発見時の謎現場で凶器を最初に発見したのは、ダラス警察捜査班のシーモア・ワイツマン巡査である。工学士の学位を持ち、さらにかつて、スポーツ用品店を経営していた彼は、銃に関しては署内においても権威とされていた。彼はこう証言している”そのライフルは積み上げられたダンボールの箱の下に巧妙に隠されていた為、警官達は何度もつまずいたあげくにやっと発見された、その銃は7.65ミリのモーゼル銃であった”と、ドイツ製モーゼル・ライフル銃、非常に精度の高い評判のライフルである。同じくその場にいた保安官助手ロジャー・クレイグも、後に銃の金属部分には、モーゼルの文字があったと語り。保安官助手ユージン・ブーンも、ライフルはモーゼルだったと宣誓供述書を作成している。11月22日の夜中、ダラス地方検事ヘンリー・ウエイドは報道陣に対して、発見された銃はモーゼルだったと発表している。第一級品のモーゼルと、20ドルの通信販売のカルカノ・ライフルとでは大違いである。しかし、現場からカルカノの空の薬莢が三つ発見されたために問題がややっこしくなった。発見されたのは、六階の東南端の窓の近くで、三つの薬莢はほとんどくっついて、しかも、たがいに
平行に近い状態で落ちていた。しかしこの状態で薬莢が落ちることは絶対にありえない、発砲後の空薬莢は衝撃によって遠くへ飛んでいくものである。このような状態で残されるのは、狙撃者が発射後に薬莢を探してそろえて置くか、持ってきて置くかのどちらかしか考えられない。こうした問題があったのにもかかわらず、公式発表は現場から発見された銃は、カルカノ・ライフルであったと発表された。
カルカノ・ライフル1891年にこの銃はイタリアで誕生した銃で、その後何度も改良されてきた。ビルで発見されたといわれる銃は1940年式で、イタリア陸軍用に製作されたものの一つで、6.5ミリ口径の手動ボルト式である、ボルト式とは、ボルトレバーを前に押し、ボルトハンドルをおろして、銃弾を発射する。次に、ボルトハンドルを上に上げて手前にひくと薬莢が飛び出してくる、さらにハンドルを前に押し出しさらにボルトハンドルを降ろすと次ぎの弾丸が薬室に入るしかけになっている。第二次大戦中、日本軍がアメリカの自動ライフルに対して手元でガチャガチャやっていた、あれである。それに、本来カルカノ・ライフルは狙撃用のものではなく、型が古く照準の狙い通りに弾があたらなかったといわれている、加えて、当時安物の代名詞だった日本製の望遠照準器ときていれば、よほど使い慣れた狙撃手でなければ、標的にあてるのも困難であろう。事件後ウオーレン委員会はこの銃で実験をおこなっている。しかし、どんな射撃のエキスパートも委員会の期待に応える事ができなかった、標的に当てることができなかったのである。さらにこの実験でもう一つの事実が引き出されてきた、それは射撃の
間隔の問題である、実験は弾を装填した状態でスタートして3発の銃弾を発射するのにどれくらいの時間がかかるか?の形で行われた、要するに暗殺者は大統領を最初に撃つ状態では、すでに弾は装填してあった筈であるからスタートは発射である。次に薬莢排出・弾丸挿入・照準・発射の作業を二度繰り返し,三発目の発射で終了となる。被験者は射撃のプロ中のプロ、FBIの射撃専門官である。結果は最短の被験者で4.6秒、最長は6.5秒であった、しかし、弾は静止した標的にすら当たらなかった。と言う事は、命中を度外視してもこの銃の発射間隔は、最低2.3秒から3.25秒という事になる。この事は極めて重要な推論の元になる。 発砲回数の謎この項はケネディー暗殺事件の最大の謎であり、最も重要なポイントとなる疑問である、若干、頭を整理してから読み進んで頂きたい。
上の写真が225コマと255コマのものである、大統領はエルム通りをパレードする際、140フィートくらいの間、群集に手を振っていた。フイルムによれば、173コマから205コマ辺りまでは大統領が手を振っているのが見える。(188コマ目)これ以降は交通標識によって大統領の体はカメラの視界から消える、しかし照準器のカメラ、すなわち暗殺者の視界には210コマ以降大統領の体はハッキリと捕らえているのであった、そして、再びザプルータのフイルムに姿を現した225コマ目には、大統領は両手を喉に向け始め、頚部の負傷に対する反応を示し初めている。コナリー知事には特別な反応は見られない。次の255コマ目では、明らかにコナリー州知事にも反応が顕著に見られる、210コマから起算して0.8秒と2.45秒後の事である。すなわち、大統領の反応から1.5秒から1.6秒後にコナリー州知事は反応しているのである。 エドウイン・ウオーカー将軍狙撃事件事件の6ヶ月前の1993年4月10日、エドウイン・ウオーカー少将の暗殺未遂事件が発生している。この事件は、11月の事件当日まで未解決の状態であったが、ウオーレン報告書はこの事件も、オズワルドの犯行であったと断じている、報告書の意図はオズワルドがいかに殺人狂であり、所かまわず銃を発射する人物であるかを、強調する為なのであるが、逆に一歩ゆずってこの未遂事件がオズワルドの犯行であったとするならば、彼の射撃能力の低さを証明してしまう事になる。事件は自宅の書斎で机に座っていた将軍を約40フィート離れたフエンスの上から狙撃したと言うものである。この犯人はフエンスを銃架にして、特別時間的な制約もなく、じっくりと狙いを定めて、静止している標的を、わずか40フィートの至近距離から発砲したが、弾は将軍をかすりもしなかった。これがオズワルドの狙撃技術だったら。特別な銃架もなく、極めて時間的制約がある中で、動く標的を、ほぼ200フィートの距離からはたして3発中2発を命中させる事ができるというのだろうか。 証拠物件399ウオーレン委員会に提出され採用された証拠物件の通し番号399号は、ライフル銃の弾である。線条痕などの調査によって、凶器とされたカルカノ銃から発射されたものと認定されている。委員会報告によれば、この弾がケネディーとコナリーを傷つけた弾であるとされている、この弾二人の人間に合計7個の穴を空けた弾なのである。この弾はパークランド病院のコナリー知事が横たわっていたストレッチャーの上から発見されたものである。しかし、素人の私たちでも分かる通り、まったくといって言い程、弾に傷がない、ほぼ完全といって良いであろう。普通人間の骨に当たった弾は傷つき、形状もかなり変化する事は、常識である。この件に関しても委員会は実験を試みている、実際に凶器とされたカルカノ銃で死体の手首を撃ちぬいてみたのである、結果は弾は変形し委員会の期待通りには行かなかったのである。しかし現実に凶器のカルカノ銃から実際に発射された弾丸が、コナリー知事のストレッチャーから発見されているのである。ここに、一人の証言がある、11月22日の1時すぎ、大混乱のパークランド病院で取材中の、ダラス・タイムズ・ヘラルド紙の 記者セス・カンターは、一人の知人に呼び止められている。その知人は、急ぐカンターを捕まえて”大変な事になったな。俺は、店をしばらく閉じるべきだろうか”と話し掛けられている。その知人の名前は、ジャック・ルービー・・・・・・・ コナリー・テキサス州知事の証言コナリー州知事はウオーレン委員会で証言している。「我々が角を曲がったところで私は銃声を聞きました、これはライフルの音だと思いました。銃声が私の右の肩越しに聞こえたようでしたので、私は本能的に右を向きましたが、群集以外特別なものは見えませんでした。その時、大統領の姿が見えませんでしたので、おやっ、と思いました。ライフルの銃声と判断しましたので、すぐに、これは暗殺だとピンときました。大統領の姿が見えませんでしたので、左の肩越しに後部座席を見ようと体を捻ろうとした瞬間ドスンと、誰かが背中を殴りでもしたような衝撃を感じたのです。私が第一弾で撃たれただなんて、考えられません、銃弾と思われる衝撃を感じたのは、明らかに銃声を聞いた後でしたから。」次に、州知事夫人の証言を聞いてみよう。彼女は補助席の左側コナリー州知事の左側に座っていた。「あの時、私は、大統領を振り向いて”大統領閣下、あなたはもう、ダラスの人たちが、あなたを好いていないなどとは、おっしゃらないでしょうね”と声をかけました。多分、その直後だったと思いますが、音が聞こえました、私はライフルについてはまったく知りませんでしたので、それが銃声で
あるとは気がつきませんでした。音はビックリするほど大きく、右の方向から聞こえました。私は、右の肩越しに後ろを振り返りました。そして、大統領が首にてを当てているのを見たのです。その後に、夫を撃った二発目の銃声を聞きました。」コナリー夫妻は極めて明確に大統領の頚部を撃った銃弾と州知事を撃った銃弾は別のものであったと証言しているのである。 |