私は、コンテンツ「チピット巡査殺害」の項目で二つの仮説を述べさせていただいた。一つは「囮、オズワルドの仮定」にたった”チピット刺客説”。もう一つは目撃者の証言から類推する”オズワルド無罪説”(チピット殺害に関して)である。今回は前回取り上げなかった違った側面で考えてみたいと思う。

下宿に戻るまで

テキサス教科書倉庫ビルを出たオズワルドが北ベックリー通りにある彼の下宿に着くまでの時間経過を、ウオーレン報告書の記述通りにおさらいしてみよう。
「事件の発生から3分後すなはち12時33分、オズワルドは教科書倉庫ビルを出たことになっている。そしてエルム通りを東に向かって歩き始める、そしてマーフィー通り(現在は存在しません)とのT字路近くのバス停からマルサリス行きのバスに乗車する。(マルサリス行きのバスはオズワルドの下宿近くには停車しない。同バス停には、オズワルドの下宿近くに停車するベックリー行きのバスも停車する) さて、教科書ビルから同バス停は委員会の実地検証で平均6分30秒(注:報告書ではわざわざ”歩いて”と述べている事をご記憶ください)の所にある。”私も実際にこの区間を歩いて見ましたが特別に急がず普通に歩いて6分でした。” するとバス停にオズワルドが立った時刻は12時39分から40分頃と言うことになる。バス停に立ったオズワルドは、全く待つことなくバスに乗車、たった今、歩いてきた方向に戻る形でラマー通りの交差点までバスに乗ったことになっています。そしてラマー通り交差点でバスを下車する。この間の所要時間が約4分、したがって12時44分頃にはオズワルドはラマー通りとエルム通りの交差点に居た事になる、そこからオズワルドは南に向かってラマー通りを歩き始める、約4ブロック先ジャクソン通りとの交差点(私の足で普通に歩いて3分)にはグレーハウンドのバス停(長距離専門のバスターミナル)がある。ちょうどそこに、たった今グレーハウンドで客を降ろしたばかりのタクシーが止まっていた。運転手の名前はウイリアム・ウェイリー、「乗って良いか」とオズワルドは声をかける。したがってオズワルドがウェイリーのタクシーに乗った時間は、報告書によるとどんなに早くとも12時47分以前ではありえない事になる。このグレ−ハウンドのバスターミナルからオズワルドの下宿のある地点までは通常のコースを走って6分という事になっているので、実際にオズワルドが下車した場所である北ベックリーとニーリー交差点には53分から54分頃到着したであろう事が想像される。(報告書の記述にはこの下車地点をネッチス&北ベックリーと記述する部分もある)この交差点から下宿まで戻るように歩いて帰ったとすると、下宿の掃除人アーリン・ロバーツの証言である「オズワルドは午後一時か少し前に帰ってきた」との証言にピッタリ符合することになる。」

時間の検証その1

それではここまでの時間経過に数々の推測や証拠を当てはめて見たい。まずオズワルドが12時39分から40分頃にエルム&マーフィーのバス停に立っていたであろう事は問題はなかろう。ただ当時のアメリカ・ダラスのバスチケットの発行システムが解らないのではっきりとは言えないが、報告書には以下の記述がある。「このバス乗換券(オズワルドが逮捕された時に所持していたバスチケット(右写真)は、ダラス交通会社のバス運転手セシル・マックウオーターが発行したもので、この乗換券は11月22日午後12時36分に発行したものであることが証言されたとある。私が現在のアメリカでバスに乗る時は、乗車時にコインを入れ乗換が必要なバス停で降りる時に乗換券を貰ったと記憶しているのですが。次にエルム&マーフィーのバス停からエルム&ラマーのバス停まで4分との事であるが、オズワルドがわずか数ブロックバスに乗っただけでバスを降りた理由を報告書は「事件現場方向に向かっていた為、道路封鎖などの関係からほとんどバスが動かなかった為」と述べている。にも係らず4分と言う数字は何処からきたものであるかの記述はない。エルム&ラマーからエルム&ヒューストンの交差点すなはち現場までは目と鼻の先であるから封鎖されれば全く動かない状況であろう事は想像できる。しかも封鎖は事件が起こったから封鎖したのではなく、それ以前からモータゲートの為に封鎖されていたのである。それでも、これらの問題をクリアーしてオズワルドは歩き続ける。グレーハウンドのバスターミナルまで来たオズワルドは、止まっているタクシーを見つけて「乗っても良いか」と声をかけ助手席に座った。この時の状況をウェイリー運転手はこう証言する「ちょうどその時、お年寄りのご婦人が、ドアのところから顔を突き出して、運転手さん、タクシーを一台ここへ呼んでくれませんかと言った。彼女は男が私の車を捕まえたのを見て、自分もタクシーに乗りたいと思ったのでしょう。すると男はドアをちょっと開けて外に出るような様子を見せながら「どうぞ、お乗りなさい」と言った、しかし彼女は、いや運転手さんが別の車を呼んでくれますからと言った」と証言する。 後日談であるが、もしもこの時老婦人が「それでは」と言って男と替わっていたら、運転手のウェイリーは死なずに済んだのかも知れない。再三言われていることであるが一刻も早く逃亡したい人間がはたしてレディファーストのお国柄とはいえ、タクシーを譲ることがあり得るか大きな疑問である。タクシーに乗ったオズワルドは「どちらまで」との問いかけに「北ベックリー500番地まで」と答えている。(オズワルドの下宿は1026番地である)タクシーは目的地に向かって走り始める、私も実際にグレーハウンドのバス停からオズワルドの下宿まで(バスでではあるが)走行したが、確かに5分30秒で到着した。実際にオズワルドが降りた場所は下宿から数ブロック南のニーリー&北ベックリーの交差点であるから6分と言う報告書の記述は正しいと思う、しかし事件発生から20分しか経っていない時間帯に、はたしてすんなりと走行できたのであろうか、グレ−ハウンドターミナルから暗殺現場も直近の場所にあたるしヒューストン通りも必ず通らなければならないのである。オズワルドを乗せたタクシーはトリニティー川を渡ってオーククリフ地区に入る、タクシーを降りた時間は53分から54分頃とされている。ここに一枚の証拠物件がある、ウイリアム・ウェイリーの乗務記録である。(左写真・拡大)ここには12時30分グレーハウンド乗車、12時45分北ベックリー500番地降車の記述がある。この時間帯オズワルドは教科書倉庫ビルを出てエルム&マーフィーのバス停に向かっていた時間帯になる。この事をどのように解釈したらよいのであろうか、報告書は次のように説明する。「ウェイリー運転手は乗務記録をまめに記入してはいなかった、時間は15分単位で、時には乗車時刻を客を降ろした後で記入したり、さらには何人も客を変えたあとでひとまとめに記入していたりした」と説明する。果たしてそうであろうか、乗務記録には15分単位以外の記述も多数見られるし、ましてや降車時刻を実際には乗車時刻以前の時間を記入することがあり得るであろうか。このような数々の疑問点を残しつつオズワルドは下宿に戻る。最も早い時間で12時57分遅くとも13時丁度くらいであったとしよう。
今回の項目の前半が終わった時点で一枚の航空写真を掲載しておく。ある程度の距離感は把握できると思う。

テキサス劇場へ

下宿に戻った13時近くから最終的にテキサス劇場(左写真)において逮捕される時刻(報告書の表現によると13時45分から数分後と言うことになるが)までの時間経過を、前半同様にウオーレン報告書の記述にそっておさらいしよう。
「オズワルドが北ベックリーの下宿に戻った時刻は、アーリン・ロバーツが暗殺事件のテレビを見ていたため、ほぼ正確に13時頃であった。その後自室に戻ったオズワルドはジャンパーをはおり、拳銃を取り出して再び下宿を後にする。この間自室に居た時間をアーリン・ロバーツは委員会におけるジョセフ・ボールの質問に対して「3〜4分間」と証言している。したがってオズワルドが下宿を出た時間は13時を確実に回っていたはずである。とにかくオズワルドは下宿を出るがその数秒後、家の前のバス停にしばらく立っているオズワルドを目撃している。その次にオズワルドが目撃?された場所は10th&パットンの交差点付近、すなはちチピット巡査が殺害された現場である。(私はこのオーククリフ地区すなはちオズワルドの下宿、チピット殺害現場、テキサス劇場周辺は2度ほど訪れているのであるが、私の”徒歩”で回りたいと言う希望は、治安の関係と言う理由からどうしても叶えてもらえなかった、その前の時などは
単独行であったためにオーククリフ地区へ行くこと自体を拒否されたくらいである。したがって、前半のように私自身の足による時間計測のデータを付け加える事が出来ないのが残念である) さて、下宿から殺害現場まではどれくらいの時間がかかるのであろうか、報告書の記述によると「もしオズワルドが下宿を1時少し過ぎに出て早足で歩いていたならば、彼は10番街とパットン街の交差点に1時15分少し過ぎに着いていたはずである。」と記述する。と言うことは、ほぼ15分かかると想像する。そしてその間の距離は0.9マイル(1.4キロ)としている。通常の歩速を時速4キロとすれば記述通り、早足でなければならない。報告書では10番街の現場には何としても1時16分以前にはオズワルドがそこに居なければならない理由があった。すなはち、チピットが殺害されたとの報告が警察無線で報告された時刻が1時16分であったからである。次に、オズワルドがテキサス劇場に入っていった時刻を報告書はこう記す。「彼(ジョニー・ブルーワー、右上写真)は、男が60フィート(18.3メートル)ほど離れた映画館・テキサス劇場に切符を買わずに入るのを見た。ブルーワーは、もぎりのジュリア・ポスタル(右下写真)にこの事を教え彼女が警察を呼んだ、時間は13時40分をやや回っていた」。それでは事件現場からからテキサス劇場まではどれくらいかかるのであろうか、これに関する記述は報告書にはない、そこで私が持つダラス市の地図からその距離を算出すると0.7マイル(1.1キロ)と出た。(勿論正確な距離ではない)通常の速度で17分位であろうか、すると単純計算で13時16分前に現場を離れたとして直行すれば32分前後にテキサス劇場に着くことになる、ただこの間オズワルドは後述のような行動をしているので実際にはもっと時間がかかったはずであり、13時40分頃テキサス劇場に入ることにさほどの違和感は無い。

時間の検証その2

まず第一に疑問を感じるのは「下宿(右写真)を1時少し過ぎに出て早足で歩いていたならば」の記述である、前半で記憶しておいて頂きたいと書いたのは、教科書倉庫ビルからエルム&マーフィーのバス停までの記述である。ここで報告書は「歩いて」と記述する。何か逆さまのように感じるのは私だけであろうか、共に普通のスピードで歩いて、と言うならば”逃亡者が歩くか?”という疑問は別として納得がいくが、狙撃直後の興奮状態の時はゆっくりと歩いて、ひとまず事件現場の捜査圏から逃れた後になって早足になるであろうか。これにはそうせざるを得ない訳があるのです。実は一連の時間的検証の中で、「下宿からチピット殺害現場」の間が”時間合わせ”にはもっとも苦しい時間帯だからとしか言い様が無いのです。報告書に有利なように余裕を持たせて下宿を13時丁度に出たと仮定しよう。警察無線を使ってベナビテスが「警官殺し」の通報をしたのが13時16分(これは絶対に動かすことの出来ない時間です)何としても最低15分で行かなければならないのです。しかし現実には以下の証言があります。多くの目撃者の証言には「犯人とチピットは窓越しに話をしていた」と言う共通した証言が有ること、警官殺しを真近で目撃したドミンゴ・ベナビテスは証言の中で「事件があった直後、私は犯人がまた戻ってくるのではと思って数分間地面に伏せていました、そのあとパトカーの無線を使って通
報したのです」と言う証言が有ること、 もう一人実際に通報したのは自分だと言うボウリーと言う人物のダラス保安官事務所における証言がある、そこで彼は次のように証言する「巡査が倒れているのを見た時に時計を見ました、時間は13時10分でした。パトカーのところで誰かが(注:ベナビテスか)無線を使おうとしていたのですが使い方がわからないようなので、私が警察に連絡したのです」という証言が有ること、などなど。通報の功労者がどちらであるかはここでの問題ではないが”13時10分”と言う証言と、少なくとも二人がしばらく会話を交わしていたと言う証言、さらには事件直後から通報者が実際に無線で警察と話すまでの間に数分間の時間があったと言う証言。時間は確実に足りなくなっていくばかりである。
警察官を殺害した犯人はパットン街を南に向かう、そしてジェファーソン大通りに出て右(西方向)に曲がり逃走していく、その通り沿いの彼方には「テキサス劇場」が有るのであるが、犯人は途中ジェファーソン大通りを1ブロックほど行った場所にあるガソリンスタンド(写真左上)の中に入り込み裏手にある駐車場に着ていたジャンパー(写真左下)を脱ぎ捨てたことになっている。まず疑問点のその一であるが、殺害現場からこのジャンパーを脱ぎ捨てた駐車場までの間、逃走する犯人を目撃した人物は非常に多く存在する。(チピット巡査殺害の項参照)バーバラ・デービスとバージニア・デービスの姉妹、テッド・キャラウエーとサム・キンヤード、ウオーレン・レイノルズ、ハロルド・ラッセル、パット・パターソン、L・J・ルイス達と現場以外で逃走中の犯人を見た人物は非常に多い。ところが、わずかテキサス劇場までの距離の約6分の1程度の間でこれだけの目撃者が居るにもかかわらず残りの6分5の距離の間で犯人らしき人物を目撃した人物は皆無である事である。この空白の逃走区間の距離を、まるで忽然と消えうせたように誰にも疑われずに逃走した犯人を次に見た人物が前掲のブルーワーである。彼の証言によると「店の前でしばらくパトロールカーに背を向けるようにたたずんでいた」と言うことになるのである。疑問点その二、犯人が脱ぎ捨てたジャンパーは報告書では北ベックリーの下宿に戻った時に自室から持ち出したジャンパーであると認定されるのであるが、そのジャンパーにはクリーニング屋のタグが着いていたのである。しかしこのタグから該当するクリーニング屋を特定することはついに出来なかったばかりか、オズワルドの妻マリーナの証言によると、オズワルド家では着衣をクリーニング屋に出す習慣は無かったというのである。

究極の疑問点

このように教科書倉庫ビルからテキサス劇場までのオズワルドの逃避行には数々の疑問点が存在する。これらの疑問点を百歩譲ってすべて可能であったと仮定しても、どうしても解けない疑問点がある。「いったいオズワルドは何処に行こうとしていたのか?」と言う疑問である。単純に言ってしまえば「テキサス劇場」と言うことになるのであろうが、それでは「なぜオズワルドは北ベックリー通りから東に向かったのであろうか。前掲の航空写真を見て頂ければ解るのですが、北ベックリー通りをそのまま南進すれば、ジェファーソン大通りに出るし、テキサス劇場に行くルートとして選ぶ道であることは間違いないのである、まさか物見遊山で散歩としゃれ込む状況ではないことは明らかです。もう一度航空写真を見て頂ければお解りかと思います(多少事件全般の疑問点にお詳しい方であればすでにお気づきかとは思いますが)オズワルドの向かう方向には、ジャック・ルビーのアパート(右写真・現存していません)があります。ひょっとしてオズワルドはルビーの家に行こうとしていたのではという疑問が浮かびあがってきます。事件の全体像を少しでも把握されていらっしゃる方であれば「可能性として無きにしも非ず」といったところでしょうか。(あまりにも「陰謀好き」とのそしりを受けそうですが)この場合には、チピット殺害後彼がジェファーソン大通りを反対方向である”右折”した理由が説明できません。ただ「チピット巡査殺害の項」で仮定したチピット刺客説、すなはちオズワルドが自分が囮であることをチピットの出現によって自覚した場合には、ルビーのアパートに行くことを断念した、と説明することは可能かと思います。しかし最終的には「テキサス劇場」の中に入ったのですから目的地はテキサス劇場であったのでしょう。逃げ道の無い映画館の中に逃げ込むなどと言う事は逃亡者ではまず考えないことであるからです。(ただ、チケットを買わずに入ると言う目立つ行動をした理由がどうしても解明できないのです、オズワルドは入場料くらいの金は逮捕時には所持していたのですから。)
もう一つ説得力のある説明がなされています。それはオズワルドは下宿からテキサス劇場に、先ほどお話したルートで直行したと言う説です。下宿からテキサス劇場までの距離は、例のダラス市の地図から算定すると約1.3マイル(2.1キロ)と出ました。普通に歩いて32分ほどになります、これをアーリン・ロバーツの証言「13時頃に帰宅して3〜4分間たってから家を出た」という額面通りにあてはめるとテキサス劇場には36分頃に着くことになり、報告書が苦労したような時間合わせは一切必要なくブルーワーの証言通りとなるのです。この場合チピット殺害現場からジャンパー放置現場までの目撃者達の警察における「面通し」の混乱(誰一人としてオズワルドを正規の手続きで警官殺しの犯人と特定できなかったこと)も犯人ではないのですから説明できますし、本当の犯人がジャンパーを捨てた後ガソリンスタンド裏の駐車場から用意した車で逃走したとすれば、残りの区間でオズワルドが目撃されなかった事実も無理なく説明できるのです。

まだまだチピット殺害に関する疑問点は「薬莢や銃弾の問題」「拳銃の種類の問題」等など多数あるのですが、次の機会に譲りたいと思います。