運命の日の午後1時15分一台のポリスカーが、ダラス市オーク・クリフ東地区十番街を東に向かってパトロールしていた。乗務する巡査はJ・D・チピット。1952年ダラス市警に入った「立派な、献身的な警官」(カリー署長談)であった。車の無線は先ほどらい大統領暗殺犯人容疑者の体格身長をがなり立てていた。パットン通りとの交差点を20メートルほど過ぎた所でチピットは十番街の南側を東に向かって歩く一人の人物を認めた、男の風体は無線で流れる手配の人物に似ていた。チピットは男に自分の車のところまで来るよう言い、前方右側の窓ごしに男と二言三言話したように見えたと言う、チピットは車から降り、車の前方を回ってその男に近ずこうと車の左前輪のところまで来た時、男はレボルバー短銃を取り出し数発発射した。四発がチピットに命中して、彼は即死した。男はパットン通りの方角に戻りながら空の薬莢を捨てながらジェファーソン大通りの方角にむけ走り去った。これが、チピット巡査殺害事件の総てである。この殺害事件もオズワルドの犯行とされ、この数分後にテキサス劇場で逮捕されるのである。今回はこのチピット巡査殺害事件にスポットをあてる。

事件の核心を垣間見せた出来事?(一つの仮説)

話を進める前に二つの前提条件を承認して頂きたい。まず、オズワルドは事件の「囮」であった事である。この事は逮捕後ダラス市警の廊下でとりかこむ報道陣に対して「私は囮なんだ!」と叫んだオズワルドの言葉が有名である、はたしてこのオズワルドの発言は正しいのかどうかである。例えば、ある殺人事件があって、警察に逮捕された犯人が自分の犯罪を隠す為、もしくは事実無実であったならば、報道陣や群集にむかって何かを叫ぶとしたら一般的にどう叫ぶであろうか。洋の東西を問わず通常「私は無罪だ!」もしくは「俺はやってない!」であろう。当然、オズワルドも同様な発言を何度か報道陣にしている。しかし、それらの発言の流れの中でこの「囮」発言が飛び出したのである。もしオズワルドがウオーレン報告の言う通り「完全な単独犯行」であったとしたならばオズワルドは世界一流の脚本家と言う事になってしまう、まだ事件発生からまる一日も経っていない状況下で、その後の世論を混乱に巻き込むような発言を彼自身で考え出し、そして叫んだ「私は囮なんだ!」と。事実この発言によって暗殺事件の解明の流れが大きく二つに分かれてしまった、ウオーレン報告書発表前の事件研究家のほとんどがこの「囮」発言によって疑惑の萌芽を見つけたのである。それでは、オズワルドが脚本家でもない、ごく普通の人間であったのであればこの「囮」発言はなぜ飛び出したのであろうか。唯一考えられるのは、彼に「自分は囮だったんだ」と言う事を、自分自身に認識させる何らかの事件の存在があった可能性が高いのではないだろうか。重複を恐れずに言わせてもらうと「大統領暗殺」といった巨大陰謀が進められるとしたならば、それこそ半端なスパイ作戦などよりも、綿密な計画の元に進められたはずである。自分自身の役割がいったい何処に有るのか、今、自分がやっている行為がはたして何の目的の為に行われているのか、彼らは決して知ることはなかったであろうし、知らしめてはならなかった筈である。その中でのオズワルドの使命が「囮役」であったとしたら。教科書倉庫ビルの二階でベーカー巡査と向き合った時点でのオズワルドはまさにその役割を演じていたにすぎなかったはずである、しかも、彼自身実際にライフルを発射していなかったならば(この事はパラフィンテストの結果からも明白であるし、彼が入念に硝煙を洗い流す時間的余裕が無かった事はウオーレン報告書からも明らかである)平静にその役割を演じきることが出来た筈である。彼、リー・ハーヴェイ・オズワルドは大統領暗殺事件における「囮」の役割を演じていたに過ぎない。この事をまず第一の前提条件として頂きたい。
次に、大統領暗殺事件に極めて高度な陰謀が散在した、という前提条件である。「囮」の証明のように、この場で可能性の推定を簡単にする事はできない、なぜならばこの事自体をすべての研究者が証明しようと努力しているからであり、簡単に証明する事はできない。そこでこの場では「大陰謀」があったと仮定して頂きたい。それではこの陰謀の指導者の考える「囮」とは、いったいどんな役割を考えるのであろうか。事件は起こった、いかに自分自身の役割を知らしめずに計画を推進するとしても、実際にライフルの引き金を引いた人物にはその目的を知らしめずに実行することは不可能である、それではそれらの実行犯達にはどのような保証があったのであろうか。勿論、実行犯達にはこれから実行しようとしている事に対する信念は持っていた筈であり、彼らにとっては「正義」を実行するだけであった事は事実であった筈である。そうでなければ「大統領を撃つ」などと言う事は簡単に承諾できる事ではない。それでも、彼らはなんらかの保証を求めたのではないだろうか。それでは、陰謀の指導者は実行犯に対してどのような保証をあたえたのであろうか。その保証は、「君達が訴追される事はない」といった保証以外には考えられない。ではそのような状況が作り出される状況とはいったいどのような状況であろうか。考えられるのは「犯人(とされる)が法廷に出る事無く死亡した場合」に限られるのでないだろうか。そして、その為の犯人とされる為の人物も用意されている、と彼らに説明していたのではないだろうか。そして、その人物こそ「囮、オズワルド」であった筈である。そして陰謀の指導者は、犯人オズワルドが司直の手に落ちる事がなく死亡する為の準備もしていたと考えることが極めて自然なのではないだろうか。

”刺客”J・D・チピット

これまで長々と前提条件を書き連ねたが、この前提条件を元に考えるとチピット巡査殺害事件で不自然とされる数々の現象がすべて完璧に説明できるのである。それではチピット巡査殺害事件で極めて不自然とされる事とはいったい何であろうか。
@ オズワルドの下宿前に、一台のポリスカーが止まった。
A チピット巡査のパトロール管轄地区は別の地域であった。
B 警邏業務を一人で行っていた。
C 不審尋問の手順が杜撰であった。
D チピットとルビーの交友関係はただの偶然か。
大雑把に以上の五点が上げられるが、一つ一つ見てみよう。
オズワルドの下宿の掃除人アーリン・ロバーツの証言である。彼女はオズワルドが下宿に戻った22日午後1時頃、彼の下宿にいた。オズワルドが(彼女の表現を借りれば)あわてた様子で下宿に戻ってきた。彼女はオズワルドに対し「まあ、急いでいるのね」と声をかけたがオズワルドは黙って奥に入っていったと言う。その時ベックリー通りを一台のポリスカーが低速で近ずき、停止し、クラクションを鳴らしてからゆっくりと走り去っていった、というのである。さらに、チピット巡査は事件当時オーククリフ地区の西側、ランカスター通りから8番街の地区を担当していた、事件現場はオーククリフ地区の東側にあたる、そしてチピットはポリスカーに一人で乗務していたのである。ウオーレン報告書はこの事を「チピット巡査はオーククリフ地区を自由にパトロールする事ができ、住宅街の日勤パトロールは通常一人で配備されていた」とさりげなく述べている。この事が事実であるのかどうかダラス市警の当時の規則を確認できないので何とも言えないが、我々の通常の常識からすると、「自由にパトロールする権限」とか「住宅街については一人乗務」と言った特例はあまり素直には受け入れにくいのではないだろうか。さらに最大の疑惑はチピットの不審者尋問手順にある。ウオーレン報告書の記述によるとその時の状況は以下のようになる。「午後1時15分頃チピットは十番通りを東に徐行しながらパットン通りとの交差点を通過した。交差点を100フィートほど過ぎた所でチピットは十番街の南側を東に向かって歩く一人の人物を認めた、男の風体は無線で流れる手配の人物に似ていた。チピットは男に自分の車のところまで来るよう言った。男は車に近ずき、前方右側の窓ごしにチピットと言葉を交わしたように見えた、チピットは車から降り、車の前方を回ってその男に近ずこうと車の左前輪のところまで来た時、男はレボルバー短銃を取り出し数発発射した。」後述するが、この事件には多くの目撃者が存在する。この中には報告書の記述の中の「前方右側の窓ごしにチピットと言葉を交わしたように見えた」との部分を「親しげに話していた」と表現する人物も存在する。左の写真は”映画JFK”の撮影の時に忠実に再現されたその時の状況写真である。この事は目撃者の極めて主観に関する問題であるが、皆さんもその現場でこのようなシーンを見た時どの様に思われるでしょうか。問題は「親しげ」かどうかは別問題としても、警察業務にまったくの素人の自分でも不審尋問の手順としては絶対に起こり得ないシーンであることは一目瞭然ではないでしょうか。しかも1960年代のテキサスである(現在でも同じような状況かも知れませんが?)ほぼ全員が銃を所持している事が常識の時代そして場所柄である。そしてジャック・ルビーとの交友関係である、ルービーの姉の証言をかりれば、「彼らは親友同士であった」のである。確かにルビーはダラス市警の人脈には商売柄、長けていた事は事実である、がしかし、またしても偶然の山がまた一つ築かれた事だけは否めないのである。さて、これらの疑問点をたった一つの仮定「司直の手に落とす事無く死亡させる」と言った囮としての究極の使命をオズワルドに果たさせる事がJ・D・チピット巡査の役割であったとするならばどうでしょうか、先ほどの疑問は何の苦もなく説明できるし、大統領暗殺犯人は逃亡中、警察官の不審尋問にあい、銃で抵抗した為献身的な警察官によってやむなく射殺された。まさに、すべての国民が十分に納得できる筋書きなのです。指示された行動を忠実に実行していたオズワルドは”刺客”の出現にいままでの行動の総ての意味が瞬時に理解できたことでしょう。自分は「囮」だったんだ!と。その瞬間から初めてオズワルドは逃亡者となったのです。そしてテキサス劇場で警察官に取り囲まれた時の彼の行動は、逃げる為の人間としての当然の行為であり教科書倉庫ビルで見せた演技者オズワルドとの違いがはっきりと浮かび上がったのです。そして彼はつぶやきました”すべては終わった”と

目撃者達(もう一つの仮説)

チピット巡査殺害事件には数多くの目撃者が存在する。しかし、事件後のダラス市警の尋問にたいして明確に事件現場から走り去った人物がオズワルドであると正当な手続きによって証言できた人物は一人も存在しない。 目撃者達の位置関係地図
事件を最初に警察に通報したのは、小型トラックを運転して現場を通りかかったドミンゴ・ベナビテスであった。ベナビテスは、事件のあった十番通りの北側で事件を目撃している。彼はチピットの警察無線を使って午後1時16分に事件を知らせた。彼は草むらの中から空薬莢を二つ見つけて。到着した警官J・M・ポー巡査に渡している。22日夜警察に対して、犯人をハッキリ指摘できそうにないと述べたが、後にテレビで見たオズワルドの写真がチピットを撃った男に似ていると述べたとされている。しかし、その後のベナビテスは終始一貫して犯人はオズワルドではなかったと主張している。ダラスの下町でウエイトレスをしているヘレン・マーカムは、パットン街交差点で十番通りを横断しようとした時事件を目撃した。彼女は犯人の風体について「背が低く、小太りで。モジャモジャの黒髪」と表現して警察に報告している。バーバラ・ジャネット・デービスとバージニア・デービスの姉妹は交差点の東南角のアパートの中で、銃声とヘレン・マーカムの悲鳴を聞いた。二人は戸口に出ると、一人の男がレボルバー短銃を持って家の前の芝生を横切り、家の角をパットン街のほうに向かって走っていくのを目撃している、その時、男は「弾倉を開いて振っていた」と証言した。後刻、芝生の位置から二つの空薬莢が発見されている。ウイリアム・アーサー・スミスは交差点から一ブロック東に離れたデンバー通の交差点にいる時、銃声を聞き、男が西のほうに走り去り、警官が倒れているのを見ている。しかし、彼はこの事を警察には通報せず数日後になって届け出でいる。オズワルドの逃走についてのいま二人の重要な目撃者は、パットン街にある中古車業のテッド・キャラウエーとその雇人サム・キンヤードである。キンヤードは三発、キャラウエーは五発の銃声を聞いたと言っているが、二人がパットン街の歩道に飛び出してみると、一人の男がパットン街を南へ短銃を右手に高く上げて走ってくるのが見えた。キャラウエーはその男に「おい、一体どうしたんだ」と声をかけると足をゆるめて立ち止まり、何か言ったあと、ジェファーソン大通りに行ってしまった。と証言している。さらに、ジェファーソン大通りの反対側ではウオーレン・レイノルズ、ハロルド・ラッセル、パット・パターソン、L・J・ルイスの四人の男がこの様子を見ていたが、この四人の男のうち、レイノルズとパターソンはその男を追いかけたが男は一ブロック行ったところで住宅地の中に入り込んでしまった為に見逃してしまったと言う。これらの目撃者のうち、特にキャラウエー、キンヤード、レイノルズ、パターソンの四名のうちレイノルズはその男がオズワルドである事を最後まで認めなかった。それに、これらの目撃者が警察で面通しをおこなった時にはすでにオズワルドは、大統領殺害犯人として逮捕され、大々的に報道され、その顔写真が各新聞に掲載された後のことであった。実質的にこれらの面通しは相当の先入観が入り込んだものであり証拠にはなりえないものであろう。特に、それらの証言者のなかで最後までオズワルドがその犯人ではないと主張し続けた人物が数人存在する事が特筆されるのである。この様に数多くの証言者が存在しそれらの言動を詳細に記録しているウオーレン報告書であるが、ここで極めて重要な証言をした人物が、例によってウオーレン報告書からは抜け落ちている。この証言はチピット殺害事件の捉えかたとして「チピット刺客説」とは別に、もう一つの仮説を提起している。チピット殺害事件そのものが陰謀の一つでありオズワルドがいかに狂暴であるかを再度強調する為にしくまれた事件であるとの推定である。彼女の名前はアキラ・クレメンス。彼女はFBIの調査にもウオーレン委員会にも証言を求められていないのであるから、公式記録に出てこないのは当然であるが、彼女はダラス市警の尋問に次のように答えている。「犯人はチピットが来る前にもう一人の男と一緒に現場付近に立って話をしていた。チピットが来た時、そのうちの一人が彼を射殺した、それから二人は別々の方向に逃げ去った」と言うのである。さらに、「撃った男は太り気味で背は低かった」と証言している。もう一人、もっとも至近距離で事件を目撃し警察に事件を通報したベナビテスもFBIからもウオーレン委員会からも尋問されていない。しかし第一通報者である為、名前だけは登場する。彼は最後まで「犯人はオズワルドではない」と言いきっている。マーカムは、彼女が見た犯人像を「背が低く小太りで。もじゃもじゃの黒い髪をした人物」と表現している。このように事件を最も近くで目撃した三人が三人とも犯人はオズワルドでは無いと推測しているのである。これらの証言があったことは警察無線の記録から明らかである。1時22分に流れた警察無線は、目撃者の報告した犯人の人相から次のような緊急情報を記録していら「殺人犯人は30歳くらい、5フィート8インチ。黒髪」と。オズワルドの髪は茶色である。ちなみにこの「背が低く小太りの男」をジャック・ルビーであると推定する研究者も存在する。しかし、ほぼ同じこの時刻にルビーをパークランド病院で目撃したとの証言も存在する事も事実である。
これらの証言者の中で最も強硬にオズワルドが犯人ではないと主張したベナビテスには後日談がある。彼の双子の弟 エディ・ベナビテスは事件から三ヶ月後、何者かに頭部を銃撃されて死亡している。当然の事のようにこの事件は未解決のまま終わり、原因もなにも不明のままである。エディの友人達には彼が殺される理由は全く見つからなかった。たった一つの理由を除いて。エディと、ドミンゴは、人には見分けのつかない程良く似ていたというのである。