ケネディ研究の様々な著作の中でジャック・ルービーの逮捕以降の事をクローズアップした著作は少ない。事件以前のルービーは、ユージン・ブレイディングとの接触、H・L・ハントとの関係、シカゴ局WH4−4970を通じてのローレンス・メイヤーズとの関わり、そして事件現場やパークランド病院での彼の目撃証言等々、彼の事件での役割は決して小さなものではない。そして何よりも、事件の謎をまさに迷宮の彼方に追いやってしまった彼・・・彼のしたことは、まさに事件の後始末をした様にもとれる。スパイの世界では、このような役割をになう人物を”掃除人”と呼ぶ。彼は、陰謀(もし、あったとしたら)の過程で表面に確実に見えた数少ない人物である。彼は生き残った、少なくとも事件から3年近くの間は・・・

ジャック・ルービーという男

他のページでも断片的には、ルービーの事は書いているが、一応ここに纏めてみる。1911年ジャック・ルービーはジェイコブとファニー・ルーベンシュタインを両親にシカゴで生れ、自分の面倒は自分で見るという、厳格な環境で育った。第二次大戦中に徴兵されて入隊し、この時からルビーと名乗るようになっている。兵役期間中はアメリカ本土を離れる事無く、1946年に名誉除隊になった。1947年末、ダラスに移り住むと、姉と二人で高級ナイトクラブの経営をはじめる、この頃からオズワルドを射殺するまで、ルービーは複数のナイトクラブとダンスホールを経営していた。こんな仕事柄、彼は暗黒買街と関係を持つように成る。ストリップショーのあるナイトクラブ経営というのは表向きの仕事で、本業は賭博場経営の隠れみのであった。ルービーはダラスのチンピラとなり、時としてダラスの支配階級に都会の悪徳を提供するようになっていた。

ルービーの事件当日の行動

事件直前までの、彼の行動に関しては、随所にでてくるので割愛して、事件当日の彼の行動を、おさらいしてみる。事件の一時間ほどまえに、ジュリー・マーサーによって、ライフルらしき物を持った青年を運んだトラックの運転席で、彼は目撃されている。さらに、事件直後、教科書ビルの混乱の中で偶然撮影された一枚の写真に、彼と非常によく似た人物が写しだされている。さらに、パークランド病院でも彼の知人に目撃されている、特に新聞記者の、セス・カンターとは、言葉をかわしているのである。しかし、これらの目撃証言のすべてを彼は否定している、どちらかが記憶違いをしているのである。仮に、目撃者の証言を信じるとするならば、彼はあきらかに嘘を付いている事になる、では彼はなぜ嘘をつかなければならなかったのであろうか。仮にも、大統領暗殺容疑者を殺害した事件で取り調べをうけているのである、些細な事で嘘を付く必要はない。とすると、この嘘は非常に重要な問題に関連した嘘と言う事に成る。

事件からオズワルド殺害まで

オズワルドが警察に逮捕されてからのルービーはまるで死刑を宣告された人間のようであったと表現する友人がいる。彼はまず姉の家に行く、そこで気分が悪くなったといって、吐き気を訴える。それから、何年も会っていなかった友人や親戚に片っ端から電話をかけはじめる。特にシカゴにいる彼の弟ルーベンとは何年も前から不仲になり音信が途絶えていたが、その彼にも電話をかけている。昔の女友達やちょっとした知り合いの少年にも電話をして、最近飼い始めた小犬の事を尋ねたりしている。これらの電話の内容は実に些細な事であり、受けた人間も何の為に電話をかけてきたのかわからない様な電話であったと言う。彼の姉の証言によると、一連の電話を済ましたあと、彼は突然泣き出し、床に臥せっていたと言う。その後彼は、行った事も無い教会に足を運ぶ。これらの行動はいったい何を意味するのか、参考として、余命もしくは自由が幾ばくも無い事を知った人間の行動と表現すれば、大抵の人は納得するのではないかと思われる。
金曜日、彼は警察の立ち入り禁止区域の中や警察のオフィスに出入りしているのを何人かに目撃されている。警察はこれらを否定しているが、同日夜、警察内で開かれたオズワルドの記者会見の席にまで彼が入り込んでいた事は、警察も否定する事が出来なかった、なぜなら、彼の姿がハッキリとニュース映画の画面にうつされていたからであった。”警察解析”の項でも述べたようにこの記者会見は異常であったが、この記者会見の席にいたルービーがポケットに銃を忍ばせていた事は疑いない、しかし彼はこの時には目的を果たす事ができなかった、恐くなったのか、至近距離に近ずけ無かったか、もしくは、一人の新聞記者のルール違反によって会見が突然中止されてしまった為か真相は分からない。そして、二日後、またも彼は一般人が立ち入る事のできないオズワルドの移送現場にやすやすと入り込み、今度は目的を達成する。

オズワルド殺害の映像

逮捕以降のルービー

ルービーの裁判は極めて異例な展開をしめす、第一審の裁判長はジョー・ブラウンであったが、彼の裁判指揮は上級審での控訴破棄の事由となるような意図的とも思える過ちを繰り返している。上級審での破棄事由とは、当事者の基本的権利義務を著しく侵害して、その事が訴訟結果に多大な影響を及ぼす恐れのあるような実質的誤謬の事を言う。かみ砕いていえば、当事者の権利を侵した上で決定した判決は、認められない、と言う事である。裁判に先立ってルービーとその弁護士達は、ルービーが地元の敵意から公平な裁判を受けられない可能性があるので、裁判をダラス以外の土地でおこなうように要求している。この事は誰の目にも明らかであった。さらに、裁判の陪審員には、テレビでオズワルドの殺害現場の中継を見ていない人物を選ぶべき、とも要求した、この主張も実にもっともな要求である。しかし、これらの要求は驚くべき事にすべて却下され裁判はダラスで行われ、最初から有罪を確信する陪審員によって裁かれたのである。判決は第一級謀殺の罪で死刑であった、この判決は上級審で簡単に覆された、例の”破棄事由にあたる誤り”にあたるのである。逆 転判決にしたがってダラス地方検事局は、弁護団と協議して改めて裁判を行う代わりに、被告側からの減刑申し立ての形で決着したのであった。この交渉で地方検事ヘンリー・ウエードは被告側の減刑申し立てと交換条件でルービーの釈放を約束したのだった。しかし、この間の3年間牢につながれたルービーは、釈放決定の直前ガンで獄死している。(この死についても病死か殺人かで議論されている。)この一連の茶番劇は、あきらかに最終的にルービーをほとぼりが冷めた頃に釈放する、といったストーリーが明らかである。

獄中のルービー

獄中のルービーの言動は、ケネディ暗殺のかげの首謀者に新たな人物をクローズアップしている。その名はリンドン・ジョンソン第36代大統領である。
刑務所で服役していた時、彼はジョンソンの名前を耳にしただけで口汚ない言葉を吐き連ねたと言う、ルービーが刑務所から出した手紙には、ジョンソンが暗殺の首謀者だとはっきりとかかれていたと言う。

”まず、わかってもらいたいことは、ここの連中は俺が狂っていると世間に思わせたがっていることだ、オズワルドが二週間前に運良く教科書倉庫に就職できたのは不思議でも何でもない、その情報を入手できたのはただ一人、ジョンソン・・・・奴こそ遊説の計画を立てた人物だ・・・暗殺で利益を受ける唯一の人物だった・・・”
”やつが暗殺を計画した。つまり、ジョンソンとやつの仲間だ・・・知らないだろうが、ジョンソンがどんな男で、陰でなにをしているか・・・・・・”


政府お抱えの精神科医は、ルービーのこうした手紙に見られる彼の言動を精神的異常の表われと主張する。