第18回ボストンオフ会報告書

生誕100周年を迎えた2017年、我がJFKクラブとしては何としてもボストンの空気と共に、その日その時を迎えたい気持ちは募るばかり。結果的に、過去のオフ会のなかでは「第2回菅平オフ会」以来の少人数のオフ会となってしまいましたが、さすがボストン!内容的には少人数が故の中身の濃いオフ会となりました。四泊六日の旅の全てをご紹介すると、ただでさえ長文の報告書が、膨大なスペースの物となってしまいますので、今回の報告書はケネディ関連の事柄に限ってご報告させて頂きたいと思います。


 プロローグ

2016年2月恒例の東京プチオフ会の席上、集まったメンバー達に「アンケート」。まだ1年以上あるけど「もしボストンへ行けたらどんな所に行きたい?」などと、唐突な質問をしてしまいました。気の早い質問に、ある方は「????」中には「待ってました!!」と言った風情の方も。「2017年ってさ、生誕100年の記念の年、なんだけど!」皆さんの様々な表情はとても興味がありました。この時から「第18回ボストンオフ会」の企画がスタートしたのでした。実はこれ以前から自分の頭の中は計画立案で一杯だったのですが、いくら何でも1年半以上前からのご提案は早すぎるかな?などと思っていたのですが、考え始めたら猪突猛進の性格は変える事が出来ません、アドバルーンを上げた以上、計画実行に着手したのでした。しかし、ホテルやフライトをいくら調べても2017年5月末のデータはさすがに何も出てこない、仕方なく16年の5月の予定で検索、他のシーズンに比べてかなりのハイシーズン、加えて頭で計画していた5月26日〜31日の日程では、アメリカでは3連休の真っただ中、29日は「メモリアルデー・戦没将兵追悼記念日」に当たります。ぼんやりと考えていた予算立てでは、とても追い付きそうもありません、特に「ホテル」が高い、やはり商売人の目論見は洋の東西を問わないようです。しかし、今ここで考えていても致し方ない事、計画立案の毎日でした。当然、ボストンと言えば「第1回オフ会」でボストンを訪れた際、世話になった自分の大学時代の親友である「滝田君」が頭に浮かびました。でも今回はプロ中のプロの「ポッキーさん」が居ます。この際「ポッキーさん」に相談しようと、窓口となるロックフォードさんに意向打診と紹介を依頼しました。早速連絡を取り合い、当面の計画の予定と希望をご連絡させて頂きました。今回は100周年と言う事で、記念行事は当然ですが、是非とも「ハイアニス」を訪れたく思っておりましたので、その旨お伝えすると「私が、以前勤務していた旅行会社を紹介する」との事、何らかの紹介を頂けるのであれば、これに越したことはなく、ありがたくご紹介頂く事にしました。現地での行動予定の費用さえ出れば、おおまかな予算立ても可能となり、計画も一歩進む事になります。そんな折、8月になって一通のメールが入ってきました「近畿日本ツーリスト商品企画部」とあります。内容は来年のケネディ生誕100周年に向かって「記念ツアー」を企画したいとのご連絡、フムフム天下の近ツリからの申し出で、協力は惜しまない旨の連絡をしたところ、半月ほど経ってから「企画書」なるものが送られてきました。楽しみに開いてみると、やはり一般向けの旅行企画の為か「ボストン市内観光ツアー」の中に生家とライブラリーがチョコット入って居るだけの「100周年をオトリにしたボストン旅行」の体でした。やはり、我々が企画し期待するツアーとはかけ離れたプランでした。それに加えて参加費用予定額が35万円との表示、なんじゃこれ!即、各所に筆を入れて送り返したら、以降何も言ってきませんでした。(企画書の中に、自分は講師として同行し費用は近ツリ持ち!と言う好条件が提示されていて、極めて魅力だったのですが フフフ)
各種経費が出そろった時点で、参加費用20万円(実は自分の限度額でもあるのですが)を目途に計算してみると、どうしても参加者6名以上は必要不可欠となります。バス・チャーター代やガイド代、空港送迎バス費用など人数割費用単価が大きくなってしまうからですが、過去の海外オフ会参加者人数が6名〜10名でしたので6名と言う数字は決してべらぼうな目標でもなく安心して2017年を迎えた1月、ページ上に「募集要項」を発表したのでした。

 募集開始

募集要項アップして数日後、参加を見込んでいた鈴木君・中出さんからは「参加表明」鈴木君などは「募集要項」が「表示されない!」との大クレーム。もう10年以上前から「聖地ボストン訪問は何時ですか?」と事あるごとに突っついていただけあってすばやい対応でした。2月になって、新年会として東京プチオフ会、集まった皆さんに「ボストン行きましょうよ!」と宣伝に相務めたのですが、いまいち反応が鈍い!やはり、ケネディ=暗殺=ダラスであってケネディ=政治家=ボストンとはいかないのかしらん?と思っていたのですが、後日、このオフ会時の「影の声」を聞いてしまったのです。「11月なら行けるんだけど、5月頭のゴールデンウイークの休みの後に6日の休みは取れないよナー」との声が聞こえたとの事。 ウーーン現役時代の自分に置き換えてみれば「さもありなん!」もし現役だったら絶対無理。 しかし、5月29日は外せないし困ったナー! そうこうしているうちに3月の声を聞き時間はドンドン過ぎていきます、参加者3名、別行動の土田先生を加えても4名、フライトの残席やらホテルの空室状況も気になりだし、決断の時を迎えました。一時は「中止」を決意したのですが、まさに「天にも昇る」気持ではしゃいでる「誰かさん」の事を思うと決断が鈍ります。そんな時、大きな助け舟が現れたのです、予定していたポッキーさんから、今回は「友人として付き合う」ので一切ガイド代は不要との「ありがた〜い」お申し出、加えてご紹介を受けた現地旅行社の長島さんに相談したところ、バスではなくカローラクラスの大衆車であれば相当価格は下げられます、とのご提案。
こちらとしても「そうじゃ、ツインルームだけどもベッドはクイーンサイズ!思い切って3名一部屋で行こう!」と再計算、3名で泊まっても「子供」は出来まい!フフフ  これで数万円のコストダウン、予定していた20万円にチョッピリオーバーの線でいけることになりました。それに、ハイアニスツアーは何としても魅力でしたので、中出さんと相談の上「決行」を決意してフライト・ホテルの手配を完了したのでした。
準備完了後、誰かさんは「お揃いのTシャツは今回も作るんでしょう!」とか「ストリートビューでほとんどの所は走破しました」とか熱に浮かれた体です。仕事ちゃんとやれよな!と言いたいくらいでした。いよいよ、余すところ2か月を切った4月。小澤さんから突然の電話!「体調も回復したので、参加できますか?参加要項には申込〆切りとなっていますが」との連絡。  ったく!でも他の人であれば兎も角、小澤さんの申し出ですので無下にもできず「大至急プラン変更して見ますが期待しないで」と答えておきましたが、その後の各種手配の手早さは自分でも感心するくらいでした。決着、ホテル
OK、車両手配も大衆車からSUV車に変更、予算の再計算も22万円で納める事が出来、中出・鈴木両氏の了解も得る事ができました、ただ、どうしても帰国便の同じフライトが取れず別便になる事だけの了解を小澤さんに取り一件落着。
4名と別行動の先生の5名のオフ会となったのでした。

 出発

ポッキーさんの「ガイド料」辞退を受けて、それでは何かご希望の物を伺ってお土産にと思い、ロックフォードさんを通してお伺いしたところ数点のご連絡が在りました。その中に「女性自身」や「週刊女性」等の女性週刊誌がリストに挙がっていました。他のお菓子類は全く問題ないのですが、女性週刊誌は「いったい誰が買ってくるのじゃ?」自分や、中出さんが本屋で女性週刊誌を購入する姿はとても見られた物では無く「不審者」に思われる危険性すらあります。「やっぱ、ここは鈴木君でしょ」と言う事になり押しつけちゃいました。10冊近い週刊誌の束は重かったでしょう!御苦労さんでした。
いよいよ出発の5月26日、成田で集合した4名は機上の人となります「鈴木君!AEDは持ってきた?」などと馬鹿話を交えながらの13時間、今回はデトロイト乗り換えのデルタ便、毎回「直行便」を夢見るのですが今回も又、貧乏旅行の悲しさから、乗継便!まっ、さして急ぐ旅でもありませんので「良し」としましょう。
今回は、入国審査で別室につれていかれたり、長蛇の行列で乗り継ぎ便に乗り遅れることも無く、スムーズに進みました。実は、デトロイト⇒ボストンの乗り継ぎ便を一本遅い便にしたのです、計画時点で過去2回のトラブルが頭をよぎり、わざわざ乗り継ぎ時間を長く取ったのですが、そんな時に限って何事もなく通過できるのは「まっ、そんなもの」ですね。いよいよ、ボストン・ローガン空港着陸です、鈴木君は窓に顔をくっつけて興奮の極と言った風情です。(後で送られてきた鈴木君の長〜い感想文に実況中継さながらの記述がありました) これからの3日間、楽しんで下さい!
手荷物ピックアップのレールの前に「JFK CLUB JAPAN」のウエルカムボードを持った紳士が我々を迎えてくれました。何と、メールでやりとりしていたWPS社の長島社長さんご本人です、今回のツアーは私がご案内しますとのご挨拶、恐縮の至りでした。ローガン空港内を出口に向かう間、様々な場所に「JFK★100」の看板やらポスターが掲出されており、一気に「100周年」の機運が盛り上がって来ました!
ホテル到着、スムース?なチェックインを済ませてシャワーでも浴びるかと思って居た処、電話のベル。フロントから、何やら部屋の指定でトラブっている様子、電話では「らち」が開きそうでもないので「10分後にフロントへ私が行くから」と電話を切りました。
しかし数分後に「問題は解決した」との電話。後で鈴木君たちに事情を聞くと、キーカードケースに書かれた部屋番号と実際の部屋が間違っていたようで完全なホテル側のミスの様でした、こんな時、カードキーは確認が出来ないので不便ですね。 一件落着後、今夜は部屋の中で夕食(と言っても、ついさっき機内食を食べたばかり)兼飲み会とする事に、鈴木君のストリートビュー調査で確認済みの「セブンイレブン」へ、ピザやパンなどを買い込んで早速恒例の「イカゲソパーティ」に雪崩れ込んだのでした。

 JFKハイアニス博物館

いよいよボストン初日の朝を迎えました、長島さんとの待ち合わせは午前9時、ちょっぴり早めにロビーに降りると、何と土田先生がニッコリ「おはよう」!先生はご研究のためボストン図書館に籠って資料集めのため2日ほど前から到着なさって居たのですが、事前に我々の予定は全てご連絡しておいた為、わざわざ「ハイアニス出発」の見送りに来たとの事。全員が揃ったところで遙かアメリカの地での再会を喜び会いました。事前の天気予報は雨が予想されていたのですが、何とか持ちそうな雲行き。先生のお見送りのもとハイアニスへの約2時間のドライブです。ハイアニス到着の頃は、長島氏曰く「絶好のハイアニス日和」との好天に恵まれ最初の訪問地「JFKハイアニス博物館」を訪ねた我々です。
ただ、JFKライブラリー規模の施設とは期待してはいませんでしたが、ちょっぴり残念な施設、ゆっくり見学しても1時間もあれば十分な規模です。加えて展示物はほとんど写真ばかり、正直「この程度の展示物なら俺の持つ資料でも作れる!」と思ったくらいのものです。ただ、そこはやはりハイアニスの地に在るからこそ意味が有るのだ!と思い直し見学しました。ぶらぶら見学していると、中出さんが飛んできて「ここの館長さんが是非ともご挨拶したい、と言ってます。」との事。やはり、着てきたTシャツを見れば気になるのは当然でしょう!長島さんの通訳で、JFKクラブジャパンの事をお話しして名刺を頂戴しました。すると「その、お前達が付けているバッチが気に入ったから、100周年の記念バッチと交換してくれ」とクラブのバッチを欲しがってきました。よほどお気に召したのか執拗に要求してくる。予備のバッチは持ってきていないので帰国後郵送する旨お約束しました。
館内には世界地図が張られ各々自国の所にケネディ関連の施設紹介や思いを張るコーナーが在りました、日本には一枚だけ貼られていたので「JFK CLUB JAPAN」のシールを地図に貼り付け、一気に4枚も貼り付けて増やしてきました。

 ハイアニス・レガシートレイル

ご承知の通りケネディ家にとっては、ここハイアニスは夏の期間の自宅のようなもの、到る所にケネディ関連の施設や場所が点在しています。高級リゾート地として以外、特にこれと言った観光資源もないハイアニスの街にとっては、数少ない観光資源となるのでしょう。「レガシートレイル」と名打ってケネディ家関連の場所を巡るツアーが準備されています。今回は贅沢にも専用車で特別気になる3か所を巡ることにしまし
た。JFK博物館を起点に、ハイアニス滞在中のケネディ一族が礼拝に訪れた「聖ザビエル教会」続いて1960年11月9日大統領選挙に勝利したケネディが「勝利宣言」をした「Hyannis Armory(兵器庫)」そしてケネディが愛して止まなかったケープゴッドの海を望む地に建設された「ケネディ記念海浜公園」です。
敬虔なクリスチャンであったケネディやそ
の一族にとって教会の持つ意味は絶対
のものであり、かつ欠かすことのできない存在であったのです、これは後から先生から聞いた話でありますが、前列の方にケネディ一族が必ず着席した場所に表示が有るのだそうです。不信心の我々は恐れ多くて前のほうには行けなかったので見落としてしまいました。 次の勝利宣言会場では写真でしか見たことが無かった故の疑問が解決しました。持っていた疑問は、アメリカ合衆国大統領の勝利宣言という一大セレモニーの場所としてはあまりに貧相であり、しかも兵器庫とは?言わば「倉庫」みたいなもんじゃん?と思っていたのです。ボストンで投票を済ませたケネディは直接ここハイアニスに向かい、結果を待ちました。ニクソンの敗北宣言を受けて勝利演説会場としてこの場所を選びました。この建物の向いにはハイアニスの役場がある(現在も)当時の中心街であり、当時のハイアニスでは一番大きく最大の収容人数を持つ建物であったそうです。いかにハイアニスが寒村であったかが解ります。最後は記念公園、海を望むこの台地は、まさに「ハイアニス日和」と重なって、海鳥達が羽を休める実に心に残る景色でした。石積みで作られた記念碑は色々な場所で見てきたどんな記念碑よりも立派で美しい記念碑に見えました。


 ハイアニスライン・クルーズ

出発前、計画の中で一番悩んだのがこのプランです。ケネディ家のハイアニス別荘は現在も使用されており、入る事は勿論、近づく事も出来ないとの事、見るためにはこのクルーズに乗り込む以外方法は無いと聞いていたのです。ウーム、遥か遠く海上から眺めて満足するのかしらん?それに博物館でどれだけ時間がかかるのか?天候は?思えばマイナス要因ばかりで半ば諦めていたプランなのです。しかし、前述の通り、博物館に費やした時間は予定の半分以下、それに、この天気。外す理由が見つかりません、ほんじゃ乗りますか?と言った程度の気持ちで乗船したのでした。港からは次々と「乗合釣り船」が出港していきます。日本の乗合船を思い浮かべてはいけませんヨ!ここはアメリカ屈指の高級リゾート地ハイアニスですからネ
全行程40分程度のクルーズでしたが、思ったとおり満足感は味わえませんでした。ただ想像していた事とまったく違っていた事を一つ、ケネディ家の別荘地は他の別荘地から隔絶し、ポツンと一軒建っているものと思っていました、それじゃなければ近づく事も出来ないなんて事ないじゃん?それに、一族の別荘地と言う事で、大きな建物を想像していたのですが、広大な敷地に各個人の建物が集合する造りになっているのです。右の写真では何が何だか解らないでしょうから注釈付き写真を用意しました。
それと印象的だったのは浜辺の風景です、どの浜辺の一部分を切り取ってもどこかで見たような景色、有名なジュニアやキャロラインと映った写真やケネディ幼少のころを記録した家族の集合写真など、間違いなくこの浜辺のどこかで撮影されたものと確信できる景色でした。
まっ、徒歩と車だけのツアーの中に湾内クルーズと言った船旅が入った事により一種のアクセントが付き、それはそれで楽しいひと時でした。

ボストンへの帰路、チョット寄り道をして清教徒達が上陸したアメリカ発祥の地「プリマス」の街へ、メイフラワー2世号は修理のためプリマスを離れていましたがプリマスロックを見学してボストンへ、ボストンの街には17時頃には到着してしまいました。車は19時までの予定です。商売の邪魔をしてはいけないと思い「どこかお勧めの所を案内して下さい」とお願いしました。長島さんは明日のポッキーさんとの予定を聞いてきて、それでは「多分、明日は行かない所をご案内しましょう」と言って「フリーダムトレイル」の後半部分を案内して下さいました。これらはケネディとは関係ないので省略します。

下部写真左から
プリマスロック・ポール・リビア記念像・戦艦コンスティチューション号・バンカーヒル記念塔・ビーコンヒルの街並

さすがに歴史の街「ボストン」! 我々にとっては、おまけのツアーですが、特にケネディに特化しない「ボストンの旅」の方々にとっては、十分に旅のメインとなるような場所の連続です。
そんな「おまけ」のツアーの中で記憶に残ったのはやはりケネディ関連、ポール・リビア記念像の前に聳える「聖ステファン教会」何の変哲もない教会です(長島氏は我々の旅の目的を熟知されているが故にわざわざお寄り頂いたのだと思います)記念プレートには「ローズ・フィッツジェラルド・ケネディ受洗教会」とあります。当時ボストンアイリッシュの指導者であった父を持つローズは、やはりボストンの中心地でもあるこの周辺に住まっていたのでしょう。
今夜も「セブンイレブン」の夕食とはいきませんのでボストンの街へ繰り出しました。ホテルの場所は中心街、近所にはレストランやらバーがいたる所に点在します。少し足を延ばせば「チャイナタウン」軒並み中華料理の店が続きます。日本料理店もチラホラ、まっボストンにまで来て「中華料理」や「すし」でもありませんので一般のレストランを物色、正直どの店を選んでも同じことで、これと言った目星がある訳ではありません。そこで目にとまったのが「ロック・ボトム」。ここならロックさんの店だから大丈夫!などと訳のわからない理由をつけて入りました。注文は「テキサスファイヤーステーキ」我々にとってアメリカ=ステーキは定番で、又しても食べ切れないボリュームの肉に挑戦する我々でした。でも出された地ビールは実にうまかった!

 ケネディメモリアルツアー

ボストン2日目、ポッキーさんのご案内で、生家・ハーバード大学・ボストンフリーダムトレイルツアーの1日です。
朝9時、土田先生もホテルにお越しになり、ポッキーさんをお待ちしました。このポッキーさん、ご自身のHP「ポッキーのボス
トン案内」で日本のボストン旅行者にも人気のページの管理者でもあるのですが、以前、日本のテレビでも紹介された事がある方なのです。レッドソックスの大ファンでもあるポッキーさん、いつもフェンウェイパークにマスコットである「ポッキー」を持参して観戦していたのですが、いつしか評判に
なり選手たちの話題になった事があります、しかも日本人であることが解り、野茂選手と一緒に日本のテレビに紹介された方なのです。
お見えになった「ポッキーさん」、中出さんのご紹介で初対面のご挨拶、今日一日お付き合い頂けることへの御礼を申し上げて出発となりました。早速、移動に関するレクチャーを受けます。電車・地下鉄・バス等公共交通機関は共通のチィケットで Charlie Ticket と呼ばれる一回$2,50 のチケットと Link Passと呼ばれる1日$12,00 7日間 $21,25 の種類があり(要するに一週間で9回以上乗ればLink Passの方が割安、それも距離制でなく回数制)明日JFKライブラリーに行かれる予定のある皆さんは7日間のリンクパスの方がお得で、かつ、その都度切符を買う手間が省けて便利です!との言葉に「ハイ!ハイ!」と、考えもせず購入して地下鉄に乗り込み、一路、ケネディ家のホームグラウンド「ブルックライン市」へ。
「クーリッジ・コーナー駅」から徒歩でケネディ生家に向かいます。途中のハーバード通りには、さすが地元ならではなのでしょう「生誕100年」の飾り付けが施され明日のセレモニーの準備万端整った様子が覗えます。ただ、途中に有る筈だった、ケネディの通った小学校「エドワード・デボーションスクール」の前に差し掛かると影も形も有りません。前回の訪問時に訪れた由緒のある佇まいは取り壊されて工事中の看板。又一つ昔の面影が消えてしまった事になります。


 ケネディ・バースプレイス

初めてボストンを訪れたのが18年前の11月、中出さんが一人で再訪したのもダラス帰りの11月、我々クラブのメンバーがアメリカを訪れるのは11月と相場が決まっています。当然、ケネディ没後の周年忌の日に合わせて来るからですが、その時期の生家は冬季閉館の真っ最中なのです。したがって、自分・中出・小澤の再訪組は、訪問はしたけれど中には入れず、の状態だったのです。今回は5月と言う事で屋
内に入れる喜びから期待は高まるばかりです。正面のビールズ通りの静かな風情は前と全く同じで「ケネディ饅頭」の売店も出来ていませんでした。ただ外壁の色が変わったかな?前はもっと濃い緑だったような気がしますが、そんな事はどうでもいい事、再び目にした生家は、我々を歓迎するかのように着飾っていました。開館は10時との事ですが、お揃いのTシャツに、遙々日本からのお客様、加えてポッキーさんのガイド根性からの積極的アプローチの為か、時間前の単独案内を了承してくれました。

内部は本当にどこにでも在りそうな瀟洒な佇まいと言った感じ、ローズの語る生活を紹介したテープを聞きながらの館内見学です。左上が「子供部屋」の一部で、館内紹介のパンフレットによると「ここで、ジョー・ジュニアとジャックがこの揺りかごを使って以来、ケネディ家の子供たちや孫たちがこの同じ揺りかごを使ってきました」と紹介します。左中の写真が「ダイニングルーム」同じパンフレットによると「私たち家族の生活の中で、この部屋が一番大切な場所だったと思います。まだ幼かった頃、子供たちは窓のところのテーブルで食事をしました。銀製のナプキン・リングや深めのお皿などは大統領とその兄が使ったもので、それぞれの名前の頭文字が彫りこまれています。」左下は「マスター・ベッドルーム」。「大統領は窓の近くのツイン・ベットの上で生まれました。1917年5月29日の午後3時でした。(中略)生まれたばかりの赤ちゃんを初めて抱いて、子供の将来に影響を与えるであろう自分の言動を考える時、母親はその責任の重さをひしひしと感じるものです。」
まっ、どんな母親でも子供を授かった時の思いは似たり寄ったりでしょうが、ローズのすごさは本当に実践し続けた事にあるのでしょう。
館内のあらゆる場所は「触らないで下さい」とのきついお達し!唯一触って良い場所は階段の手すり部分、誰かさんは手すりの上部を一生懸命「スリスリ」。すかさず「ここに住んでいた時代はケネディはそこには手が届かなかった筈、スリスリするならもっと下の部分だよ!」と言ってやりました。

 ハーバード大学

バースプレイスのレンジャー達のアイドルとして、ここに住み着いていると言う「猫ちゃん」に別れを告げて、バスでハーバードに向かいます。バスの車中、隣に座っていた紳士から「日本は何所から来たのか?」と流暢な日本語で問いかけられたのはご愛敬、大学の職員だそうで東大にしばらく留学していたとの事「さすが、ハーバード大学行きのバスでした」
降りたところが「ケネディ・メモリアルパーク」ハーバード大学出身の大統領を記念しての広場との事ですが、広場にはテントが立ち並び、一部ではトラックやユンボが動き回っている、一昨日の26日はハーバード大学の卒業式があったとの事で、その片付けやら余韻で何か喧噪の中といった感じです。正面入り口の「ジョンストンゲート」からキャンバスの中に入ろうとすると、今日は関係者と大学卒業生だけしか入れないとの事、現在大学の図書館に勤務するぽっきーさんがガードマンと交渉、職員の付添?(どっちが付添じゃ!)と言う事で入る事ができました。ただ構内では、やたらと「中国語」が
左から創始者ジョン・ハーバード像・ワイドナー図書館・ジョンストンゲート
耳につく!ハーバードの卒業生にはこんなに中国人か台湾人か知らないけど中国系の人が居るのかしらんと思っていたら、先生曰く「現在ハーバードの最大のスポンサーは中国なんだ」との事、恐るべし中国マネー!
正直、出身大学でもない構内を散策しても面白くも何ともないので詳細は省略。負け惜しみの一言
構内散策の後、大学生協のお店(ちょっとしたデパートなみ)に。
お土産に「頭の良くなるチョコレート」(そんなバカな!)を買い込むメンバーでした。

 ボストン・フリーダムトレイル

ボストン観光においては絶対に外すことの出来ない観光スポットである「フリーダム・トレイル」。歴史の街ボストンを堪能できるコースで、一般的には「マサチューセッツ州会議事堂」をスタートして終点の「バンカーヒル記念塔」までのコースです。昨日の長島氏のご配慮で後半の約半分は見学済みで、今日は前半の約半分を踏破します。このコースだけの紹介でページの1ページや2ページが構成出来る位のボリュームですので省略、加えて本日の日程の最後に組み込まれた中出さんご希望の「ボストン茶会事件博物館」も省略(すんません!)下部に写真の羅列にて紹介するに止めます。

実はこの「フリーダム・トレイル」の途中には「ケネディ・メモリアルツアー」には欠かすことの出来ない場所が散在します。まずは「ユニオン・オイスターハウス」。ただの海鮮料理を
メインにした1826年開業の古いレストランですが、上院議員時代のケネディが毎日のように通ってお気に入りの「18番ボックステーブル」で書類整理や活動構想を練っていた所なのです。当初からこの日の昼食は、この店の18番テーブルで!と決めていた我々、ポッキーさんにもお願いして「事前予約」を依頼していたのです。当然「確約は出来ない」との事で承知はしていたのですが、案の定「ハーバード」での時間が押してきて予約時間をかなり過ぎてしまいました。時間に遅れたのは事実ですので「他のお客さまをご案内しました」との答えに文句も言えず、隣の「21番ボックステーブル」に席を占めた我々でした。前回は夕方の閑散時間帯の為か、予約なしで「18番ボックステーブル」に座れたのですが、やはり昼食時と言う事で無理だったのでしょう。食事を終って「18番ボックステーブル」を羨ましげに眺めていると、そこのお客様も食事を終わり席を立たれました。すかさずポッキーさんは店員を呼んで「写真だけでもと交渉してくれました。「黄門様の印籠」ではないですがここでも揃いのTシャツが効果を発揮!OKが出ました、周りのお客様も我々の姿に笑顔すら送ってくれているように感じたのは自分だけでしょうか?記念写真だけの時間でしたが、ふと気付くとボックスに張られたプレートが前回は木製プレート一枚だけだったのですが、随分と「ド派手」になっていました。(写真)  ここで鈴木君が尿意も全く無いのにトイレに駆け込んでいった事は間違いありません!(トイレの写真まで撮っていますが、違和感が有りますので掲載は止めました。フフフ) トイレの理由は第一回ダラスオフ会時の報告書に秘密が隠されています。
(ネ、ナッキーさん!)
さてお次は、フリーダム・トレイルの、真っただ中、ベンジャミン・フランクリン像のある「スクール通り」に面して建つ「オムニ・パーカー・ハウスホテル」 1855年創業のボストン最古のホテルで、入ると「ドレスコード」でも有るんじゃないかと思わせる荘厳なインテリアのホテル。ホテルが出すパンフレットの内容がこれまたすごい! 「1865年リンカーン暗殺の旅に出発するジョン・ウイルス・ブースは、このホテルの一階レストランで最後の晩餐を楽しんでワシントンへ向かった」とあります。また若きホー・チ・ミンはこのホテルの厨房で働き、マルコムX は配膳係として勤務していた、とあります。パンフレットには世界的な有名人の名前がきら星のように並んでいます。我がケネディはここで何をしたのでしょう、ケネディはかねて交際していたジャクリーヌ・ブービエに、ホテル1階のレストラン40番テーブルにおいてプロポーズした、とあります。でも土田先生の著書『ケネディー神話と実像』では取材でロンドンにいたジャクリーンにケネディがプロポーズの電報を打ったとしており、どちらが本当かどうかは解りませんが、その席に、食事もしないのに堂々と座って記念写真を撮る我々でした。
最後は「マサチューセッツ州会議事堂」。フリーダムトレイルの出発地点にあたるのですが、この議事堂の左隣にケネディの記念像があるのです。前回は近くまで寄って銅像をスリスリ出来たのですが今は銅像の周りに柵ができて触る事は出来ないようです。しかも今日は日曜日、議事堂の敷地内にすら入れないとの事。ポッキーさんは警備の警察官と交渉してくれていましたが、そこはそこ公務員の「融通のなさ」は洋の東西を問わないのでしょう、失敗に終わりました。写真は望遠撮影ですので近そうですが、実際は豆粒程にしか見えませんでした。


左からフリーダム・トレイル道標・旧マサチューセッツ州会議事堂(独立宣言発布の建物)・オールドコーナー書店(ラルフ・エマーソ ン、ホーソーン、チャールズ・ディケンズ等の文学者達が集った書店)・クインシーマーケット
左から ボストン虐殺事件碑・ベンジャミン・フランクリン像・サミュエル・アダムス墓所・現マサチューセッツ州会議事堂
ボストン茶会事件博物館









 メモリアルデー・戦没将兵追悼記念日

前述の通り、今日は3連休の中日。明日はケネディの誕生日なのですが、アメリカ的には「メモリアルデー・戦没将兵追悼記念日」です。アメリカ建国以来、兵役中に亡くなったアメリカ合衆国の男女全てを追悼する日であり、毎年5月の最終月曜日が、この日に制定されています。
ポッキーさんの案内で「一年で、この時期にしか見られない風景にご案内します」との事で議事堂に隣接する「ボストン・コモン」と呼ばれるアメリカ最古の市民公園に案内されました。広大な敷地に立てられた無数の星条旗、一体何本有るのか見当もつきません。この景色は全米で行われ、ケネディの眠る「アーリントン墓地」では全ての墓標の前に星条旗が掲げられ壮観だそうです。

 JFKライブラリー・アンド・ミュージアム

いよいよ2017年5月29日100年目の当日を迎えました。計画時点で「この日この時」をどこで迎えるかが大きな問題でした。当然、候補に挙がるのは「JFKライブラリー・アンド・ミュージアム」と「バースプレイス」です。当初は没後50周年を迎えたダラスにて行われたような、ボストン市かマサチューセッツ州主催の「記念集会」くらいは有るのだろうと予想し、関係各所のホームページやら伝手を頼っての情報収集に努めたのです。しかし募集要項を発表した今年の1月頃には、その期待は「夢」に終わる事が確実になってしまったのです。最終的にセレモニー的な事が行われるのは、ライブラリーとバースプレイスの二か所のみ、寂しい結果となりました。双方のセレモニー企画を比べてみるとどちらも似たり寄ったり、地元の合
唱団の記念公演やら関係者の記念講演、ケーキカットや、ちょっとしたパレード位なもの、となれば「ブルックライン市」と「ライブラリー」を比較すればライブラリーに軍配が上がるのは必然。「その日その時」はライブラリーで過ごすことにしたのです。
当日、ライブラリーは朝9時開館(終日入場無料)と言う事で現地に9時到着のスケジュールで出発することにしました。最寄駅である「JFK/Uマス」に向かう地下鉄は相当な混雑も予想されるし、無料シャトルバスも2〜3台は待つ事を覚悟して行ったのですが、何と、どちらもガラガラ(寂し〜い)喜んでいいのか悪いのか?複雑な気持ちでした。でも到着時の鈴木君は連日の興奮状態が極限に達して本当に「AED」が必要じゃないかしらんと思うような状況
でしたネ。ロビーで開場をを待っていると「日本の方ですか?」と声をかけてこられる人物。共同通信社・ニューヨーク支局の名刺を出されて「まさか日本の方がおいでになっているとは想像もしていませんでした」と・・・・・・日本に配信すべく100周年の取材に来られたとの事で、インタビューを受ける3名でした。
前回訪問時には職員の方のケネディ紹介のお話でしたが今回は20分ほどの動画でした。時間は9時30分、土田先生との待ち合わせはここのロビーで13時でしたので、3時間半ほどの時間があります、ここからは自由に自分が見たいコーナー、気に入った所をじっくり見て頂くため、13時ロビー集合と言う事で解散しました。自分は常設展のコーナーはざっと見て、今回ライブラリーで100年を記念して開設した「記念展コーナー」へ、まさに初見の写真の数々や、ケネディが高校生時代につるんでいた悪戯仲間の悪戯計画書、秘書であったエベリン・リンカーンの就任式当日のタイムスケジュール表(予定の変更書き込みが到る所に書き込まれている)やキューバ危機13日間の大統領の行動を記したスケジュール帳など、興味深い資料の数々を見学しました。ちょっと疲れたのでロビー近くの椅子で休んでいると、さっきの共同通信の記者が隣に座りこみ、盛んに質問してきます。年の頃なら40代前半と言った所でしょうか?私の話に興味津々と言った様子、特に「幻想を持たない理想主義者」と言うケネディを評する言葉に痛く感銘した様子、今回の取材に来るにあたって初めてケネディの事を調べたと言う程度の知識だったようで「大変興味が湧き、参考になりました!」と言われましたので、私のHPを参考に!と宣伝しちゃいました。それに、この後13時に、ここのロビーで土田先生とお会いする旨話すと、是非とも取材させてと言って別れたのでした。その頃、館内を見学していた中出さん達は、ミュージアムの専属カメラマンに追い回され、写真を撮りまくられたそうで、帰国後ライブラリーのHPにその写真が掲載されていた!との報告でした。先ほど触れたように今日は無料開放日、それを良い事にライブラリーの隣に新しく建設された「エドワード・ケネディ研究所」と銘打った施設に足を向けました。ところが何と「休館」!これだけ人が集まる事が予想される日に休館とは!何を考えとるのじゃ!と怒ってみても休みは休み、再びライブラリーに戻って売店をひやかしていると先生に声を掛けられました。まだ12時前なのにと訝ると「1時間くらい「エドワード」の方を見ようと思って来たら、休みなんだよ」と同じ被害に遭われたようです、ただ「宝くじに当たる確率」以上の偶然に、昔の大学の同僚の方と出会ったとの事で、土田先生がこれから館内を案内するとの事。「贅沢ゥゥゥ!」
その後の前後関係は正しい記憶かどうか解りませんが、我々の所に立派な紳士が現れ挨拶するのです。名刺によると、このライブラリーの館長ロステイン氏だそうです。今回は「館長づいてる」などと思ったのですが、この時の話を翌日、空港に送って頂いた長島氏に話したら「アポ無しで、ハイアニスの館長やライブラリーの館長と面談できるなんて考
えられない事ですよ!」と言われ「フーンそうなのかな?」    ライブラリーの館長と言えば一昨年3月国立公文書館で開かれた「ケネディの遺産展」の時の「パネルディスカッション」に出席されていた方かな?とも思ったのですが、間違ったら失礼かと思いましたので聞きませんでした。(帰国後調べたら、出席されたのは先代のパットナム館長で、やはり違ってました)ロビーの大統領シールの前で、かの専属カメラマンの方や、先生のインタビューの為にやってきた共同通信社の方のカメラの砲列に立たされた我々でした。
そんな所に、ご案内を終えられた土田先生が来られました。共同通信社の方にご紹介すると早速インタビュー。でも、我々のインタビューの時は取材ノート片手の手書きだったのに、先生の時はボイスレコーダーなのって何なのかしらネ? そりゃそうか!(日本に配信された記事
イベント会場にはライブラリーの建物を模した巨大なケーキが鎮座していました。誕生時間の午後3時から先着200名にケーキカットの上、配布するとの事、甘いものはからっきし駄目だし、待っても居られないので写真をパチリで「ごちそうさま!」でした。

お昼時はとっくに過ぎているのにライブラリーのカフェテラスは長蛇の列、皆さんの合意の上?!?!で街に戻り食事を、と言う事になりました。一部ご不満も有るようにも感じたのですが済みません!総勢6名で中心部に
戻りチャイナタウンへ。これまた大盛りの炒飯をご馳走になりました。その時、中出さんが、持参した万歩計を見ながら「うわっ、この三日間でで40,000歩超えですよ!」と大騒ぎ!40,000歩と言えば、毎日PCの前で過す怠惰な生活を送る自分にとっては多分2ケ月以上かけても達しない歩数である事は間違いなし!一昨年から痛めている膝が、今まで何でも無かったのに急に痛くなってきたような気分?大事を取ってホテルに「リタイヤ」することにさせて頂きました。他の4名は土田先生のご案内で「ビーコンヒルの街並み」を散策に行かれました。しかし、思ったより早く戻られました。外は雨が降り出しており散策どころでは無かったようです。
ところで、「聖地ボストン」に移住を決めた鈴木君!いい物件は在りましたか?

明日は朝4時起き!又しても「ロックさんの店」に行って腹ごしらえ「イカゲソパーティ」も早めに切り上げて、ボストン最後の夜を過ごす我々でした。



 帰国

いよいよ丸三日間のボストン視察の旅も終わります。
今回の旅は、少人数であったが為か、ポッキーさんの効率の良いご案内と相まって非常に盛りだくさんのツアーでした。中出さんは、愛読書である「地球の歩き方」を見ながら「ここに載っている見どころリスト、ほとんど制覇したんじゃないかしらん?」と興奮気味でした。最後にホテル前で記念写真を撮って頂きローガン空港へと向かいました。社長さん自らハンドルを握って頂きご案内頂いた長島さんに、心よりのお礼を言ってお別れしました。冒頭お話ししましたように唯一同じ予約がとる事が出来なかった帰国便。小澤さんは我々の便より2時間近く早いシアトル経由便で出発です。(でも、なぜか成田到着は小澤さんの方が2時間以上遅い?)  成田でお待ちすると言ったのですが「お互い疲れているでしょうからここでお別れとしましょう」とのお言葉にチェックインゲートでお別れすることに致しました。我々の出発時間までの間に構内のスナックで朝食を済ませ、デトロイト経由の帰国便に搭乗、再び13時間以上の禁煙を強いられることになります。しかし、機内では旅の思い出に花が咲きあっと言う間のフライトでした。
ここで、報告書とは全く関係ありませんが、委託荷物の事で海外旅行慣れしていらっしゃる方に質問があります。乗継便の場合、国際線⇔国内線の乗り継ぎとなるのが一般的ですが、委託荷物の受け取り場所が、過去の自分の海外旅行の経験上、全くばらばらの感じがするのです。直接目的地まで運ばれる場合と、乗り継ぎ地で一旦受け取る場合があります。今回は行きはデトロイトで一旦受取りでしたが帰りは成田受取りです。前回のニューオリンズ・ダラスの時は、行き帰りともに最終目的地での受取でした。航空会社による違いでも無さそうですしヨーロッパ便でもEU圏以外での乗継の場合、同じ事がありました。もしその基準と言うかルールをご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。まっ、直行便にすれば関係ないですが  トホホ
そんなこんなで無事成田到着、早速「反省会は、いつどこで?」と言った話や、「前田さん!来年はボビーの50周忌ですしジャックの55周忌も控えているので忙しいですネ」だって?バッキャロー!その前に破産しちゃうよ!
あっそうそう、ビーコンヒルのご自宅とハイアニスの別荘が完成したらご連絡ください、必ずお訪ねしますからネ 鈴木さん!


 旅を終えて ※到着順

鈴木克美さん
十年前から抱いていた念願の聖地ボストンに初上陸!!出発3カ月前から高揚し過ぎ、まるで小学生の遠足前の気分で寝不足な日々が続きました!(笑)只今興奮冷めやらぬ状態でPCに向かっております。1月14日に前田さんから募集要項UPの連絡を頂き即行HPを覗くも募集要項が表示されない!しかもメールには今までなかった「条件付き」とある。益々あせる中、募集要項にアクセスしようとするとエラーに!(汗)前田さんに「表示されませーーーん!」とやり取り後、何とか表示できたのでした。(汗)その条件の一つが定員6名だったのですが、若い頃に体験したコンサートのチケットをゲットするようなヒヤヒヤものでした!(苦笑)3月に入り前田さんへ恒例?記念Tシャツはどうしますか?と問うたらちょっと早かったらしく「ったく!!出発まで2ヶ月もあるのに、このままだと何を考え出すことやら!」と。(苦笑)先の決起会に出来立てホヤホヤの“長袖”Tシャツを持参しお披露目するや否や「表面のデザインがちょっと大きいんじゃない?とダメ出し(汗)。この幸運?の記念Tシャツが吉と出るか凶と出るか?これから聖地に初上陸する希望と高揚感に満ち一人思いに浸る小生でした!その決起会で前田さんとこんな一幕が!「鈴木君、カードは持っていかないように!」と釘を刺されたのですが「ご心配なく!欲しい物は既に現地から調達済みですので」と応戦!(爆)でも現地に行くとあれも!これも!と目移りし、結果薬局軍資金出動となりました!(笑)
時同じ3月上旬前田さんから重要連絡があり、何やら参加希望者が土田先生、前田さんの他、ロックさんと小生のみとのこと!(汗)皆さん、諸事情があるのかな?とは思いつつ、やはりダラスが行程に入っていないとダメなのか?と寂しい気持ちに…。(涙)と、そこに初回からのオリジナルメンバーであります常連猫太郎さんも参加頂けるとの朗報が入り募集を締め切り、計5名で「いざ聖地ボストンへ!」となったのでした。また、今回大変お世話になりましたポッキーさんへのお土産ですが、小生の担当はポッキーさんの好物「八ッ橋」と女性週刊誌「女性自身と週刊女性」の二種類!3週間分6冊購入したのですが、機内荷物の重量制限が気になり購入前に「6冊ってどの位の重さなのかなー?」とコンビニで丁度二種類が並んでいたので迷わず3冊づつ両手で鷲掴みしニコッと。そうしたところ隣にいた若い?OL風が「何やってんだ?このオッサン!(小生はオッサンと思っていませんが(爆))」といった表情でこちらを見ているではありませんか(笑)。
小生にとって今回のオフ会は今までのオフ会とは色々な意味で異なり、出発当日まで一人はしゃぎすぎたのですが、土田先生からは「現地ローガン空港に到着したら気絶しちゃうんじゃない?」とか、それに対しロックさんからは「サリンジャー君、死んじゃっていいよ!」と。(笑)聖地ダウンタウンの地図を眺めながら「グーグルストリートビュー」ならぬ「サリンジャーストリートビュー」状態の日々が続いたのでした!(笑)
兎に角、今回の目的ジャックの故郷で生誕100周年をお祝いしたいという気持ちを持ち続け、伝説の第1回オフ会に参
加されたナッキーさんのように早くオイスターハウスでジャックと○○の友になりたい!と!(爆)そして、ジョーとローズにこの最高のシーズンにジャックを産んでくれた感謝の気持ちで「いざ聖地ボストンへ!」出発!今回はデトロイト経由だったのですが、機内では既に一人ハイテンション状態!ローガン空港に近づくともう気絶寸前に!ロックさんとは機内でお決まりのやり取り(青空漫才?)を済ませ、聖地に初上陸!ロックさんにはAED準備をお願いしたのでした。(笑)そのローガン空港着陸直前を再現致しますとこんな感じでした!(笑)
小生:
(暫く雲の中で)おー、見えてきたーっ!遂に来ちゃいました!ボストンだ!ロックさん!(既に声がハスキーに)おーっ!来た来た!ボストンだーっ!
前田さん:
へへへ
小生:
恋焦がれたボストン!おーーーーーっ!!おーっ!ボストン!うぉーっ!凄いなー!ボストン!綺麗だー!うぉーっ!来たーっ!うわっ!うーーっ!着陸!ドドドーーン!
小生:
来ちゃったよー、ロックさん!
ロックさん:
鈴木君、どうかね?
小生:
AED準備頼みますよ!ロックさん!
ロックさん:
準備していないから死んじゃっていいよ!
この間、前後に座っていたお客さんは「何ハシャイでいるんだ?」と感じていたことでしょう。(笑)ローガン空港内は祝!生誕100周年のポスターや映像音声が流れていて高揚感が増し、その流れで日本から持参したお酒&おつまみを前田さんの部屋に集合し初日恒例イカゲソパーティへ。と、その前にトラブル発生ーー!!!!!な、な、何とチェックインを済ませ前田さんから頂いたカードキーで入室しようとしたら開かないではありませんか?(汗)カードの向きを変えたりひっくり返してもダメ!ふと、9年前の45周忌時、土田先生が体験した同じ事象が頭を過ったのです。今回40周忌時以来14年ぶり同部屋の猫さんとアタフタ!(汗)。ドア越しに小さな覗き窓で中を見ると、ん?明かりが!しかも人の会話が聞こえるではありませんか!(汗)やられたーーーっ!!暫くして年の功から猫さんより「フロントに行って部屋を変えてもらうよう交渉してきて!」と半ば命令口調!おっと、失礼致しました。先程チェックインした際担当した黒人女性とは代わっており、小生のなんちゃってハーバード卒のつたない英語で一から説明!(汗汗)しかし、相手はボストンアクセントの早口女性担当で小生のヒアリング力では理解不可能な場面も!「そちらが間違ったキーを渡している。直ぐに部屋を変えてほしい!」と。何度かやり取りし合って何とか理解してもらい別な部屋に変えて頂きました!(汗汗)土田先生が体験されたトラブルは外国人特有の数字「9」と「4」の書き方によるものでしたが、今回は「1018」を「1008」にされてしまった(確か)ことからでした!その後、間違った当の本人とフロントで会話する機会があって何事もなかったように笑顔で対応されムカッ!(苦笑)余談ですが、今回泊まった宿、やたらハーバードのTシャツを着た学生を多く見かけました!聞くと、卒業式関連で利用しているとか。土田先生から「絶対ハーバードのTシャツは着ていかないように!」と忠告を受けていたのです。理由は一つ、街角でハーバードの学生と勘違いして質問攻めにあうからです。もし今回着てたら「本物のハーバード学生」と鉢合わせし「どこの学部ですか?」なーんて声をかけられて赤っ恥をかくところでした!(爆)(こっそり小さくハーバードと刺しゅうされたシャツは着ていましたが)(笑)
一日目の朝は時差ぼけなど何のその、睡眠時間2時間程にもかかわらず初日からハイテンション!今回お世話になりましたWPSの長島社長が運転する車で聖地ハイアニスへ!お天気も私達を歓迎してくれているのか抜けるような青空に変わり、ロックさんのテルテル坊主が威力を発揮!!ストリートビューで何度も訪問した聖地ですので見慣れた景色が広がる!それに対し前田さんが「何だって?」と。また「この道はキャロラインさんも通っていますよね?」に対し、「分かったよ!!」と怒られてしまいました。(爆)猫さんからは「ちょっと壊れかけている。血管ブチ切れないように!」とまで。(笑)メインストリートに入りロックさんにエルムストリートではないですよ!と。それに対し猫さんが「座布団はやれない」と厳しーっ!(笑)こんな感じでロックさんとの青空漫才は絶好調の中、恋焦がれたハイアニスミュージアムに到着!これが意外にこじんまりした佇まい!館内を見学、お土産でガッチリ軍資金出動!退館寸前、館長が私達のTシャツや特にバッジが気に入ったようで名刺交換と記念撮影!初日から夜なべして作製した幸運?のTシャツが威力を発揮?し、これで9年前の汚名を完全に返上したと確信した瞬間でした!(笑)ジャックがハイアニスに来る度訪れた教会(地図の距離感がつかめず、ここでサリンジャーストリートビューの威力発揮!あそこです!と指示。そして「任せて下さい!」と(笑)。勝利演説を行った会場、JFK公園も見ることができました。そして海沿いのシーフード料理店で初シーフード料理と地ビールに舌鼓、美味しかったですね!ロックさん?唯一猫さんが完食!その後、クルーズ船でケネディ家の別荘を遠くから見ることができたのでした!感激!!望遠鏡持参した?ロックさんは持参して正解でしたね!ここでランチのお酒が効いたのか?ユラユラと良い気分になりちょっとウトウトしてしまいました(汗)。ボストン市内に戻る前にプリマス「ロック」を見学、そうロックさんの石です!(笑)。しかし、メイフラワー号は修理中とのことで見学できず残念でした!市内に戻りローズが洗礼を受けた教会や車中からビーコンヒルや歴史ある建物等を見学し初日が終了したのですが、チャールズタウンの老舗の彼女「オールドアイアンサイド」コンスティテューション号は1797年?に製造し修復修復を繰り返し今でも現役軍艦には皆ビックリポンでした!
二日目はポッキーさんの御案内で市内探訪です!生誕100周年前日です!TVでは50周忌時のようにはいきませんが、MSNBCやCBS、CNNで若干取り上げて頂きました。初地下鉄を利用しブルックラインの生家からスタート!地下鉄の歴史は古いと聞いていましたが、ガタガタ、ギーギーと結構電車はお疲れのようでした!(笑)朝方から快晴?でポッキーさんの足取りも軽やか!?ここのルートもサリンジャーストリートビューで何度も訪問!生家に近づいてくると胸の鼓動がおさまりません!小鳥のさえずりが心地よく前田さんに対し「ジャックもここを歩いたんですね!」と。いよいよ生家に到着!!鳥肌が立ちました!!未だオープン前でしたがポッキーさんが地下室に入り交渉!OKサイン!皆室内に雪崩れ込みました!写真やTV特番でしか見ることが出来なかった生家です!超感動!生家内はビデオ撮影はNGですが写真はOK。そして勿論殆ど手を触れてはいけないのですが、階段の手すりはOKとのことで、すかさずスリスリ!そしたら前田さんが「スリスリするならもっと下だよ!」と。そうです!ジャックが幼少時代に住んでいた家だから床から4、50センチ?のところを改めてスリスリ!(笑)。 案内人に説明頂きポッキーさんが解説といった流れであっという間に時間が過ぎてしまいました。お決まり?のお土産店を物色、殆ど持っています?がネットで購入できないTシャツ他をゲットし生家を後に。次はこれまた念願のハーバードです!!ボストン初バスに揺られること15分?程で手前にあるJFK公園に到着!前日ハーバードの卒業式がここでも行われたようで、その後片付けでテントやトラック等が。そして歩きながらハーバードに近づいて行く。当然この辺りも何度も訪問!(爆)また気絶寸前です!到着するや否や正門ジョンストンゲートには警備員が立って警備している!な、な、なんと今日は入れないとのこと!(汗)そしたらハーバードにお勤めのポッキーさんが交渉!入ることが出来ました!ポッキーさんには感謝感謝ですね!ロックさん?写真や特番でしか見ることがなかった歴史ある建物がある!そしてジョン・ハーバードの左足を皆で代わる代わるまたスリスリ!テカテカになっていました!次の目的地ユニオンオイスターの予約時間が押し迫っているので要所を足早に見学し大学生協でお買い物です!今回の旅で最も軍資金出動!(笑)。 ネットではゲットできない商品がところ狭しと並んでいる!くーーっ!!会社等向けに頭が良くなる?チョコ他を買い物カゴいっぱいになる程購入!(汗)もう少々時間があれば・・・。(涙)次はユニオンオイスターです!!ここに来る目的は勿論シーフード料理と18番ブースですが、併せてお手洗いです!(爆)ね?ナッキーさん!中座しすかさずお手洗いへ。これで小生もジャックと○○の友です!(笑)いや、待てよ?半世紀も同じお手洗いってことはないよな?しかし、そんなことは関係ありません!タッチの差で予約を先取りされてお客さんが退店し念願の18番ブースで記念撮影!欲を言えばジャックの好物オイスターシチューを食べたかったーーっ!これは現在メニューにはないのでシェフの「リコさん」に注文しなければなりません。マニアックすぎますか?(笑)次はフリーダムトレイルで要所を探訪です。ここではどうしても行きたかったオムニパーカーとそのレストランの左奥にある40番テーブル!こちらでもポッキーさんがスタッフに交渉して頂きOKサイン!ラッキー!皆で記念写真パチリ!小生は皆が立ち去る直後ちょっと残りテーブルを手でスリスリ!(笑)因みにこのテーブルはジャックがジャッキーへプロポーズしたテーブルとして超人気のテーブルなのです!ここで欲を言いますとプレスルームを見たかったこととジャック&ジャッキーとのロマンティックなエピソードがあるオムニパーカーのボストンクリームパイを食べたかったーーっ!(笑)。 そして真向いの旧市庁舎とベンジャミン・フランクリン銅像、旧州議事堂、 (近所にある?議員時代の事務所も見たかったー!)ボストン虐殺地跡、オールドコーナー書店、グラナリー墓地、ファニエルホール、クインシーマーケット、大取は茶会事件船、ここで茶箱を放り投げる体験後ポッキーさんとの一日は終わりました。
いよいよ三日目の朝、そうです。生誕100周年です!!流石に「どこもかしこも」TV局はジャックを祝ってくれているはず?念願の聖地JFKライブラリーです。当日はブルックラインにしようか前田さんは迷われたのですが、ライブラリーにして良かったですかね?地下鉄→シャトルバスと乗り継ぎ聖地へ!小雨とあってかバスは以外に空いているではありませんか?(涙)しかし、流石は車社会のアメリカ!続々マイカーで来場、無料開放日ということもあり、あっという間に混雑!早速入館手続き後、館内を見学、ワクワクドキドキです!!(笑)。20分程のビデオ上映を観賞。混雑していたこともありますが半日ゆっくり見学したかったーーっ!(笑)。 生誕100周年特設会場は目を見張る物がありました!午後3時からバースデーケーキを振る舞うそうです(そうです!午後3時に誕生しているからです!)が、前田さんは興味無し?おっと、失礼致しました。お決まりのギフトショップでお買い物。ライブラリーの常連客である?小生(爆)は主要なグッズはオンラインショップでゲット済みですが、生誕100周年物やネットにないグッズを購入!そうこうしていると横から「日本から来た方ですか?」といかにも記者風の方が声をかけてくる。聞くと天下の共同通信社ニューヨーク支局の方でした。日本から遥々来る日本人はいないと思っていたそうです!それだけに色々質問を受ける前田さんでした!後から合流した土田先生をご紹介し質問攻めに!お疲れ様でした!帰国後、佐賀新聞に我らが土田先生と前田さんのコメントがちょっと載りました!そして我々の幸運のTシャツが最大限に威力を発揮する時がきました!ライブラリーの専属カメラマンの目にとまり写真を取らせて下さいと。何だかモデルになった気分?でした!(爆)ね?ロックさん?(笑)しかしライブラリーのHPには未だ掲載されていない?ようです(涙)。 夢のような時間はあっという間に過ぎてしまうものです。午後はダウンタウンに戻り土田先生お薦めの中華で麺ランチ、結構美味しくボストンに来て初完食でした。ランチ後はロックさんにご案内頂くようお願いしていた(笑)ビーコンヒルを土田先生に案内頂くのですが、途中で雨が降りだし要所を探訪後、ホテルへ!残念です。
そして毎晩続いた聖地最後のイカゲソパーティ!最終日朝は4時前に起床しなければいけない為早々に切り上げたのですが、その前の夕飯はロックさんお気に入りのテキサスステーキで〆たのでした!このお店、2日連チャンだったのですが、本場のような大味とは違い以外に美味しかったですね!ロックさん?(笑)
伝説の第一回オフ会で「ダウンタウンダラスで育つのと聖地で何不自由なく育つのとでは人格形成に違いがでる!」と感じられたナッキーさん!小生も今回の超感動的なオフ会で同様に感じることが出来ました!!そして次のサリンジャーの野望!?将来ダウンタウンボストンに瓦屋根の一戸建て&無類のコレクターナッキーさんと共同出資でハイアニスに別荘!を実現すべくお仕事頑張りましょうね!ナッキーさん?(笑)
最後に今回現地でお世話になりましたWPS長島社長、ポッキーさん、本当にありがとうございました!土田先生、前田さん、ロックさん、猫さん、お世話になりました。再び聖地に訪れることを夢み続けながらペンを置きたいと思います。(笑)
追伸 TO:ロックさん
出発まで連日?メール攻撃ご迷惑をおかけしました!(笑)

中出 忍さん
ロックフォードです。今年のJFKクラブジャパンの海外オフ会は、いつものダラスオフ会ではなく何とJFK生誕100周年記念のボストンオフ会でありました。このいきさつを語ると長くなりますが少し説明させと頂くと、前回のダラスオフ会(2013年11月)の帰路サリンジャーさんが「ロックさん、4年後はJFK生誕100周年記念でボストンオフ会ですよ!」の何時もの思い付き発言が発端でした(笑)但しその時私は即座に「そりゃ〜ないから、サリンジャー君1人で行きなさい」でした!その後プチオフ会で前田さんとこのボストンオフ会が話題になると「ダラスじゃなくて、ボストンだけじゃ参加者が集まらんだろ〜?」が当時の結論だったと思います。それから紆余曲折ありましたが、昨年(2016年)の年明けに前田さんが「ボストンオフ会の実施」の決断をされて、JFKクラブジャパンの海外オフ会では初めてのJFK生誕100周年のボストンオフ会の準備が始まりました。ここでJFKクラブジャパンの国内オフ会に参加されている皆さんならご存じだと思いますが、私が第1回ダラスオフ会後にネットを通して知り合った、ボストン在住のポッキーさんへボストンツアー協力を前田さんから打診されました。私としても、もし今回ボストンへ行くのなら是非ポッキーさんと再会したいとの思いから、二つ返事で了解しました。まずポッキーさんがツアーガイドをしていた旅行ツアー会社WPS(Wordwide Planning Services)を前田さんに紹介して頂きまして、今回のボストンオフ会が始動したのでした。その後で、今度は私がボストンオフ会2日目の市内ツアーの企画を任されたので、その時のガイド役をポッキーさんへ依頼しました・・・ポッキーさんにはこの件で何度もメール交換しましたが、最終的にポッキーさんから「もうツアーガイドの仕事は辞めているので、友人として参加するならいいです!」という有難いお返事に感謝・感激して前田さんへ報告したのでした。しかしボストンオフ会開催には最大の難関がありました・・・参加人数の確保です。但しこのことは前田さんの方から詳しく報告されると思うので省きますが、結局いままでの海外オフ会で最小の4名(土田先生は、ご自身の研究の為、現地入りしていたので、28日と29日のみ特別参加)となりました。前置きが長くなりましたが、本当に直前まで実施するか中止かの瀬戸際まで追い詰められたボストンオフ会でしたが、無事に帰国した今の感想は、少数参加ながら実に内容ギッシリで密度が濃く思い出深いボストンオフ会となったので参加して本当に良かったです!さて話は先月に戻り、5月26日(金)15:55発のデルタ航空276便でデトロイトに到着。デトロイトで入国審査を終えて、2時間58分後の17:35発の154便でボストンへは19:33頃に到着しました・・・この着陸直前のサリンジャーさん「うぉ〜来た来たロックさん、ボストン・ボストン!」で興奮はMAXでしたねッ(笑)ローガン空港のBaggage Claimでスーツケースを取り、空港内の「JFK CENTENNIAL CELEBRATION」のポスターや垂れ幕を目にしたとたんに「あ〜14年振りにボストンへ来たな!」という実感が湧いて来ました。ローガン空港からは、WPS(Wordwide Planning Services)の長島さんが車で迎えに来てくれていて、我々4名を乗せて、ダウンタウンの宿泊ホテルであるリベアホテル ボストン コモン(Revere Hotel Boston Common)に着いたのは21時を回っておりました。明日のハイアニスツアーが朝の9時ホテル前に集合で、MPSの長島さんが迎えに来てくれてのハイアニスツアーなので夕飯は外に出掛けないで、ホテルの部屋でJFKクラブジャパンの定番「イカゲソパーティ」となりました。そういえば前回のダラスオフ会時のニューオリンズでも、ホテル到着が22時と遅かったので同じでしたな〜(笑)翌日は、9時にホテル前に集合して、MPSの長島さんの運転する車で本日はケネディ家の別荘が有るケープゴッドの玄関口ハイアニスへ行きました・・・快晴の中2時間少しのドライブでした。そうして最初の訪問はJFKミュージアムでしたが、今回のボストンオフ会での最初のトピックスが起きました・・・それは見学も済んで外に出ようとした時に、2階から下りて来た我々と同じ背丈のオジサンが私のブレザーの襟に付いているJFKクラブ・ジャパンのバッジを指さして「グレイト!」「ワンダフル!」を連呼して話し掛けて来ました。そうして「このピンバッチはどこのだ?」と聞いているようなので、私が「これはJFKクラブ・ジャパンのオリジナルピンバッジです!」と答えたら、喜んでまた喋りだしたところへMPSの長島さんが来てくれて通訳してくれたところ・・・このピンバッジが気に入ったので博物館のピンバッジと交換して欲しい、と言っているとのこと。こりゃ代表の前田さんを呼ばないといけないと、館内を探して連れて来ましたが生憎と予備は無いので、前田さんから後日郵送すると言って納得してもらい博物館のピンバッジは頂いたのでした(笑)その後はJFKがハイアニスへ来た時に通った教会などを見学して、ハイアニスハーバーから近い朝鮮戦争ベテランズ・メモリアルパーク隣のジョン・F・ケネディメモリアルを見学して昼食。そうして本日のメインイベントである、HY-LINEのハーバークルーズでハイアニスポートに建つケネディ家の別荘を眺めに行きました・・・広大な私有地なので、陸地からは行けなくてクルーズ船で遠方から眺めるというのがいかにもアメリカという感じです!ただこのクルーズは、もちろん美女が解説してくれるのですが、配布された写真付きの解説カードがないとどの別荘が誰のか分かりません・・・それに寒かった!それで判明した感じでは、ロバート・ケネディ、エドワード・ケネディにジョン・F・ケネディの別荘でしたが、よく映画で観た別荘の景色ではありませんでした。ハイアニスでのサリンジャーさん語録「私、ここに永住していいですか?」・・・私「すれば!」(笑)ハイアニスの後はまだ時間があるというので、長島さんの提案でまずアメリカ発祥の礎プリマスロックを見学に行きました。プリマスロックは正直なんじゃこりゃ的な感想でしたが、この石こそ1620年12月21日にメイフラワー号に乗ってやって来たグリムファーザーズが初めてプリマスの地に足を降ろした、その踏み石がこのプリマスロック(花崗岩)と言われています。次はボストン市内に戻りまして、ポール・リビア・モールで独立戦争の英雄ポール・リビア像とボストン最古の教会オールドノース教会とローズ・ケネディが洗礼を受けた教会を見て、チャールズタウン・ネイビーヤードの名所米国船コンスティテューション号と駆逐艦カシン・ヤング号を見学して、フリーダムトレイルの終点地であるバンカーヒル記念塔を見学して、初日のスケジュールは終了しました。この日の夕飯は、私のハンドルネームであるロックフォードからココにしようと入ったのが、ROCK BOTTOM(ロック ボトム)というレストランのTexas Fire Ribeyeというステーキでしたが、ソースが日本人好みで肉も柔らかくジューシーで旨かったです・・・価格は$22.49した。28日(日)は、先に来ていた土田先生とリベア ホテルの待合室で前田さんと一緒に再会の挨拶です・・・土田先生もこの日は一緒に行動してくれるとのことでの特別参加となりました。ポッキーさんとは朝9時にリベアホテルの玄関前で待ち合わせることになっていたので、ホテルの外で待っていたら、「シノブさ〜ん、お久し振り〜!」と呼ぶ声が聞こえたので振り返ったら14年振りのポッキーさんが歩いて来ました・・・見るとポッキーさんは14年前と体型も雰囲気も少しも変わっていなくて驚きました!到着早々ポッキーさんから「シノブさん、今日私はどの程度ガイド役をすればいいですか?」と言うので「ポッキーさんにはハーバード大学とJFK関係以外の場所だけでいいです!」と返答したのですが、いやいやもう終日ガイドをしてもらっちゃました!それでこの日はボストン市内を走る地下鉄T(ティー)&バスを利用して回ったのですが、それらを利用するために地下鉄駅で購入したのが7日間利用できる「CharlieTicket(チャーリーチケット)」という切符であります・・・これで地下鉄と市内を走るバスも乗れます。チャーリーチケットは1‐Day Link Pass($12)と7‐Day Link Pass($21.25)があるのですが、我々は今日と明日の2日間利用するので、7‐Day Link Passの方を購入して、ポッキーさんはに引率されて、最初はオレンジラインのTufts Medical Center駅から途中レッドラインに乗り継いで、Park Street駅からグリーンラインに乗り換えてCoolide Corner駅で下車して徒歩で10分程でブルックライン市のJFK生家に到着しました。JFK生家は過去2回来ていますが、いずれもウィンターシーズンで「closed」だったので、念願叶ってやっと内部の見学が出来ます。生誕100周年ということで生家も飾り付けられていました・・・しかしHouse Tour(ハウスツアー)の開始は10時からだったのですが、ポッキーさんが担当者に直接交渉してくれまして、なんと9時30分〜我々だけの為にハウスツアーをやってくれました。この生家でのポッキーさんの活躍でメンバーは大喜びで感謝・感激でありました!さて生家の見学後はバスに乗って次の見学地であるハーバード大学へ向かいました。ところがハーバード大学は5月26日に卒業式があり、訪れた28日もまだ同窓会イベントが開催されたりしているので、ハーバードヤードには入れないことが判明しました。しかしここでもポッキーさん諦めずに自身がハーバード大学の図書館に勤務しているので、その職員IDを警備のオジサンに提示して「日本から来た私の友人を見学させてもいいか?」と交渉して、見事に全員中へ入れたのでした。ロックフォードは14年前にポッキーさんに連れて来てもらってから今日まで、ジョン・ハーバードの銅像との再会出来るとは、14年前には考えていなかったのでこれはもの凄く嬉しかったです。ワイドナー図書館などヤード内見学後にハーバード大学の生協でお土産を買った後は、ポッキーさんが予約してくれた「UNION OYSTER HOUSE」行ったのですが予約時間に間に合わなくて、サリンジャーさん念願のケネディブースでの食事は出来ませんでしたが、帰り際にまたポッキーさんがお店のスタッフに交渉してくれて記念撮影は出来たのでした。昼食後はサリンジャーさんのリクエストでロブスターロールを売っている、クインシーマーケットへ行きましたが お腹一杯で誰もロブスターロールなんか買いませんでしたけどねッ(笑)次はナサニエル・ホーソーンやチャールズ・ディケンズら偉大な文学者が集まった名所の一つオールドコーナー書店なんですが(見学は無し)、なんと現在はChipotleというメキシコ料理のファーストフード店になっていました(残)そうして旧州議事堂(Old State House)へ行きました。1770年にアメリカの独立戦争の発端である、ボストン虐殺事件があった場所で、虐殺跡を示す円形の碑が埋め込まれてありました。次に訪れた場所はオムニ・パーカー・ハウス・ホテルですが、このホテルで上院議員時代のケネディがレストランの40番テーブルでジャクリーンさんにプロポーズしました・・・ここでもポッキーさんが交渉してホテル内のレストラン40番テーブルで記念撮影成功でした・・・サリンジャーさん大満足(笑)そうしてマサチューセッツ州議会議事堂に14年振りに訪れましたが、休日のために中に入ることは出来ませんでした。そうしてダウンタウンの真ん中にある緑のオアシスであるボストンコモンに行きました。ボストンコモンはアメリカ最古の公園であり、セントラル墓地などもあります。このときは、5月26日の「メモリアルデー」戦没将兵追悼記念日で沢山の星条旗が供えられていました。ボストンコモンからレッドラインPark Street駅からSouth Station駅まで移動して、ボストン市内ツアー最後の見学場所ボストン茶会事件船であります・・・これは私の強い希望で、なかば強引に組み込んだ場所でした。この茶会事件船の見学でこの日のスケジュールは終わりましたが、ホテルへ帰って万歩計(スマホ)を見たら18000歩を越していました・・・膝が悪い前田さんには申し訳ないことをしたと思っていますが、ボストンの名所を目いっぱいに堪能した一日でありました!5月29日(月)いよいよ最終日であり、JFK生誕100周年のイベントが開催されるジョン・F・ケネディ・ライヴラリーへ出掛けました。リベア・ホテルを出て徒歩で地下鉄グリーンラインのBoylston Streat駅へ行き、Park Streat駅でレッドラインへ乗り換えます。Park Streat駅から5駅のJFK/UMass駅で降りるのですが、ここで地下鉄がJFK/UMass駅に着いた時は地上駅か地下駅なのかと、前田さんから聞かれて「確かJFK/UMass駅は地上駅だったと思います!」と答えたものの、14年振りなのでハッキリ覚えていません。Park Streat駅からレッドラインに乗り換えるところまで、メンバーを完璧にエスコートしたのにココで間違ったら面目ないので、祈るように窓外を見ていましたが、Andrew駅を過ぎてしばらくしたら地上へ出たので安心した次第です(笑)ここまで来たらもう完全に思い出して、ジョン・F・ケネディ・ライヴラリーへ行く無料のシャトルバスの停留所までメンバーをエスコートしました。シャトルバスで走ること10数分でジョン・F・ケネディ・ライヴラリーへ到着しましたが、途中に建造物の工事などあり、かなり以前より蛇行した道順になっていましたが、14年振り3回目のジョン・F・ケネディ・ライヴラリーに着きました・・・今回初めて来たサリンジャーさんはもう興奮しまくりの状態でした(笑) この日は、午後13時から隣に新しく出来たエドワード・M・ケネディ・インスティテュート博物館に行っている土田先生と落ち合う予定ですので、それまではタップリありました。そうして、ライブラリーでの見学中にロックフォードとサリンジャー君が共同通信のニューヨーク支局のMさんという記者の取材を受けました。なんでもお揃いのケネディTシャツを着て、日本語を話していたので「この日本人はなに?」っと興味を引いたようです(笑)2人揃っての取材でしたが、ここにはJFKクラブ代表の前田さんと、同じくクラブの会員であり顧問の城西国際大学の土田先生も来ていると話したところ、俄然興味を持ったようで、全員揃ったらまた取材させて欲しいとのことでした。その直後に、今度はライヴラリーの専属カメラマン氏が、親父とサリンジャー君のお揃いのTシャツJFKクラブジャパンのピンバッチにこれまた大喜びで、2人並べと指示されて写真撮影されました・・・この時の写真は帰国後にジョン・F・ケネディ・ライヴラリーのHP上に掲載されているのを見て感激しました。その後Mさんと2階で再会、前田さんと土田先生にボイス・レコーダー片手に本気モードの取材をされて、この記事は後日、日本の地方紙に掲載されたようです!またM記者は、JFKクラブのメンバーが揃ったところを写真に撮ってくれて、メールに添付して送ってくれました・・・この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました! そうしてMさんが土田先生の取材を終えた直後に、なにやらスーツ姿の紳士が先ほど写真を撮ってくれたライブラリーのカメラマン氏から「この日本人たちはJFKクラブジャパンのメンバーだよ!」と言ったのかどうかは知らないけれど、メンバーが付けていた例のピンバッチを見て大喜びで、一緒に写真を撮ろうと言っているようです・・・でッこの紳士はジョン・F・ケネディ・ライヴラリーの館長さんのSteven M・Rothsteim氏なのでありました・・・ハイアニスに続いて、JFKクラブ・ジャパンのお揃いのTシャツとピンバッチが効果を発揮したのでした!さてエドワード・ケネディの方が休館だったので、予定より早く土田先生とボストン市内へ戻って昼食にしようと決まりました。このあたりから少し雨模様になって来ましたが、小雨だったので昼食はダウンタウンまで戻って土田先生の案内で、中華料理屋へ入りました。昼食は、豚肉の焼きそばでしたが、お肉が柔らかくてとても美味しかったです・・・かなり大盛りでしたが、朝食抜きでしたので完食しました。ここでの昼食は、土田先生に御馳走になってしまいました・・・土田先生ご馳走様でした。昼食後は徒歩で、レンガ造りの建物は美しいビーコンヒルを探索しました。ビーコンヒルでのサリンジャーさん語録「私、ここに住みたいです〜!」・・・私「住めば!」(笑)ここまで来て、雨が強くなって来たので土田先生ご案内の市内ツアーは中止となりました。ここからボストンコモンはすぐ近くでしたので、ロックとサリンジャー君と猫太郎さんの3人は徒歩でホテルへ戻りました。サリンジャーさん語録「いやロックさん、聖地はダラスじゃなくて、ボストンでした〜!」(笑)私「だから言ったでしょダラスは事件現場です。聖地というならボストンです!」リベアホテルへ戻って少し休憩して、ボストン最後の夕食へ出掛けました。この夜はもうお店を探すのは止めにして、私の提案でハイアニスツアーの夕食で美味しかった、Rock Bottomのステーキとサミュエル・アダムスの地ビールで乾杯して、ボストンオフ会最後の夕食を楽しみました。翌朝は5時にMPSの長島さんが迎えに来てくれて、ローガン空港へ行き8:50発のデルタ航空189便でデトロイトへ行き、 デトロイト発12:23のデルタ航空257便で成田へ向かいました!復路は猫太郎さんのみシアトル乗り継ぎでの帰国となりましたが、2時間遅れで成田へ無事帰国したと、成田空港からONライナーで帰宅するときにメールで知り安心しました。今回のボストンオフ会がいままでのダラスオフ会と違う点は、アメリカ発祥の地ボストンということもあり、JFKに特化した見学以外の観光スポットを網羅した点にあると思います。これはハイアニスからボストン市内ツアーに於ける観光スポット巡りでお世話になったWPSの長島さんと、貴重な休日を我々の為に割いて、素晴らしい機転でガイドをしてくれたポッキーさんのお陰だと思っております。この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました!またいつもの様に、航空機の手配からホテルの予約まで一切を行ってくれた前田さんと、土田先生にも感謝致します。それでは、前田さん、土田先生、猫太郎さん、サリンジャーさんお疲れ様でした・・・プチ報告会でお会いするのを楽しみにしております!