11月22日、運命のその日全てのアメリカ国民が事態の推移を固唾を飲んで見守った。いったい誰が、どうして?事件直後のアメリカ世論の極めて初期の段階での事態の推移はその後の方向を決定ずけるものとなった。そしてアメリカ国民の心への「焼き付け現象」は一年後の事実の封印という事態への最初の兆候でもあったのかも知れない。8ヶ月の沈黙を破って再開するコンテンツ更新の最初のテーマにこの問題を選びました。

衝撃

大統領暗殺の出来事を耳にしたアメリカ国民の示した反応は「驚き」以外の何物でもなかった筈である。テレビやラジオにその事実が流れた時、大多数の人々が口にした言葉は「信じられない」のひとことであった。アメリカ国民にとって、まったく予期せぬ出来事であったのである。これがもしド・ゴール大統領が暗殺されたとの報道がフランス国内で流れたとしたら、多分フランス国民はきっとこう言ったことであろう。「やっぱり」と・・・当時、ド・ゴール将軍が日常的に暗殺の危険にさらされていた事は国民全体が周知の事実であった。実際、ド・ゴール将軍は1962年8月22日パリ郊外のプチクラマールで数十発の機関銃の斉射を受け、まさに九死に一生の危機を体験しているし、少なくとも6回の計画が摘発されていた経緯がある。さらに驚くべきことに、その襲撃組織の実態をほとんどの国民が知っていた事である。ケネディの死の直前数週間には、イギリスでは労働党のウイルソン党首に殺害の脅迫がなされていたし、ベルギーではボードワン国王、スエーデンではエルランダー首相、ドイツではエアハルト首相に同様の脅迫がなされていた。しかし、アメリカにはその様なことは一切無かった。少なくとも国民の知る限りにおいては・・・・・だが実際に起こってしまったのである。アメリカは勿論のこと全世界が茫然自失の感があった。驚愕の瞬間が過ぎると人々のなかには「いったい誰が?」の思いが頭をもたげたことは想像にかたくない、当時のアメリカ人のほとんどの人が最初に考えた事は、「今、アメリカ国内で繰り広げられている暴力行為との繋がりを想像した」と言う人が多い。事実、1963年当時のアメリカ南部における黒人に対する暴力行為はその頂点にあったと言える。その暴力行為は黒人に対してはもちろんの事、憲法の純粋な施行を求めて行動を起こした白人たちにさえもその魔手を伸ばしていたのである。しかも、その多くの場合、犯人は捕らえられることは無かった。万一、一部の「進歩派」と呼ばれる人々の告発によって逮捕された場合でも、ほとんどが罰せられることは無かった。これらの事件はアメリカ南部の諸都市で連日のように繰り返されていたのである。そして又ひとつの事件、いままでの事件と比較にならないような大きな事件が引き起こされた、と考えるのが当時としては最も自然な帰結であり、その可能性があったのである。しかも、南部の大都市”ダラス”である。
南部諸州の急進的人種差別論者に言わせれば、ケネディは「黒んぼびいきのお坊ちゃん」であり、その施策は彼らにとっていちいち気に触ることばかりであったので、あからさまにケネディを批判し、冗談めかしに「殺してやる」といった会話も聞かれることもあったと言う。そんなケネディが、南部の町ダラスで暗殺された、ほとんどのアメリカ人が最初に「南部の連中がついに」と思ったとしても無理からぬことであった。ところが、そんな獏とした想像や猜疑を一変してしまうような情報が流れたのである。
「大統領暗殺犯逮捕」のニュースがそれである、ダラス警察は犯行後数時間を経ずして大統領暗殺犯と称する人物「リー・ハーヴェイ・オズワルド」を逮捕し、まだ証人も自供も無いうちに検察当局は犯罪を組み立て、その動機なるものを公式に発表した。「リー・ハーヴェイ・オズワルドは狂信的な親共主義者であり、アメリカを憎み、最近ソ連から帰国したばかりの人物である」と。大統領が死んだという知らせの最初のショックで唖然としていた国民は、第二の打撃をそれ相応に受け止めたのである。しかしこの第二の衝撃の持つ意味は、ある意味ではもっとも憂慮すべき事態であった。現在進行形の世界平和の鼓動を担う人物の死。しかも、その人物が最も必要とされているまさにその瞬間に死んだという事実だけでも大変な事態であるのに、この発表は突如として世界平和そのものが危機に瀕することを意味していたのである。南部白人至上主義の人種差別論者の犯行ではと言った想像の段階では、この事件は単にアメリカ国内の問題でありそれ以上のものでは有り得なかったのである、しかし事情は一変した。もしも、モスクワ仕込の共産主義者が暗殺に責任ありとすれば、過去1年間の東西接近への進展はすべてご破算となり、全世界は再びあの十月の朝の恐怖の時間にまで逆戻りしてしまうことは火を見るより明らかであった。

反応

「暗殺は共産主義者の犯行」のニュースに直ちに二つのグループが敏感に反応した。ひとつは言うまでもなく共産主義国家であった、キエフに滞在していたフルシチョフは全ての予定をキャンセルして直ちにモスクワへ戻り、在ソアメリカ大使館に個人的な弔意を表明した。そして、記者団を前に「この事件は、平和の大義と米ソ協力を大切にするあらゆる国民に対する挑戦であり、重大な攻撃である。」と表明した。一方アメリカ共産党は声明を発表して、この犯罪を非難し、オズワルドなる人物が現在も過去においても党員であったことは無いと述べている。このような責任の否定は、アメリカ国民の大部分には文字通りには受け取られなかった。もしも、実際に共産主義者が犯罪に責任があるのであれば、疑いもなく彼らはこれを隠そうとするであろう、と言うのがその理由であった。そして敏感に反応したもうひとつのグループは、アメリカ国内の黒人グループであった、彼らは犯行の数時間後から、ほとんど全員一致して百年来残忍きわまる黒人狩りをやってきた暴力的な組織がこの事件を引き起こし、合衆国大統領までも殺害したと確信していたのである。そして彼らはダラス検察の発表を絶対に信用しないと表明したのである。他方、最初は疑いもなく、他の人々と同様、犯人が自分達の陣営から出たものと思って沈黙を守っていた極右派は、すぐさま攻勢に転じた。その中には公然と大統領の死を喜ぶ人々もいた、メンフィスの市民団体の議長リチャード・エリーは「ケネディは専制者の死をとげた、彼は人種差別撤廃を鼓舞し、共産主義者の支持を得ている。彼はまぎれもなく、専制者であった。」と語っている。とにかく、極右グループは犯人が容共派と目される人物が逮捕されたことを知るが早いか、最初の当惑した沈黙を破ったのである。犯人はソ連に住んでいたばかりか、今ではカストロのプロパガンディストになった男であると言う公式説明を武器として、これらグループは機会をとらえては、常々主張してきた計画の実行を要求した。キューバに対して即時侵攻で報復せよ、ということである。世論はいっせいにこの発表に飛びついた「共産国家であればやりかねない」「現にオズワルドはソ連帰りの人間だと言うではないか」その心理には、自国の大統領をアメリカ人が殺すなどというおぞましい現実から逃避できたし、共産主義者の犯行という想像は極めて自然に、納得がいく筋書きとして浸透していったのである。
敏感に反応したのは、共産国家や南部の相反する勢力だけではなかった。主人を突如として失ったアメリカ政府そのものも例外ではなかった。オズワルドがソ連帰りの共産主義者との情報が流れた時、仮にソ連が共産主義世界革命運動の一環として、実際にケネディ暗殺を運動の利益になると判断して、刺客としてのオズワルドを派遣したと仮定すると、アメリカ政府が混乱した過渡期にある間に、その状況を利用することは当然に考えられた。もしそうであったならば、ソ連はベルリン問題の一方的な解決を押しつけてくるであろうしベルリンに火の手が上がっても不思議ではない、さらに太平洋では、中国が台湾への侵攻を開始し、金門・馬祖の島々に攻撃があってしかるべきであった。国防省はアメリカ五軍に対して高度な警戒態勢への突入を指示したのである。ところが、実際にはそういう事件は起こらなかった、中国もソ連も、挑発的行動、あるいは混乱に乗ずるような行動はとらなかった。こうしてどの国の共産主義者も、ケネディ暗殺からは直接間接を問わず、いかなる利益も引き出さなかったのである。従って世界中のあらゆる国々では共産主義国家の事件への係わりは、一般に受け入れられなかった。ただひとつ、アメリカ合衆国の国民を除いて・・・・・

困惑

アメリカの国民の心の中に、暗殺者=共産主義者(国家)の構図、すなはちダラス警察、検察が事件の最も初期の段階で何の調査もせずに発表した情報の事実のみがアメリカ国民の心の内に残った。このことはアメリカ人は全体として公式の発表を容易に信じ勝ちがちである事に起因する。(日本人はさらに輪をかけて)マッカーシーの時代以来、色々な事件を思い出すことができるが、どの場合でも、大多数の国民は共産主義者といわれた人物が起訴されれば、その罪をまったく疑わなかったのである。(ローゼンバーグ博士夫妻事件はその最たる事件であった)