リー・ハーベイ・オズワルドが実行犯とするならば、彼の行動、犯行に使用されたとされる凶器の特定や動きなどを正確かつ詳細に検証しなければならない事は当然である。報告書では様々な場面でそれはなされているが素直に納得できない部分が数多く存在することは他のコンテンツにおいて縷々述べてきた通りである。この項では、オズワルドが教科書倉庫ビル内にどのようにして凶器を持ち込んだのかについて検討して見たい。

発見

左の写真は「委員会証拠番号1302番」であるが、有名な「暗殺者の巣」と題された「証拠番号1301番」と”対”を成した形で取り上げられているものである。この「暗殺者の巣」の東南隅で一枚の紙包が発見された。(写真右側点線で表示されている)結果的に、この紙包みがオズワルドが教科書倉庫ビルにライフルを隠し入れ、持ち込んだときの紙包みと認定されたのである。この紙包みがオズワルドがライフルを入れて倉庫ビルに持ち込んだ物である事の証拠を、報告書の記述によって追いかけてみる。
「包装紙とテープで作った手製の紙袋は狙撃のあった六階東南隅の窓際で発見された。この紙袋は通常、店で買えるような型のものではなく、大きさはカルカノ銃を分解して入れる事のできる大きさであった、それが東南角の位置で発見されたと言うことは紙袋がライフル銃の包として使われた事を示す証拠である。さらに、この紙袋からはオズワルドの指紋と掌紋が検出されており、その掌紋は、重いかさばる物体を包んで持ち運んだ時の圧力によって出来るものと一致した。さらにその紙袋の素材はオズワルドの勤務する倉庫ビルの発送室から入手した包装紙やテープの素材とまったく同一のものであった。」以上が報告書に述べられた記述の概略である。それではより詳細に、この紙袋に関する疑惑を紹介していこう。

カーテンレールとライフル

疑惑の内容を理解していただくために11月21日から22日のオズワルドの行動と証言を話しておきたい。事件前の10月からオズワルドは妻マリーナと別居していた。オズワルドはダラス市内のベックリー街の下宿屋に、妻マリーナはダラスから約24キロほど離れたアービングと言う町のルース・ペイン夫人(左写真)宅に住んでいたのである。通常オズワルドは金曜日の夕方アービングに行き、月曜日の朝ダラスに戻る生活を続けていた、このサイクルが狂ったことは10月21日の月曜日にマリーナの出産があった時だけであったと言う。その間の移動には、同じ教科書倉庫ビルに勤務しペイン夫人宅の近所に住むウエズリー・ビュエル・フレージャー(右下写真)の車に同乗させてもらっていた。1963年11月21日は木曜日であったがオズワルドはフレージャーに「自分のアパートに取り付けるカーテンレールを取りに行きたいので」と同乗を依頼している。翌22日朝7時15分頃、再びフレージャーの車に同乗して出勤するためにペイン家を出たオズワルドが、長い紙包みを持っているのをフレージャーの家に同居していた彼の妹ソニー・ランドル夫人が食堂の窓越しに目撃している。ランドル夫人はその紙包みの長さを『28インチ(71センチ)位』であったと委員会で証言している。さらに、出勤途中フレージャーは後部座席に置かれた紙包みを見て「リー、その包みはなんだい」と尋ねるとオズワルドは「カーテンレールだよ」と答えたと証言してその長さは『2フィート(61センチ)位』であったと供述している。さらに、実物の紙袋を見せられて、ランドル夫人は「オズワルドが持っていた紙袋はそんなに長くは無かったが、幅はだいたい同じくらいであった」と述べ、フレージャーは「オズワルドが持っていた紙袋は、この紙袋と幅が同じ位かどうかは疑わしい」と述べている。
もう一つはライフルの問題である。当時別居していたオズワルド夫妻はその家財道具のほとんどをペイン夫人宅のガレージに保管していたのであるが、その中にライフル銃もあった、そのライフルは『古びた茶と緑の毛布』に包んで保管してあったと言う。この毛布に包まれたライフルには後日談がある。事件を知ったペイン夫人がマリーナに「誰かが、リーの働いている教科書倉庫ビルから大統領を撃ったんですって」と告げた時、マリーナは一瞬「ドキッ」としてガレージに向かい、毛布が以前のままの状態になっているのを見て安心したと証言している、しかし、後日警察官がきて「オズワルドさんはライフルを持っていますか」と聞かれたので「はい、ここにあります」と言って毛布を持ち上げると、真中から折れ曲がったと言うのである。この様な経過から報告書はこう結論する。「オズワルドはペイン夫人宅に保管してあったライフル銃を取りに行くため21日にアービングに向かった、翌朝フレージャーに疑われないように事前に「カーテンレール」を取りに行きたいと告げていたのである」と

疑惑

報告書によると、オズワルドが大統領を狙撃した銃は「マリンカ・カルカノ銃」。その銃の全長は40.2インチ(100.5センチ)と言うことになってる。(別掲の項目でも詳細)この銃を分解したとしても『34.8インチ(88.4センチ)』にしかならないのですが。報告書にいわく、現場で発見された紙袋の長さは『38インチ(96.5センチ)』である。したがって十分にその銃身を包み込むことが出来たはずであるとしている、しかし、その紙袋を事件前に目撃した人物はランドル夫人とフレージャーの二人しか居ない。(ちなみに、この日の朝、教科書ビルで出勤途中のオズワルドと言葉を交わしたもう一人の人物、ビルの支配人ロイ・トルーリの記憶は曖昧で、「オズワルドが紙包を持っていたのかどうかはハッキリしない」と証言する) ランドル夫人とフレージャーこの二人の証言が、方や「28インチ(71センチ)」であり、方や「2フィート(61センチ)」である。だれしも内容物より袋のサイズが大きければ折りたたむのが普通であるので、その差最小値をとっても17センチ、折りたたまなければ25センチ。それくらいの誤差は見た限りでは判断がつかないと思われる方も多いと思いますが、まさにその通りの結論を委員会は述べるのです。「フレージャー氏とランドル夫人の視覚による記憶と、オズワルドが紙袋の中に凶器を隠して運んだとの証拠を勘案して、『二人は紙袋の長さについて間違っている』との結論を下した」と記すのです。報告書の中には銃声の数に代表されるように「見間違い」「聞き間違い」との結論の何と多いことか。こう言ってしまうと身もふたもないので一応、報告書の言うところの「凶器を運んだ証拠」として報告書の挙げる証拠について繰り返すと、前述のように「袋の素材は倉庫ビルの発送室から入手した包装紙やテープの素材と同一のもの」であり「紙袋についたオズワルドの指紋と掌紋」の存在を挙げるが、この事はオズワルドか他の従業員がその紙袋を作った、もしくはオズワルドが触ったことの証拠とはなり得るがオズワルドがライフルを入れて持ち運んだ証拠にはならない事は明らかです。そこで報告書は最後に、ニュアンスとして(私だけかも知りませんが)科学的な証拠を提示するのです。以下長文になりますが報告書の記述を引用すると、「FBI研究所のポール・ストソポー氏は、紙袋を調べたところ、内部に褐色の色あせたビスコース化学繊維と、いくつかの薄緑の綿繊維をみつけた。例のライフル銃をくるんであった毛布は、緑と褐色の綿繊維、ビスコース、毛繊維から構成されていた。紙袋についていた褐色のビスコース繊維は、毛布の禍色のビスコース繊維の顕微鏡で観察しうるすべての特徴と一致した。ストソボー氏は次のように結論する。「ここで言えることは、これらの繊維が例の毛布から付着したということだ。ラィフル銃を包んであった毛布の繊維がライフル銃に付着し、それがさらに紙袋に付着したものだ」と、オズワルド・毛布・ライフル銃などを、六階で発見された紙袋に結びつけるこれら証拠に照らし合わせて委員会は、オズワルドがライフル銃を紙袋に入れて教科書倉庫ビルに持って行ったかどうかを判定するに当たり、ストソボーの鑑定は十分に価値あるものと考えた。」何かもっともらしく抗弁の余地が無い内容に思われるかと思います。ところが、一度でも銃器に触れたことのある方でしたら何か変だなと思われることでしょう。銃器は常時手入れをすることが必須の作業です、何年間も手入れをせず放置すれば最悪の場合使い物にならなくなってしまいます。その時、主に使用される手入れ用品の必需品は「ソルベント」と呼ばれる油性の液体です、また銃身等の皮膜作りとして「灯油」も使われます。このように一度でも銃器の手入れを行えばかなりの量の油成分が銃器には付着しているはずです。報告書がとうとうと述べるように、紙袋に銃器を梱包していた毛布の繊維が付着するくらいであれば必ず油成分も紙袋から検出されなければなりません、油成分の検査さえ行えば、かなりの確率でその銃器を特定することすら出来るはずです。少なくとも毛布の繊維で証明する事より、より現実的に銃器そのものが紙袋の中に存在した証明になるはずです。このような常識とも言えることに一切言及していないと言うことは油成分が検出されなかったか、もしくは何らかの不都合があったのではと”勘繰られ”ても致し方の無い事になるのではないでしょうか。

12時30分までライフルは何処に

以前アップしたコンテンツの中に理解できない問題の一つとして「仮にオズワルドが22日朝出勤時ライフルを倉庫ビルに持ち込んだと仮定して、犯行時間の12時30分まで、そのライフルを何処においていたのか」と言う問題があります。まさか勤務時間中に常時持ち歩いていたわけでもないでしょうし、倉庫内のどこかに置いてあったはずです。しかしこんな事が信じられるでしょうか、倉庫内では他の従業員が作業をしているのですし、少なくとも教科書倉庫内では異物になるものですからいつ見つかるか解らない状態であったはずです。(私も少年時代、手に入れた不道徳な書籍?を自宅の解らないであろう場所に置いておいたのですが、いつ見つかるか心配で心配で ^0^; )それでは、従業員用の個人用ロッカーにでも入れておいたのでしょうか、あいにく私は、教科書倉庫ビルの何処に従業員用のロッカーが有ったのか、その存在の有無も含めて知りませんので不確かなのですが、もしロッカーが有ったと仮定すると常識的には2階か1階にあったと思われます。事務所や食堂の施設の集中するフロアーであり他のフロアーではありえないと思います。すると、いつの時点かでオズワルドはそのロッカールームに行き紙袋を6階まで持っていかなければなりません。それは11時55分以前では有り得ないのです。別項にアップしてありますように「11時55分に古参従業員のチャールズ・ギブソンによって倉庫ビルの6階で目撃」されているからです。加えて従業員ポニー・ウイリアムズが12時15分から20分の間まで6階で昼食を摂っていた事実を考えに入れると、はたして朝の出勤後昼近くまでの間オズワルドはその紙袋をどこに置いておいたのか、この疑問に答える文献をわたしは知らないのですが。