全文、実に三十万語、八百八十八ページ・付属文書二十六巻の膨大な”ウオーレン報告書”
これを読んだ人々の大半が不思議に思うことは、ケネディ暗殺の単独実行犯として名指しされているリー・ハーベイー・オズワルドの犯行動機に関しての明確な解答の無い事ではないだろうか。司法当局が、彼から「犯行動機」なるものを引き出すことが出来なかったかのは何故なのであろうか。その理由は現在では明らかになっていると言わざるを得ない。すなわち、彼は陰謀と言う名の大きな歯車の一つでしかなく大統領を殺す個人的な動機を、喋ろうにも持ちあわせていなかったからではないのではないか。ここでは、リー・ハーベイー・オズワルドが大統領暗殺犯として世界にその名前を知らされてから”死”までの四十四時間にスポットをあてる。

残された尋問調書

オズワルドは1963年11月22日午後一時四十五分ダラスのテキサス劇場で逮捕されてから、二日後の24日午前十一時二十一分、ジャック・ルビーに射殺されるまでの間、ダラスの市警本部において延べ十二時間の尋問を受けたことが明らかになっている。この間、主に尋問に当たったのはダラス警察のフィリッツ捜査一課長である。これに連邦捜査局(FBI)や大統領警護隊(SS)、テキサス州司法当局などの代表者が入れ替わり立ち替わり加わっている。この尋問の間、フィリッツ警部が12時間もの間、しかも相手は合衆国大統領の暗殺容疑者というのに、自分でメモも取らず、速記者も同席させず、テープレコーダでオズワルドの供述を録音もしていなかった。とウオーレン報告書は臆面もなく書いているが、はたして、捜査のベテランであるフィリッツ警部がそんな基本的なことを忘れるであろうか?
フィリッツは実際にはオズワルドの尋問について、一語残さずにメモを取っていたに違いない。なぜならば、ウオーレン報告書は「拘置中のオズワルドの供述」という見出しで、次のように書いている。
「・・・・・オズワルドは尋問の間中、ほとんど情報を提供しなかった。だが、自分で説明つかない証拠を突き付けられると、彼はウソと解っている言葉で逃げた。尋問でのオズワルドのこうした真実でない言葉を、ウオーレン委員会は積極的な有罪の証拠とは考えなかったが、こうした言葉は、自分はケネディ大統領もチピット巡査も殺していないというオズワルドの否定の重要性を判定するさいの証拠としての価値を持った。オズワルドが警察に対して繰り返し露骨なウソをついていたという別な証拠もあがっていたので、ウオーレン委員会は、有罪を否定するオズワルドの言葉をあまり重視しなかった・・・・・」
重視しないのは勝手であるが、はたして”真実でない言葉”や”繰り返し述べた露骨なウソの言葉”はいったいどこから出てきたというのであろうか。記録は一切ないと、同じウオーレン報告書は書いているにもかかわらず、である。このことは、尋問中のオズワルドの言葉はなんらかの形で記録されていたことが、はっきりと証明されるのである、しかし今日現在まで、オズワルドの尋問調書の類の物はいっさい公表されていないのである。すなはち、ウオーレン報告書の記述にある、”真実でない言葉”や”繰り返し述べた露骨なウソの言葉”の具体的な発言内容は闇の中なのである。ウオーレン報告書が”断定”するように、オズワルドがケネディ暗殺の単独犯であるのならば、オズワルドの自己弁護の言葉を細大漏らさず発表して、世界中の人々にオズワルドの”露骨なウソ”を判断させるのがスジというものではないだろうか。ダラス市警を中心とする司法当局やウオーレン委員会が、オズワルドの発言をすべてウソと決めつけ、あろうことか、結論だけを世界に向かって伝えるというのでは、アメリカ国民ひいては世界の人々の良識を無視していると言われても仕方がなく、民主主義の旗手を標榜するはずのアメリカ合衆国の底の浅さを非難されても仕方がないと言わざるを得ない。
容疑者オズワルドが、当局の不手際で殺害されてしまい、ケネディ暗殺事件の裁判が開けなくなった結果、この事件は二億五千万のアメリカ国民の総てを「陪審員」として真実を探し出すほかに手がなくなった以上、ウオーレン委員会は検事と裁判官の二役を兼ねるのではなく、国民に十分な判断材料を提供する誠実な検事役にとどまるべきだったのである。

Just a patsy!

ウオーレン報告書を読んで見て興味が引かれることの一つに、同じ「暗殺犯」であるはずのオズワルドとルビーを見る姿勢の決定的な違いである。
報告書の中でオズワルドは最初から最後まで「真犯人」扱いで、徹底的な不信の目で貫かれている。ここには「人は有罪と立証されるまでは無罪と推定される。」といった司法を志す人間ならば、だれしも最初に教え込まれる最低限のルールをも無視されているのである。反対に厳戒中のダラス市警本部に無法にも入り込み、何百万、否何千万もの人々がテレビで見守る中でオズワルドを殺害し、法の執行を妨害したルビーへの、ウオーレン報告書の記述には厳しさが欠けているどころか、どこか暖かみすら感じるのは自分だけの”ひがみ”であろうか。ここにはアメリカの民主主義の象徴である大統領を殺害した(はずの)オズワルドへの憎しみと、このオズワルドを射殺したルビーを「愛国心あふれる一市民」とみなそうとする意図がくっきりと見えてくるのである。
深い霧と謎のベールに包まれたオズワルドの44時間の間で、外部世界は、ほんの一、二度、その生の声を聞くチャンスに恵まれている。一度は11月23日を迎えたばかりの深夜、ダラス市警本部の地下会議室で行われた短い「記者会見」である。この会見はもともと正式な会見などではなく、報道陣からの強い申し入れに押し切られたカリー署長が、オズワルドの姿を一目見せる為に、一切の質疑応答を禁じる、と言う条件付きでしぶしぶ認めたものであった。しかし、実際に会見が始まると大勢のカメラマンがオズワルドに向けてフラッシュの十字砲火をあびせ、記者達はマイクをオズワルドにつきつけて次々と質問を浴びせ掛けた。オズワルドはこの極めて短時間の会見の中で、自分は別件逮捕されまだ一度も大統領暗殺の容疑では取り調べを受けていないこと、弁護士をつけるように望んでいるのに実現していないことなどを訴えている。ここに、その記者会見の質疑応答の総てを再録してみよう。

オズワルド
私は判事に尋問されました。これはごく短い時間のさほど厳しくない聴取でしたが、その際私のほうから弁護士をつけるのを認めてもらっていない事に抗議しました。今の状況がどうなっているのか、私には全く解りません。私が警官殺しの容疑をもたれている事以外、誰も何も話してくれないのです。これ以上のことは解りませんので、私としては誰かが私に法的な援助を与えてくれるよう要求します。

貴方は大統領を殺したのですか?


オズワルド
いいえ!私はその件で起訴されてはいません、実際のところ、まだ誰もそのことを私に告げた人は居ません。この件(注;暗殺容疑)を私が最初に聞いたのは、廊下にいた新聞記者の人達が私にその質問をした時でした。

オズワルドさん、目を負傷されたのはどうしてですか?

オズワルド
警官の一人が、私を殴りました。

オズワルドのナマの声はもうひとつある。この記者会見の前に、市警本部ビルの三階の廊下を護送されて行くオズワルドを目ざとく見つけた記者団が、遠方から大声で質問をなげかけた時に、オズワルドが答えを叫んだ時の言葉である。「ウオーレン報告書」にはこの事の記述は一切ない。この時のオズワルドの短い言葉はいまや歴史の中にしっかりと焼き付いているのである。「あなたはケネディ大統領を殺したのですか?」との記者団の質問にオズワルドは、こう答えた。

「 No,sir, I didn't kill anybody, I am just a patsy ! 」

「いいえ、私はだれも殺してなんかいません。私は、身代わりに過ぎないんですよ!」オズワルドが自分の立場を形容した「パツィー」は俗語である。”責任を負い込む人、他人の罪を負う人、身代わり、だまされやすい人、お人好し、カモ”などという訳語があてられている。オズワルドのこの言葉には、自分は小物でしかなく、陰謀の大物達にまんまとはめられて、自分が真犯人にされてしまった事への怒りが感じられるのは自分だけであろうか?
オズワルドがケネディ暗殺という大犯罪をまったく一人でなしとげた「確信犯」であるならば、歴史に残る仕事を成し遂げた達成感から高揚した気持ちや誇らしげな言葉が出てこない事のほうがおかしいのではないだろうか。アメリカ史上初めての大統領暗殺犯ジョン・ブースがリンカーン大統領を殺害した直後、舞台に降りてラテン語で「こは常に暴君の運命にこそ」と叫んだ(この言葉は、シーザー暗殺直後のブルータスの言葉とされている。)ことは、あまりにも有名である。暗殺の極めてわかりやすい犯行の動機を示唆するようなオズワルドの言葉は、ついに彼の口から出る事はなかった。それどころか、警察本部に拘置中のオズワルドは、自分の救済を哀願するほどであったと言う。もし、オズワルドが大事業を一人でなしとげたのであれば、報道陣と会う機会を自分から求め、暗殺の動機や理由、とりわけウオーレン委員会の言うところのマルクス主義者であった自分が信奉する信念に基ずいた、今後のアメリカのビジョンなどを、まくしたてていたに相異ないのである。なのに、彼はたった二回の報道陣との接触の機会には、自分は小物で弁護士をつけてくれと強調する事に終始したのであった。