特別寄稿 
 
JFKクラブの皆さんロックフォードです。今回は私が「第二回ダラスオフ会」後に単身で訪れたボストンの訪問記を大々的 ? に掲載させて頂く事になりました。ロックフォードもついに由緒ある前田さんの「ケネディ暗殺事件」のHP上にデビューすることになった理由で、光栄ではありますが内心は一人ダラスからボストンへ行ったのと同じ位に緊張しております。さて、本題に入る前に何故今回の「第二回ダラス・オフ会」後に単身ボストンへ行く事になったのかを説明します。1999年の「第一回ダラス・オフ会」に参加した私は、帰国後に訪米地の中でも一番気に入ったボストンのことが忘れられずに、暇を見てはインターネットでボストン案内のホームページ探しをしておりました。そんな中で一番内容が濃くて親切な解説をしている「ポッキーのボストン案内」という日本人の方が開設しているページへ行き着いたのです。それから暫くしてこのHPの管理者ポッキーさん(今でもこの呼び方でお付き合いしております。勿論日本名の本名があります。)とのメールによるお付き合いが始まり、時々JFKグッズをボストンから送ってもらったり、此方からは日本での買い物を頼まれて送ったりのやり取りが続きました。しかしその後の4年間で実際にお会いしたのは、ポッキーさんご夫婦が一時帰国された昨年3月の一度きりでした。この席で「もしシノブさんがこの次のオフ会でダラスに行ったら、是非ボストンへも寄って家に泊まっていって下さい!」このありがたいお言葉に「ではその時は宜しくお願いします」と返答しておきましたが、実際にはこの時まだ我がJFKクラブの「第二回国内オフ会」は開催していないし、もし本当に行けても2〜3年先だな・・・と考えていたと言うよりそんな図々しいことは出来ないかな?が本音でした。ところが人生は謎が多くて、JFKクラブの「第二回国内オフ会」が昨年4月に開催され、前田さんの「皆さん来年はケネディの40周年ですよ〜。毎月1万円貯めて〜」の発言がありました。まっイロイロありましたが今年の「第二回ダラス・オフ会」開催が現実のものとなって来たのです。さて、此処から私の「ダラス・オフ会」と「ボストン旅行」の二本立てプランが始動したのですが、この後は長くなるので省きます。まっ例のごとく妻に「JFKクラブのダラス・オフ会とボストンへ行ってポッキーさん宅にお世話になる予定なんだけど、行ってもよござんすか?」に前回同様に「行けば〜!」。我が妻は私を愛しているのか又はまったく関心が無いのか・・兎に角最大の難関をまたも突破したのでした。ボストンのポッキーさんからは「私が案内してあげますから予定が決まったら連絡してね。」とのメールに感謝感激。因みにこのポッキーさん現地でハーバード大学勤務とツアーガイドの仕事をしております。

 2003年11月24日(月)
ダラス・オフ会も無事終了して私を除く7名の方々は帰国する日です。私は皆から1時間遅れで一人ボストンへ向かいます。 海外旅行2度目にして一人でダラスからデトロイト経由でボストンへ行けるのでしょうか?英語の方もガイドブック片手に話す程度でとても英会話の域には達していません。「やはり皆と日本へ帰るべきだった!」後悔先に立たず。しかし今回のダラスツアーでの添乗員美佳さんの「荷物はボストンまで直接届くから、デトロイトでは乗る便さえ間違わなければ大丈夫ですよ!」の言葉に励まされてNW 1690便に乗り込みました。ところがデトロイト到着直前に機長が「雪が降っていて何とかカンとかで、乗り継ぎは何とかカンとか・・」とアナウンスしているようです。こりゃデトロイト空港が雪で閉鎖されていて、何処か他の空港へ着陸するということか?不安と動揺の中飛行機は予定より少し早く何処か?の空港へ着陸しました。結果から言うと此処はデトロイトだったのですが(雪は途中から粉雪になってきたので・・・・そのことのアナウンスだったようです!)大体、ミシガン州デトロイトなんて自動車の町位しか知らないし、その割りにお腹は空くし(美佳さんのお握りを食べて我慢)。空港到着後に兎に角自分の乗り継ぎ便が此処から離陸するのか確認。カウンターのでかいオバちゃんが私があまり英語が話せないのを察して搭乗券にボールペンで出発ゲートの番号をデカク書いてくれて、黒人のアンちゃんに「この人をこのゲートへ案内しろ!」と指示してくれる。目的のゲートに到着したら、今回の武器であるDocomoで借りた国際携帯電話でボストンのポッキーさんへ早速連絡。不安でオタオタしている私に「シノブさんが乗る飛行機の便が変更になっていなければ大丈夫ですよ。此方でチェックできますから。」この言葉にまたまた励まされて、NW 998便で一路ボストンへ。そして定刻にボストンへ到着しました。窓の外には4年前に見たボストンの風景が「オー久し振りのボストンじゃ〜!」此処まで来ると少し余裕が出て来ました。 Baggage Claim にスーツケースを取りに行くと「シノブさ〜ん」の声。久し振りであり2度目のポッキーさんとの再会でした。こんなに待ち合わせの人との面会がありがたく感じた事はありませんでした。さすがに泣きはしませんでしたがね。この後はタクシーでポッキーさん宅のある Malden のコンドミニアムへ直行しました。ポッキーさん宅到着後にパソコンをお借りして前田さんに「無事に着きました!」のメール。 DFW で前田さんが「ロックさん兎に角無事付いたらメール出してね!」と言っていたのを思い出しました(帰国後に聞いたらこの到着メールをオフ会参加のメンバーに通達してくれたとの事で前田さんありがとうございました。)。夕食に久し振りの日本食「手巻き寿司」(ウニまであって最高でした。)をご馳走になりご夫妻と乾杯。何とか無事にボストンへ辿り着きました!その晩はポッキーさん宅のゲストルームで 休ませてもらいましたが、安心したのと家族のことなど思い出しまして、少〜しホームシックになったロックフォードでした。

 25日(火)
少し肌寒いものの良い天気で、ポッキーさんのご主人の車でボストンの地下鉄「T」のオレンジ・ライン Oak Grove 駅まで送ってもらいます。ここでボストンを観光するのに欠かせない乗り物地下鉄について紹介しましょう。ボストンの観光は歩く事から始まると言われていて、アメリカ最古の地下鉄を利用して効率よく廻るととても便利です。かく言う私は4年前にこの地下鉄で5分間の迷子になり前田さん猫太郎さん Nacky さんを心配させた前科があります。で、地下鉄ですが、ボストンでは Subway とは呼ばずに「T」(ティー)と呼んでいます。4色のラインに分かれていて、ブルー・ライン・オレンジ・ライン・レッド・ライン・グリーン・ラインがあり分かりやすいです。 Government Center に向かう路線を Inbound、その逆方向を Outbound と呼びます。日本でいうところの上り線と下り線ですね。ただし Government Center 駅だけは、向かう方向で書かれています。たとえばブルーラインの Airport 方面は東行きで Eastbound となります。地下駅から乗る場合に改札は無人で、トークンと呼ばれていいるコインを投入してターンスティールを押して構内に入ります。日本の切符と違い乗る時にトークンを投入するので駅から出る時は、再びターンスティールを押して出るだけでとても便利です。切符て落す事ありますからね。この地下鉄のトークンは1枚$1ですが、4年前は85¢でした。何でも来年の2月に値上がりが予定されていて1枚$1.25になるそうです(それでも安い!)。次に地上駅から Inbound へ向かう場合ですが、改札はないのであらかじめトークンか$1を用意しておき電車の進行方向一番前のドアから入り、運転手の脇にある箱に入れます。その他もっと詳しい事が知りたい方は「ポッキーのボストン案内」かダイアモンド社の「地球の歩き方(ボストン&マサチューセッツ」を参考にして下さい。さて、本日最初の訪問は「T」のレッド・ライン Harvard 駅で降りて、ポッキーさんの職場であるハーバード大学(写真左)へ行きました。これはポッキーさんの私用を済ませるだけだったのですが、私にとっては初めてのハーバード大学訪問です。1936年にプリンストン大学からハーバードに転校したJFKが通ったであろう正門から入ると、ユニバーシティー・ホール前のジョン・ハーバードの銅像が目に入ります。ここでハーバードの説明と行きたいところですが、ハーバード訪問は翌日のスケジュールなのでここでは省きます。ポッキーさんの用事を済ませると、2度目のJFK.Library へ向かいました。地下鉄レッド・ラインの JFK/U Mass 駅で下車(写真右)此処でポッキーさんと一時お別れです。本業のツアーガイドの仕事が入ったので、JFK.Library とボストン美術館は私一人で見学することになったのです。さて、バスターミナルに出ると JFK.Library までの無料シャトルバスに乗れます。ガイドブックによると「JFK.Library/University Mass」行きとありますが、@とAの番号のバスが来て JFK.Libraryには Aのバスに乗れば行けます。20分間隔で出ているようですが、帰りもJFK.Library正面のバスストップで待っていればJFK/U Mass駅まで戻れます。JFK.Libraryについては「第一回ダラス・オフ会」の前田さんの報告書に詳しく出ているので省きますが、今回は特別展としてキャロラインのコレクションしたドール(人形)展とロバート・ケネディのドキュメンタリー映画(1時間30分の長編)を上映していました。残念ながらRFKの映画は時間の関係で見ることが出来ませんでしたが、4年振りの JFK.Library なので一人でウロウロしてゆっくり堪能しました。大統領執務室(Oval Office)と司法長官室(Attorney General's Office)を再現した部屋では4年前のことが思い出され感動が蘇りました。勿論ボビーのデスクではいすに座り司法長官気取りでしたよ。さて、お腹も空いたのでカフェで軽食と思ったのですが、これが超満員でとても無理。仕方ないのでショップでお土産を買ってシャトルバスで JFK/U Mass 駅へ戻りました。さて、ここから私一人で「T」に乗ってボストン美術館へ行かなくてはなりません。まずレッド・ラインで Park Street 駅へ行ってグリーン・ラインへ乗り換えです。話し相手はいないし、ボンヤリしてると目的の駅を乗り越すかも?まったく余裕つ〜ものが無い。それでも何とか Park Street 駅へ到着して、今度はグリーン・ラインに・・・グリーン・ラインは4方向へ分かれるのですが、ポッキーさんから(E)と書かれた列車に乗るように指示されています。(B)〜(E)まであって(B)は Boston College 駅が終点、(C)は Cleveland Circle 駅、(D)はRiverside駅、目的の(E)は Arborway 駅が終点。ボストン美術館はその中の(E)に乗って Museum 駅で下車します。ところがこの(E)列車が中々来ない。ポッキーさんもそのように言っていましたが、来るのは(B)ばかりです。多分20分以上待ったと思いますが、やっとこさで(E)が来たときの嬉しさ。あとはゴトゴトと走って Museum 駅(地上駅でした。)で下車。そこからボストン美術館は徒歩で1〜2分程度でしたが、もうすでに4時前位です。入ったとしても直ぐ出ないとポッキーさんとの待ち合わせ時間に遅れます。此処は明日にでももう一度来るとして、待ち合わせ場所である Boston Marriott Copley Place ホテルへ行く事にしました。 Museum 駅へ戻り Inbound へ向かう列車を待ちますが、これがまた中々来ない。それでも漸く乗って Copley 駅で降りて、散歩をしながらホテルへたどり着きました。ボストン美術館もこの場所も地区でいうと Back Bay になるのですが、19世紀初めには海だったところです(Bay=湾)。前回のオフ会の時に歩いた Public Garden もこの地区です。待ち合わせていたポッキーさんと落ち合って、会社関係のお土産などを買ってこの日は帰宅しました。

 26日(水)
もとてもよい天気でした。 Oak Grove 駅から Harvard 駅へ行き、今日は本格的にハーバード大学見学です。ツアーガイドのポッキーさんが私一人のために解説してくれます。何という贅沢!まず正門で記念撮影。最初に観光スポットでもあるジョン・ハーバードの銅像から。この銅像は「3つの嘘の像」と呼ばれています。1つ目は創立者と刻まれていますが、実際にはハーバードさんは最初の寄贈者で、マサチューセッツ・ベイコロニーの最上級役員会の票決により創立されました。2つ目は創立された年が1638年と刻まれていますが、本当は1636年が正解。3つ目は顔が違う。台座の人物の顔はジョン・ハーバードの顔ではなく、ハーバードの学生だったシャーマン・ホアという人の顔です。これはジョン・ハーバード自身の肖像画が1つも無く顔が解らなかったからだそうです。しかしこの「3つの嘘の像」は人気のスポットで皆記念撮影をしています。また銅像の右靴がテカテカに光っています。これは銅像の靴を撫でると「ハーバードへ戻ってこられる。」と言われているからです。もちろん私も撫でて来ました。次にワイドナー記念図書館を見学。ハーバードの卒業生ハリー・エルキンズ・ワイドナーは大変な本の収集家でしたが、ヨーロッパへ本の買い付けに行った帰りにタイタニックの事故に遭い亡くなってしまいました。そこで母親のエレノアがハリー所蔵の約3000冊の本を寄贈したことで建てられた図書館です。ハーバードヤード(構内)を見学するには、日本語の「ひとり歩きのしおり」で約1時間のツアーとなっていますが、一般的にツアーの人達はジョン・ハーバードの銅像を見学すると The Coop という生協のショップへ行くのがパターンなのだそうです。私はその他に Memorial Church (記念教会)の内部や Loeb House (学長の住まい)など見学させてもらい、 The Coop へお土産を買いに行きました。 その後は JOHN F.KENNEDY STREET を歩き J.F.K SCHOOL OF GOVERNMENT を通り J.F.K Park で記念撮影 この静かな公園の門柱にはケネディの就任演説から「ask not what your country can do for you.〜」が刻まれてあります。ハーバード大学見学の最後はLOWELL HOUSEという学生の寮で、かの小和田雅子さんが寄宿していたところだそうです。
ロックフォードのハーバード大学探検写真集
さて、お腹も空いてきたのでランチということになり、4年前にも食べた「Union Oyster House」へ行きました。前回の時は2Fの「ケネディ・ブース」で早目のディナーを味わえたのですが、今回は残念なことに2Fが停電中ということで1Fの席でした。もっとも食後に2Fの停電が直り「ケネディ・ブース」を再び見ることが出来ました。ここで初めてボストン名物のクラムチャウダーを食べましたが、アサリのシチューですねこれは。旨かったですよ。それとボストンの地ビールでサミュエル・アダムスを飲みましたが、ハーフ&ハーフという感じで普通の黒ビールより飲み易い感じで旨かったです。このお店はグリーンラインの Haymarket 駅から徒歩2分程です。午後はフリーダム・トレイルにある Qunicy Market で買い物をして、マサチューセッツ州警察のポリスと記念撮影。 その後で Beacon Hill (ビーコン・ヒル)にあるマサチューセッツ州会議事堂へ出掛けました。ここも前回のオフ会で訪れましたが、今回はポッキーさんのお陰で Nurse Hall (ナース・ホール)・ Hall of Flags (旗の殿堂)・ House Chamber (下院会議室)・ Senate Chamber (上院会議室)を各々解説付きで見学出来たのは幸運でした。特に下院会議室ではケネディが1961年に演説したプレートが張ってある壇上での記念撮影も出来ました(これもポッキーさんが警備のおっちゃんに頼んでくれたお陰です)。残念だったのは、前回は平気で入れてケネディの銅像の前で記念撮影が出来たウェスト・ウィング・プラザへ入れなかった事です。州会議事堂に行くにはグリーン&レッドラインで Park Street 駅で下車します。本日も夕方近くになってポッキーさんは用事で会社の事務所へ寄るので、私一人で昨日入れなかったボストン美術館へ行きました。見学時間は1時間30分程度でしたが、ミレーの「刈り入れ人たちの休息」や「種まく人」・ターナーの「奴隷船」・ルノアールの「ブージバルの踊り」などの名画を心行くまで堪能しましたが、何しろ広い美術館でウロウロしているだけで疲れました。ポッキーさんと Oak Grove 駅から徒歩で帰宅する頃はすっかり暮れてしまいましたが、ボストンの冷たい夜気が心地よかったです。

 27日(木)
はポッキーさんのご主人(会長と呼ばれています)の車で「サイゴン・ヌードル」というベトナム料理の店に昼食に出掛けました。サンクスギビングなので大抵の店は休みですが、ベトナム人には関係ないのか開店しています。私はご夫妻に勧められるままに香草系の野菜を使った塩ラーメンと生春巻きを食べましたが、旨かったです。その後車でグロースターという漁港へ出掛けました。此処は映画「パーフェクト・ストーム」の舞台となった場所(写真@A)ですが、天気もよくて絶好のドライブ日和でした。写真その後ロックポートという町に寄り、コダックの広告で有名だという赤い家をバックに記念写真を撮りました。写真好きな方はご存知じゃないかな?(写真B)
大西洋を陸地からしみじみ眺めたのは今回が生まれて初めての経験で、これは帰国してビデオを見てから「オ〜大西洋だ!」と感動しましたよ。 其処からまた車でボストンへ戻り Beacon Hill (ビーコン・ヒル)の Willow Street を見学。ここは勾配のある坂道に18〜19世紀に建てられたレンガ作りの家が美しい場所です。街灯なんかもガス灯でアメリカというよりロンドンに居るような雰囲気です。もちろん記念写真を撮り・・・本人LAの探偵ロックフォードからシャーロック・ホームズ気取りでした。(写真C )だれ、ホームズじゃなくて「うっかり八兵衛」なんて言ってるのは!すっかりシックな気分に酔ってから、次は本日のメインであるJFK生家です。前回と同じに車での訪問ですが、「T」で行くときはグリーン・ライン(C)に乗り  Coolidge Corner 駅で下車。 Harvard Street を北へ行き、 Beals Street を右折します。駅からは徒歩10分程度だとガイドブックには書いてあります(看板も出てます)。さて、ブルックライン市ビールズ通り83番地の生家も4年振りですが、前回同様にウィンターシーズンのため「closed」です。ポッキーさんが「シノブさん次回はオープンしている期間に来たらどう?」と至極もっともな質問。「でもね〜JFKクラブは11月22日にダラスに居る事が重要なんでね〜!」と返答しましたが、生家の中も一度覗いてみたいが本音でした。それでも玄関前と今回は家の裏側まで行って撮影して来ました。1914年〜1921年までケネディ家が住んでいたわけですが、幼い頃のJFKはこの家で何を夢見て暮らしていたのでしょうか?けっして華美な家ではありませんが、年代を考えると当時の日本人の平均住宅より遙かに立派なのは、やはりアメリカなんだな〜と納得したロックフォードでした。(写真DE)本日のラストはボストンマラソンのコースを走って、土田先生が一時在籍していたというボストン・カレッジを見て(写真FG)ニュートンという街の心臓破りの丘周辺へ行ってジョニー・ケリーの銅像前で記念撮影。(写真H)スケジュールはこれにてENDでした。夜はサンクスギビングのパーティということでポッキーさんご夫妻の友人が七面鳥の料理持参で来られました。私も図々しく仲間に入ってご馳走になり、サンクスギビングを満喫しちゃいました。(写真I)
@

A

B
C D E F
G             H  28日(金)
は午前中ポッキーさんと今回の旅行で最後の「T」オレンジ・ライン Oak Grove 駅からお土産を買いに行き(生憎の雨模様です)、午後ローガン空港で会長さんと待ち合わせてロックフォード得意のGUNシューティングに行きました。今回ダラスとボストンで2回射撃を楽しみましたが、撃たせてもらった銃が両方ともオーストリア製のグロック17というハンドガンでした。これはよく当たる銃でした。その後は会長の車でニューハンプシャー州のポーツマス市に行きまして、日露戦争の講和条約が締結された時(1905年)に日本(小村寿太郎)・ロシア両国の代表が宿泊したホテルを見物しました。もっとも当時のホテルは1882年にホテルは閉鎖されていて、1997年当時の河東哲夫ボストン総領事の協力もあって、2003年5月にマリオットホテル・ウエントバイザシーとして新規オープンした高級リゾートホテルでした。雨も強くなった夕方最後にメーン州のキトレーにあるアウトレットにショッピングに行きました。この周辺の詳しい情報は「ポッキーのボストン案内」のボストン郊外のページにて知る事が出来ます。さて、ロックフォードのボストン旅行最終日もポッキーさんご夫妻のお陰で無事終了して、雨の中会長さんの運転する車で帰宅しました。ボストン最後の晩はポッキーさんご夫妻と日本のTV番組を見ながらビールで乾杯しました。

 29日(土)
朝5時起床。携帯電話で妻と娘に「これから帰ります。」の連絡。会長さんの車でローガン空港に送ってもらい、搭乗手続きを済ませてお別れしました。
I
ダラスからデトロイトへ行く時の緊張はもうありませんでしたが、デトロイトへ到着してNW 11便のゲートへ行った時に、カウンターに居た女性が日本人と思われたので「日本語で大丈夫ですか?」と質問。「はい、11便のお客様ですね!」の返答に「あ〜日本に帰れるゾッ!」と思わずニンマリしたのでした。今回の「第二回ダラス・オフ会」の準備から私のボストン行きの航空券の手配まで全てして頂いた前田さんに感謝致します。またお忙しい中、私の我儘な願いを叶えてくれたポッキーさんと会長さんにこの場を借りて深く感謝致します。本当に有り難う御座いました。下記のURLから「ポッキーのボストン案内」へ行けます。ボストンに興味のある方は是非訪れて下さい。

http://www.pockyboston.com/