人もいたね。デイヴ・フエリーも居た。彼のことはもう知ってますね?」「彼はたびたび顔を見せていたかい?」「たびたびなんてもんじゃない、あそこに住んでいたようなもんですよ」 そこでマーチンは黙ってしまった。それ以上しやべるつもりのないことは、目を見れば解った。しかし、このまま引き下がるわけにいかない「それから、リー・ハーヴェイ・オズワルドもだね」ときいた。彼は唾を飲み込み、うなずいた。肩の荷を降ろしてほつとしたようだった。「ええ、彼も居ました。時々ドアを閉めてガイ・バニスターと話をしていたし、デイヴ・フエリーと雑談をしていることもあったが、とにかく彼も来ていました」「そうやって、ガイ・バニスターは何をしていたんだい」「その連中を動かしていたんですよ」「私立探偵の仕事のほうは?」「依頼はあまりなかった。たまにあったときには私が担当しました。私はそのためにいた訳だから」「ところでジャック」と私は言った。「率直なところ、バニスターの事務所では何がやられていたんだ?」彼は私に手を上げてみせ、決然として、「それには答えられない」と言った。「その点は勘弁してください」そして、ふいに立ち上がると「もう帰りますよ」と言った。「まあ待てよ、ジャック。バニスターの事務所で起こっていたことに立ち人るのが、なんだってそれほど問題なんだ?」「何が問題か、だって?」と彼が言った。「何が問題か?」彼は信じられないというようにもう一度くりかえした。「そんなことをしたら連邦政府が追ってくるんだ。もっと具体的に言ったほうがいいかい?私は殺されかねないんだよ。そして、あんたもね」彼はくるりと向きを変え「もう帰りますよ」と小声で言った。ドアに向かう彼の足もとがふらついていた。』 こうしてギャリソンは、大統領暗殺事件という悪魔の住みつく迷宮に入り込んで行く。 しばらくフェリーから離れよう。 オズワルドを救え ![]() キャンプ街544番地 ![]() ![]() それでは、マーチンが「その点は勘弁してください」と言ったガイ・バニスターの事務所「キャンプ街544番地」ではいったい何が行われていたのであろう。バニスターは探偵事務所を開いてはいたが「反カストロ」亡命キューバ人組織の活動家であった、フェリーもまたキューバ革命戦線のリーダーの一人であったと言う。そして、「キャンプ街544番地」はダラス―ニューオリンズ―マイアミを結ぶ補給路の一部をなすものであった。補給される物資とはカストロキューバに対抗して使用される武器および弾薬であった。すなはち「キャンプ街544番地」は反カストロ組織のニューオリンズにおける前線基地であったのである。こうして「共産主義者でありカストロ擁護の立場をとる」オズワルドと「反カストロ組織のリーダーであり反共主義者」のフェリーやバニスターの奇妙な糸が結びついたのである。調査を進めていくうちオズワルドの弁護を依頼した「クレイ・バートランド」なる人物は「クレイ・ショー」と言うニューオリンズの名士である可能性がでてきた。そしてこのクレイ・ショーはたびたびバニスターの事務所を訪れている事実も明るみに出る。クレイ・ショーを加えた四人の人物が揃ったことになる、まさに役者が揃ったのである。オズワルドがニューオリンズに来た本当の理由はなにか、オズワルドとフェリーの関係は、その点を解明すればオズワルドの背後が見えてくる可能性は非常に大きかった。とすればどこを追求するのか、バニスターは1964年すでに死亡していたし、直接クレイ・ショーに当たることもバートランド=ショーの確証がいまだ得られていない。残るのは「デヴィット・フェリー」以外は考えられなかったのである。 フェリー再び ギャリソンはフェリーに対する3年前(FBIに移管した)の疑問を、今度は自分自身で調べ始める。事件直後ニューオリンズをたってヒューストンへ行った理由を「アイススケートをしに行った」と答えた事について調べると、フェリーはヒューストンのアイススケート場で終始公衆電話の傍らで電話を受けたり、かけたりしていて、一度もリンクに立たなかったと言う事実をつかむ。さらにフェリーは土曜の夜ガルベストンに向かったと言っていたのであるが、フェリーがガルベストンに滞在している時間帯にジャック・ルビーが数回ガルベストンに長距離電話をかけていた事実も明るみに出たのである。しかしながらこれらの事実は興味ある話ではあるが特に「大統領暗殺事件」とは直接関わりの無い話であり、フェリーとオズワルドが完全に結びつかなければ無意味なのである、オズワルドとフェリーは知り合いであったのか。これを証明するのは今現在ジャック・マーチンの証言だけなのである。フェリーはオズワルドとの関連を頑強に否定する。「リー・ハーヴェイ・オズワルドだか誰だか知らんが、間違いなく記録にも記憶にもなく、全く知らない」と。 ルイジアナ州クリントン ルイジアナ州クリントン。この州最南部に位置する小さな村は、よほどの地図でないと出ていないような僻村に過ぎないがギャリソンにとって極めて重要な町となった。1963年夏はこの町にとってまさに何十年に一度の記憶にの残る時であった、連邦政府の支援のもと、この地方の大掛かりな選挙人登録運動が展開されていたのである。黒人の公民権意識の向上を目的としたこの運動は南部各州でさまざまな騒動を引き起こしていた。この僻村も例外ではなく、黒人達は黒人の新規登録者を白人が妨害しないよう、白人は白人で”よそ者”の煽動者が入り込み黒人達をあおりたてないように目を光らせていた。まさにクリントンに住む成人のほとんどが日の出から日の入りまで選挙人登録事務所の周辺を歩き回っていたのである。そこに、この地方には似つかない黒塗りの大型リムジンで三人の男が乗りつけたのである。後にこの内の一人が「大統領暗殺犯」としてテレビの画面に現れた時に、ほとんどの人がこの男のことを記憶していた。と同時に同行していた二人の人物のことも。村人の証言は異口同音に一人は「正気の沙汰とは思えないカツラをかぶり、眉は描いたものであった」と、そしてもう一人は「白髪まじりの紳士で」誰の記憶でも「男は礼儀正しく、リムジンの傍らを村人が通ると、必ず会釈して挨拶をしていた」というものであった。この三人を黒人支援のために連邦政府から派遣されたチームではと思った村の保安官は車の番号を控え、後に州警察に照会したところ、車の所有者は「インターナショナル・トレード・マート社」の物であったと言う。トレード・マート社はクレイ・ショーの経営する会社である。 市民航空パトロール
Civil air Patrol(CAP)。日本ではこのような組織は知らないのでどんな組織かは解らないがボーイスカウトの航空版といった感じなのであろうか。このCAPにフェリーは一時所属していた、航空機操縦の技能を買われてと思うが「隊長」として所属していたのである.。このことはフェリー自身も認めている。オズワルドも実はこの組織に所属していた時期があった、この事を突きつけられたフェリーは時期的にずれていたのか、もしくは偶然出会った程度かもしれず、全く記憶に無いとFBIの尋問に答えている。下院暗殺問題調査委員会もこのことに着目してフェリーとオズワルドの接点を調査している。数々の証言から「その可能性の高いことは証明できたが」証拠としての物が無かったのである。ところが1993年になって決定的証拠とも言える一枚の写真(右上)が発見された。CAPの活動中であろうか、野外で食事を作っているところの写真である、紛れも無くオズワルドとフェリーが一団の中に居るのである。さらにこの二人にクレイ・ショーも加わった三人が同席する写真(右下・左から二人目がフェリー、中央右に立つ人物がクレイ・ショー、前にしゃがんでメキシカン帽をかぶるのがオズワルドとされている)までもが発見される。こうしてオズワルドとフェリーの関係に関して長い間繰り広げられてきた論争に決着がつくことになる。 偶然か作為か ロシア帰りの”共産主義者”と”反共の闘士”が同じ事務所に出入りし、しかも二人は以前から面識もあった。「キューバから手を引け」とカストロ擁護を訴えるチラシの連絡先が「キューバ奪還」を目指す亡命キューバ人のたむろする場所であり、突然ダラスから飛び込んできたオズワルドがすぐさま「キャンプ街544番地」を知り得たこと。この摩訶不思議な構図を単なる「偶然」と片付けることの出来る人がはたして居るのであろうか。そこには間違いなく何らかの意図が隠されていると考えることの方が自然である。ではその「隠された意図」とは何であろうか。以下、私の想像の域を脱しないのであるが、極めて常識的な解釈をしてみる。「オズワルドのとった行動は自分の意志ではなく何らかの”指示”に基づいた行動であること、さらにオズワルドの行動を監視するために(たぶん同じ組織なり個人の指示により)積極的に彼に近づいていった人物が存在し、その人物にオズワルドとは面識のあった人物が選ばれた。」と考えれば自然であり納得いくことであると思うのだが。こうして見ると俄然「デヴィット・フェリー」の存在が注目されることとなる、オズワルドに対する隠された意図を知りえる立場の人物と言えるのである。さらに次項の証拠から、単にオズワルドに関してのみではなく、より広範囲な「構図」を見渡せる立場に居たのではないかと想像されるようになってくる。 フェリーとルビーを結ぶ線 ![]() ![]() フェリーの死 1967年2月17日ニューオリンズ・ステーツ・アイテム紙に一つの特ダネが掲載された「地方検事 JFK暗殺計画を本格調査・秘密の出張に巨額の経費」と題したすっぱ抜き記事である。こうして極秘裏に進んでいた調査は万人の知るところとなる、記事は詳細をきわめ捜査員しか知りえない内容までが掲載されており、ギャリソン達には何処からかリークされた記事にしか考えられない内容であった、そのうちにはフェリーが捜査対象の一人で ![]()
それにしてもデヴィット・ウイリアム・フェリーは本当に事件の中心人物であったのであろうか。もちろん彼の死によって永遠の謎になってしまった訳ではあるが、すくなくとも現在まで取りざたされている数多くの「疑惑の人物達」の中にあっては(各種の証拠によって)最も事件の概要を知っていた可能性の高かった人物であることに間違いはなさそうである。しかし過去、事件研究の過程のなかで、フェリーのことはあまり重要視されていないのが現実である。それは、ギャリソンに対する個人的批判や「クレイ・ショー裁判」そのものに対する批判が原因になっているし、加えて「証言者の信頼性」の問題であった。証言内容の信頼性とはまったく関係の無い証言者の個人的性癖や言動によってその信頼性が忖度されてきたのである。オズワルドとフェリーの関係を証言したチャールズ・スパイゼル(右上写真)やガイ・バニスターの秘書であったデルフィン・ロバーツ(右下写真)などがその好例であろう。ちなみにスパイゼルは、自分の娘が大学入学前と卒業後では別人で、今の娘は偽者ではないかと疑い、指紋を比較して確認したという逸話を持っていた。そのことだけを理由に「彼の証言は全く信用できない」と評価されたのである。 思いはさまざまでしょうが皆さんはどのようにお感じになりますか? |