事件に対するダラス警察の対応には極めて不思議な事が数多くみられる、ここではそのダラス警察に焦点を当ててみる。

早すぎた警護体制解除

ザプルータフィルムをご覧になった方は、もう一度再生していただきたい、(一回ダウンしてあればすぐ出ます)その時、沿道にいったい何人の警察官が写っているか見て頂きたいのです。ザプルータフィルムは、ヒューストン通りからエルム通りへ専用車が左折するところから、スピードを上げて陸橋にさしかかるまでを写していますが、なんと驚くべき事に、一人の警察官も写しだされてはいないのです。それに対して、アップはしていませんが、ヒューガスフィルムは、メイン通りを走り、ヒューストン通りに右折するシーンを写し出していますが、わずか数メートルの間に映像から確認できるだけで3名の警察官が映し出されています。結論から言うと、ヒューストン通りからエルム通りの沿道には警察官は配置されてはいなかったのです。正確にいえば、ダラス警察はメイン通りを大統領専用車が右折した時点で警護体制を解除していたのです。この点に関してダラス警察はその地域に入ると見物人がほとんどいなくなる為だと釈明している。しかしこれは考え方によってはおかしな論理である、殺人者は人込みの中での犯行より、人けの無いところでの犯行を好むのではないだろうか。それに、この 区間は直角や鋭角にと二度に渡って専用車のスピードが極端に落ちる区間なのである。当然危険度が高いと判断するのが自然である。百歩ゆずって、ダラス警察の釈明を額面通り受け取ったとしたら。
・・・もし、警察が見物人がいないと言う理由から危険の高いと思われる地域の警備を解除したなら、警察はなぜそのような地域をパレードのルートに含める事を是認したのか?もし、他に安全なルート(ここでは、メイン通りの直進)があったとしたら・・・特にその疑問は膨らんでくる。

チピットは、なぜ居たか?

ダラスの警察官J、D チピット巡査の殺害事件に関しては別ページで触れているが、なぜ、彼が自分の管轄外の地区である所のオーク・クリフ地区に居たのかダラス警察からは説明はない。彼は、勤続15年の警察官で、ジャック・ルービーとは親しく、ルービーの姉の証言をかりれば、彼らは、親友同士であった。そんな彼が、一応、緊急事態に備えて、という名分はあるにせよパトロール巡査の彼が、まだオズワルドのオの字も分かっていない時期に、よりによって、中心部から遠く離れたオズワルドの下宿近くの地区のパトロールを命ぜられたのか、偶然の一致とするのはさて置き、これも謎の一つである。オズワルドの下宿の女主人の証言では、オズワルドが下宿に戻ってきた時、オズワルドの部屋の前にパトロールカーが低速で近ずき、停止し、クラクションを鳴らしてからゆっくりと走り去っていった、という。ウオーレン委員会はこの証言は誤りであると切り捨てているが、パトカーを他の車と見間違える人間がいるだろうか、万一、この車に乗っていた警察官がチピットであったなら極めて重大な推理が成立するのである。

無言の記者会見

11月22日の深夜、ダラス警察の地下にある、面通し室で奇妙な記者会見が開かれた。ダラス警察署長ジェシー・カリーは部下の反対を押しきりオズワルドを記者会見の席に出席させる事を決めた。しかし、この記者会見の目的がいったい何なのか、いまもって判然としない、なぜなら、質問はいっさい禁止されたのである、質疑応答のない記者会見に何の意味があるのであろうか。ウオーレン委員会証拠物件2424号は一枚の写真である。この写真は、深夜開催された異常な記者会見の席にジャック・ルービーが居たことを証明している。とすると、この記者会見に意味がでてくる。当時のテキサス州法では、殺人罪などの重罪で起訴された被告は市の留置所から12時間以内に郡刑務所に移さなければならなかった、したがって(オズワルド本人には知らされていなかったが)彼は22日の夕刻には、殺人罪で起訴されていた。したがって23日の朝には、郡の保安官に引き渡されなければならなかったのである。急遽開かれた(拳銃を胸に隠し持ったルービーの居る)無言の記者会見、しかも、オズワルドは完全に無防備の状態で引き出されたのである。しかし、この記者 会見は一人の新聞記者のルール違反によって、極めて突然に中止された。その記者は”あなたは、大統領殺人の罪で起訴されているが、事実なのか?”と聞いたのである。この時オズワルドは、はじめて自分が大統領暗殺の犯人として起訴されていると言う、周囲の全ての人物が知っている事実を知ったのである。それまで彼はチピット殺しの容疑で逮捕されていると思っていた。この記者会見以降、彼はこう叫んでいる”私は囮なんだ!”と・・・・
この記者会見終了後、ダラス警察署長ジェシー・カリーは郡保安官の引き渡し要求を拒否し続け、とうとう、36時間以上もダラス警察の拘留所にオズワルドを引き止めたのである。

無防備の移送

11月23日の夜には、ダラス市内にはオズワルドが殺されるといった噂が流れていたといわれている。これだけなら、警察が噂にひきずられる事など無い、で済まされるが。郡保安官のデッカーが正式にダラス警察に対し、オズワルドの身柄に危険な兆候が存在する事を警告している。にもかかわらず、彼の移送は極めて不用心に行われている。1963年11月24日午前11時20分、このオズワルド殺害のシーンは全米に中継されていた。私も、同時中継ではないが、このシーンをみていた一人であるが、両脇を刑事に抱えられただけで、カメラマンや新聞記者が目の前にマイクやカメラを突き出している中を進んでいるのである。少なくとも、大統領殺害容疑者で、身辺に危険な兆候を警告されている人物の移送には見えない。それも、新聞記者でもない一市民の殺人者が自由に側まで近ずけるような容疑者移送である。しかし、ダラス警察もここの場所でだけは、極めて用意周到な手配をしていた、護送車の隣に救急士の乗った救急車が待機していたのである。オズワルドが撃たれた直後、救急士は間髪をいれずに飛び出してきて応急処置をしている。かれの顔に酸素マスクを被せたのである。とこ ろが、この処置は専門家に言わせると、銃弾で傷ついた患者の応急処置としては、不適切なのだそうである、なぜなら、純粋酸素によって傷口からの出血がはげしくなるとの事である。では、なぜそんな不適切な処置を、いの一番にしたのか、彼のいまわの言葉を、防ぐ為、と言うのは考えすぎであろうか。しかも、周りではテレビカメラが回りマイクが音を拾っているのである。