Nov.1,1998

1998年11月1日、ダラス・ディリー広場で私が見てきた事実をレポートします。よく、現場を見なければ事実は決して分からないと言いますが、今回この言葉の重みを感じた、と言うのが率直な私の感想です。ある意味で自分の推測を確認できた部分もありますし、逆にもろくも崩れ去った部分もあります。この一ヶ月の間、混乱した私の頭を整理するので精一杯でした。私のホームページの内容を全部お読みになった方が、この報告書を読むとこの混乱した頭の中身がお分かり頂けるものと思います。ここでは事実は事実として率直に記述して参ります、当然ページ内容と矛盾する記述が出てくると思いますが、いまだ完全に事件の流れの再構築ができていない為です。是非ともご理解下さい。

狭かったディリー広場

ディリー広場に立ってまず最初に驚いた事は、広場全体が驚くほど狭い事です。この事は事件全体の私の推測を大きく狂わせる事になりました。写真や地図等で見ていると実際の距離感が狂ってきてしまう事がありますが、まさにその現象が私の頭の中に固定観念として存在していたのです。事件の疑惑の一つに”謎の茂みに登った煙”と言うのがあります。この写真を見て頂きたいのですが。熱心な読者諸兄には見慣れた写真と同じ位置から私が撮影したものです、事件において重要な証言をした三人の人物の位置関係を書き込んでみました。一般に流布されている写真を見て三人の位置関係を想像していたのですが、実際に現場に立ってみると。たとえば、エメット・ハドソンの位置は疑惑の茂みの場所から4メーターくらいの所でしかないのです、話し声すら聞こえると思われる位置なのです。同様にザプルータの場所からは驚くべき事に柵の内側すら良く見えるのです。さらにはニューマンの位置からは10メーター以内なのです。まさに眼と鼻の先と言う表現がピッタリの間隔でしかありません。(別 の位置からの写真)この場合、ハドソンの証言「銃声は、三発で芝生の茂みから聞こえた。」と言う証言やニューマンの「銃声は後ろから聞こえ、銃弾が自分の頭上を通過していった。」と言った証言の重要性がきわめて高くなってくるのです。確かに謎の茂みの近くにいた人物ほど、銃声の位置を”芝生の上から”と証言している人物が多いのです。私はライフル銃は撃った事はありませんが散弾銃は趣味として射撃場へ行くのですが、前の射手が発射台に立っている時に次の射手は後方4,5メートルの位置で待機しています。その時に耳栓をしていないと発射音は相当な音量になります。丁度そんな位置関係の所にハドソンは立っていたことになります。この位置であるならば絶対に発射音の場所を間違えることは無いと断言できます。逆にその場所に狙撃者がいたとするならば、ザプルータの存在が極めて重要になるのでは無いかと思うのです。狙撃者は直前にその柵の側に立った訳では無いでしょうから、ザプルータが一度でも後ろを振り向けば見られてしまうと言う危険が充分に予測できた筈なので す。さらに言えることは、狙撃者がいたとされる柵の位置からの大統領専用車のロケーションです。写真を見て頂きたいのですが、この写真に写っている自動車の位置は大統領が頭部に銃弾を受けた位置になりますが、私は専用車はエルム通に入った時点からずっとこの柵の位置から視界に入っていたと想像していたのですが事実は違いました。ご覧のようにモニュメントの壁に遮られてしまうのです、(写真の赤い線は大統領の移動したと想像される位置です。)この写真は柵の最も南側から写した物です、当然柵の北側に移動すれば壁に遮られる範囲は広がりますし、ザプルータにどんどん近ずく事になります。しかも例のアンブレラマンをこの場所から視界に入れることはできないのです。

疑惑の茂みからの映像

メイン通からステモンズハイウエーには入れるのか?

結論から言ってしまえば、どちらとも言えないというのが私の結論です。この命題は大統領のモーターゲード・コースが急遽変更になったという問題に回答を得る事実の確認ですが、何の問題も無くメイン通からステモンズハイウエーに進入できるのであれば、エルム通にコースを変更した事実は、動かしがたい陰謀の事実の証明にすらなってしまうのです。なぜならば、エルム通を走る必要性がまったく無くなってしまうからであり、あえて大統領に危険なコースを取らせたことになるのです。さて、写真を見てお分かりのようにメイン通とエルム通の間には境界帯として縁石帯がもうけられていました、念の為お年をめした通行人の方に聞いてみたのですが、この状態は事件当時とまったく変わっていないとの返事でした。その縁石の上に行ってメジャーで高さを測ってみた所、ちょうど5センチありました、勿論乗り上げて通過することは可能ですが、そのままの状態ですと自動車には結構衝撃があるかと思います。逆に言えば、ちょっとした細工さえすれば何の問題も無く通過する事ができる範囲のものな のです。とするならば、大統領に与える不快感と、より安全なルートの選択と言う矛盾する問題のバランスということになります。そこで冒頭に述べたどちらとも言えないと言う結論なのです。やはり、役人とするならば大統領に与える不快感の方を恐れてしまうのが一般的な回答なのでしょうか?

メイン通陸橋下からの映像

目撃者ハワード・ブレナンの位置から何が見えたのか?

オズワルドを被疑者として追跡するにあたって最も重要な証言をした人物がハワード・ブレナンである、彼はディリー広場のプールのモニュメントの上に座ってパレードを見学していた。まさにその位置は教科書倉庫ビルのちょうど真向かいに当り、ビルの南のファサード全体を見渡せる位置にあたるのです、私も同じ場所に座ってみました(右写真)が、確かにビル全体を見渡す絶好の位置になります。左の写真がその位置から写した写真ですが、現地を見るまで私は道路の反対側に座って7階建ての建物を見ても丁度見上げるような感じとなってしまい窓の中にいる人物を見分けることなど不可能であると思っていたのですが、実はエルム通とビルの間にはもう一本の道路が東に向かって走っていたのです、(謎の茂みの駐車場に入る道)ビルの前の交差点は十字路ではなく五差路になるのです。したがってブレナンの位置からビルまでは20メーター近くなり写真のように結構よく見えるのです。そこで私は3 0分近くの間ビルの6階を凝視し続けました。6階は例のミュージアムになっています、問題の窓は封鎖されていますので、問題の窓から人が覗く事はありませんがその左側の窓からは、自分もそうしたように多分入場者全員が外を覗いていくのです。結論は、なにも見えませんでした。男女の区別すら見えないのです。実験をしたのが11月1日の12時ちょっと過ぎ、条件はほぼ事件当日と大差ないと思われます。写真でも解るとうりガラスが反射して内部はまったくみえないのです。事件当日問題の窓は写真のように上下二段の上げ下げ窓の下の部分のみ開いていました、後ほど6階内部の解説の部分と総合して考えると、ブレナンの位置から「犯人は痩せ型の白人で体重165ポンド、身長5フィート10インチ、年齢は30歳を少し出た程度」と言う観察は絶対にできないと言う結論に達したのです。

リー・パワーズにもうチョット好奇心があったら

リー・パワーズ、ユニオン鉄道の職員で事件当日、鉄道の操車指令塔で任務に就いていて事件直前広場裏の駐車場にみかけぬ自動車が数台走り周っているところを目撃した人物である。この操車指令塔は現在も使用されており中に入ることはできなかったが、その建物の所から広場の方角を眺めるとまさに舞台裏の全てが見渡せる場所なのです。万一この疑惑の茂みから何者かが大統領を狙撃したとするならば、完全に見える位置になります。惜しむらくはパワーズは仕事熱心であり不審な人物をいつまでも眺めているような人間ではありませんでした。この様に現地で実際にその位置関係や距離を確認してみると、”この謎の茂み”といわれる一帯が極めて高度な陰謀集団の中から選抜されたプロ中のプロの選んだ狙撃場所としてはあまりにも杜撰な選択のように思えてくるのです。反対にエメット・ハドソンの証言のようにこの茂みからの銃弾の発射の事実を追認するような事も判明しました。まさに謎は深まるばかりなのです。

操車指令塔からの映像









教科書倉庫ビル6階にて


教科書ビル6階の狙撃者の巣はご覧のようにガラスで覆われ中に入ることはできません、しかし、教科書の入っていた段ボール箱の配置は事件当時のままなのだそうである。ここで私は実際に現場でなければできない窓の寸法を測ってきました。このことでどんな事が解るかと言いますと。この写真を見て頂きたい教科書ビルの5階から現場を見ていたハロルド・ノーマン(左の人物)この写真を見ているとハワード・ブレナンの目撃証言が納得できそうに感じていたのですが、現場にきてはっきりと解りました、この二人は座っているか、もしくはしゃがんでいるのです、そうでなければこのような姿勢は絶対に取れません。念の為ミュージアムの係員に5階の構造も6階とまったく同じである事を確認しました。とするならばブレナンの目撃証言はでっち上げか、もしくは想像上の産物でしかないのです。(外部からの確認は前述)オズワルド逮捕のきっかけとなったのは、あくまでも警察官チピットの殺害による挙動不審によるものとされていますがその以前の段階での捜査はこの推 測の証言によって行われていたのです。しかもこの推測による手配の体形がオズワルドにピッタリと言うのも不思議な感じがします。

オズワルドの逃走経路

私の次の関心事は丁度反対側に有る北西角の階段でした。この北西角の場所でライフルが発見されています。ここでも私は驚きました。倉庫の階段ですから相当広い階段を想像していました。私は仕事の関係で日本の色々な倉庫の内部を見る機会が多いのですが、こんな倉庫の階段をいまだかつて見たことがありません、日本で言うところの三尺階段すなはち、ごく普通の家屋に使用されている階段幅と同じなのです。アメリカですから多分メーターモジュールかインチモジュールなのでしょうが、皆さんの家庭にある階段の幅を想像して頂いて大差ありません。しかもエル字階段です。折り返し階段と違いますので各階で登り口と降り口の移動が必要です。さらに加えて前項壁面図でお分かりのように天井高が3メータ40センチありますので、推測ですが、段数は18段から20段は必要でしょう。一般家庭の階段の段数は一般的には14段です。さて事件当日、教科書倉庫ビルでオズワルドは二人の人物に目撃されています。ダラス警察のベー カー巡査と教科書ビルの支配人トルーリです。ベーカー巡査は、倉庫ビル2階のコーラの自動販売機の前でコーラのカップを持った状態で目撃しています、ベーカー巡査の証言によれば、オズワルドを目撃したのは事件後2分、遅くとも3分後と断言しています。つまり、歴史に残る射撃を行い、ライフルを積み上げられたダンボールの下に見つからない様に隠し、さらに4階分の階段を駆け降り、小銭を出して自販機にコインを入れ、カップ式のコーラが満たされるのを待ち、それを取り出し、手に持つまでに3分以内である。と言っているのです。しかも、落ち着いていて息も切らせていなかった、と言うのです。現場を見て「これは無理だな。」と感じました。建物の端から端に移動して、約80段のしかもエル字の狭い階段を、息も切らせないような動きで3分以内、不可能では無いにしてもおおいに疑問が膨らみました。








改装前の六階

ミッシングフレーム

例のお土産やさんのおじさんから買った本に載っていた疑惑の4カットをお見せしましょう。解説文を一生懸命読んでみたのですが、出典や来歴は一切書いてありませんでしたので、本物かどうかも含めて一切解りません、確かにカットの連続性はありますが。さて、この4カット虫眼鏡で見たり高解像度でスキャンして見たりしたのですが、例の道路標識には異常は認められませんでした。とにかくこんな物を手に入れてきた、と言うご報告まで。









思ったより急勾配のメイン・エルム通

写真はメイン通のものであるが、エルム通もほとんどこれと同じである。勾配が有ることは知っていたがこれほどまでの高低差があるとは思いませんでした、ヒューストン通は鉄道陸橋の上部とほぼ同じ高さになるのです。今回の旅で計画していた撮影場所で、実際に撮影ができなかった場所で最も残念だったのは、ダルテックスビルの二階からのカットです。現在は個人の事務所となっており部外者立ち入り禁止の看板が立っていました、きっと私みたいな人間が多くて閉口してしまったのでしょう。もしその場所に立てたならばこの勾配の問題がどの程度私の推理に影響するか確認できたと思うと、かえすがえすも残念です。会員専用にアップしてある”私の推理”の根幹をなす場所が実はこのビルなのです。万一このビルの二階からのロケーションがエルム通の勾配とダブッテしまうとチョット私にとっては困るのです。この件に関しては会員専用のダラスレポートに詳しく書くことにします。

やった!新発見

私が今回の旅のなかでもっとも興奮した瞬間はこの写真を発見した時でした。6階ミュージアムの記念品売り場をウロウロしていた時でした、フット絵葉書のコーナーにこの写真を見つけたのです。私がまったく始めて見る写真でした。なんとシークレットサービスのクリント・ヒルが高度警戒態勢になっているではないか、最高度の警戒態勢は車の横に立つのであるが、この様な体制は歓迎ムードを壊さないギリギリの警戒体制なのです。ヒューストン通に入る時にシークレットサービスがこの様な体制をひいていたとは!「これは新事実!」しばらくこの葉書を見つめてしまったのです、まてよ?大量に印刷された絵葉書に新事実があるのかしらん?そう思うと背景の建物が違うみたい?裏のキャプションを読んでガッカリ・・・・「ヘイウッド通からメイン通に入る時の専用車」とありました。

衝撃の写真の今昔

モーマン写真

こうして見るとモーマンのポラロイドはレンズがかなりワイドになっているのかしらん?

アルトジェンズ写真

ダルテックスビルは外部階段が取り払われている、又新設の道路標識がエルム通を挟んで建っている。

ウイルス写真

この景色は当時のまま

疑惑の茂

当時のままの状態である、はたしてここに誰か立っていたのであろうか?