特別寄稿 ![]() |
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![]() ![]() ダラス・オフ会も無事終了して私を除く7名の方々は帰国する日です。私は皆から1時間遅れで一人ボストンへ向かいます。 海外旅行2度目にして一人でダラスからデトロイト経由でボストンへ行けるのでしょうか?英語の方もガイドブック片手に話す程度でとても英会話の域には達していません。「やはり皆と日本へ帰るべきだった!」後悔先に立たず。しかし今回のダラスツアーでの添乗員美佳さんの「荷物はボストンまで直接届くから、デトロイトでは乗る便さえ間違わなければ大丈夫ですよ!」の言葉に励まされてNW 1690便に乗り込みました。ところがデトロイト到着直前に機長が「雪が降っていて何とかカンとかで、乗り継ぎは何とかカンとか・・」とアナウンスしているようです。こりゃデトロイト空港が雪で閉鎖されていて、何処か他の空港へ着陸するということか?不安と動揺の中飛行機は予定より少し早く何処か?の空港へ着陸しました。結果から言うと此処はデトロイトだったのですが(雪は途中から粉雪になってきたので・・・・そのことのアナウンスだったようです!)大体、ミシガン州デトロイトなんて自動車の町位しか知らないし、その割りにお腹は空くし(美佳さんのお握りを食べて我慢)。空港到着後に兎に角自分の乗り継ぎ便が此処から離陸するのか確認。カウンターのでかいオバちゃんが私があまり英語が話せないのを察して搭乗券にボールペンで出発ゲートの番号をデカク書いてくれて、黒人のアンちゃんに「この人をこのゲートへ案内しろ!」と指示してくれる。目的のゲートに到着したら、今回の武器であるDocomoで借りた国際携帯電話でボストンのポッキーさんへ早速連絡。不安でオタオタしている私に「シノブさんが乗る飛行機の便が変更になっていなければ大丈夫ですよ。此方でチェックできますから。」この言葉にまたまた励まされて、NW 998便で一路ボストンへ。そして定刻にボストンへ到着しました。窓の外には4年前に見たボストンの風景が「オー久し振りのボストンじゃ〜!」此処まで来ると少し余裕が出て来ました。 Baggage Claim にスーツケースを取りに行くと「シノブさ〜ん」の声。久し振りであり2度目のポッキーさんとの再会でした。こんなに待ち合わせの人との面 ![]() |
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![]() ![]() ロックフォードのハーバード大学探検写真集 |
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さて、お腹も空いてきたのでランチということになり、4年前にも食べた「Union
Oyster House」へ行きました。前回の時は2Fの「ケネディ・ブース」で早目のディナーを味わえたのですが、今回は残念なことに2Fが停電中ということで1Fの席でした。もっとも食後に2Fの停電が直り「ケネディ・ブース」を再び見ることが出来ました。ここで初めてボストン名物のクラムチャウダーを食べましたが、アサリのシチューですねこれは。旨かったですよ。それとボストンの地ビールでサミュエル・アダムスを飲みましたが、ハーフ&ハーフという感じで普通の黒ビールより飲み易い感じで旨かったです。このお店はグリーンラインの Haymarket 駅から徒歩2分程です。午後はフリーダム・トレイルにある Qunicy
Market で買い物をして、マサチューセッツ州警察のポリスと記念撮影。 その後で Beacon
Hill (ビーコン・ヒル)にあるマサチューセッツ州会議事堂へ出掛けました。ここも前回のオフ会で訪れましたが、今回はポッキーさんのお陰で Nurse
Hall (ナース・ホール)・ Hall of Flags (旗の殿堂)・ House Chamber (下院会議室)・ Senate
Chamber (上院会議室)を各々解説付きで見学出来たのは幸運でした。特に下院会議室ではケネディが1961年に演説したプレートが張ってある壇上での記念撮影も出来ました(これもポッキーさんが警備のおっちゃんに頼んでくれたお陰です)。残念だったのは、前回は平気で入れてケネディの銅像の前で記念撮影が出来たウェスト・ウィング・プラザへ入れなかった事です。州会議事堂に行くにはグリーン&レッドラインで Park
Street 駅で下車します。本日も夕方近くになってポッキーさんは用事で会社の事務所へ寄るので、私一人で昨日入れなかったボストン美術館へ行きました。見学時間は1時間30分程度でしたが、ミレーの「刈り入れ人たちの休息」や「種まく人」・ターナーの「奴隷船」・ルノアールの「ブージバルの踊り」などの名画を心行くまで堪能しましたが、何しろ広い美術館でウロウロしているだけで疲れました。ポッキーさんと Oak
Grove 駅から徒歩で帰宅する頃はすっかり暮れてしまいましたが、ボストンの冷たい夜気が心地よかったです。![]() はポッキーさんのご主人(会長と呼ばれています)の車で「サイゴン・ヌードル」というベトナム料理の店に昼食に出掛けました。サンクスギビングなので大抵の店は休みですが、ベトナム人には関係ないのか開店しています。私はご夫妻に勧められるままに香草系の野菜を使った塩ラーメンと生春巻きを食べましたが、旨かったです。その後車でグロースターという漁港へ出掛けました。此処は映画「パーフェクト・ストーム」の舞台となった場所(写真@A)ですが、天気もよくて絶好のドライブ日和でした。写真その後ロックポートという町に寄り、コダックの広告で有名だという赤い家をバックに記念写真を撮りました。写真好きな方はご存知じゃないかな?(写真B) |
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大西洋を陸地からしみじみ眺めたのは今回が生まれて初めての経験で、これは帰国してビデオを見てから「オ〜大西洋だ!」と感動しましたよ。 其処からまた車でボストンへ戻り Beacon Hill (ビーコン・ヒル)の Willow Street を見学。ここは勾配のある坂道に18〜19世紀に建てられたレンガ作りの家が美しい場所です。街灯なんかもガス灯でアメリカというよりロンドンに居るような雰囲気です。もちろん記念写真を撮り・・・本人LAの探偵ロックフォードからシャーロック・ホームズ気取りでした。(写真C )だれ、ホームズじゃなくて「うっかり八兵衛」なんて言ってるのは!すっかりシックな気分に酔ってから、次は本日のメインであるJFK生家です。前回と同じに車での訪問ですが、「T」で行くときはグリーン・ライン(C)に乗り Coolidge Corner 駅で下車。 Harvard Street を北へ行き、 Beals Street を右折します。駅からは徒歩10分程度だとガイドブックには書いてあります(看板も出てます)。さて、ブルックライン市ビールズ通り83番地の生家も4年振りですが、前回同様にウィンターシーズンのため「closed」です。ポッキーさんが「シノブさん次回はオープンしている期間に来たらどう?」と至極もっともな質問。「でもね〜JFKクラブは11月22日にダラスに居る事が重要なんでね〜!」と返答しましたが、生家の中も一度覗いてみたいが本音でした。それでも玄関前と今回は家の裏側まで行って撮影して来ました。1914年〜1921年までケネディ家が住んでいたわけですが、幼い頃のJFKはこの家で何を夢見て暮らしていたのでしょうか?けっして華美な家ではありませんが、年代を考えると当時の日本人の平均住宅より遙かに立派なのは、やはりアメリカなんだな〜と納得したロックフォードでした。(写真DE)本日のラストはボストンマラソンのコースを走って、土田先生が一時在籍していたというボストン・カレッジを見て(写真FG)ニュートンという街の心臓破りの丘周辺へ行ってジョニー・ケリーの銅像前で記念撮影。(写真H)スケジュールはこれにてENDでした。夜はサンクスギビングのパーティということでポッキーさんご夫妻の友人が七面鳥の料理持参で来られました。私も図々しく仲間に入ってご馳走になり、サンクスギビングを満喫しちゃいました。(写真I) | ![]() @ |
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![]() は午前中ポッキーさんと今回の旅行で最後の「T」オレンジ・ライン Oak Grove 駅からお土産を買いに行き(生憎の雨模様です)、午後ローガン空港で会長さんと待ち合わせてロックフォード得意のGUNシューティングに行きました。今回ダラスとボストンで2回射撃を楽しみましたが、撃たせてもらった銃が両方ともオーストリア製のグロック17というハンドガンでした。これはよく当たる銃でした。その後は会長の車でニューハンプシャー州のポーツマス市に行きまして、日露戦争の講和条約が締結された時(1905年)に日本(小村寿太郎)・ロシア両国の代表が宿泊したホテルを見物しました。もっとも当時のホテルは1882年にホテルは閉鎖されていて、1997年当時の河東哲夫ボストン総領事の協力もあって、2003年5月にマリオットホテル・ウエントバイザシーとして新規オープンした高級リゾートホテルでした。雨も強くなった夕方最後にメーン州のキトレーにあるアウトレットにショッピングに行きました。この周辺の詳しい情報は「ポッキーのボストン案内」のボストン郊外のページにて知る事が出来ます。さて、ロックフォードのボストン旅行最終日もポッキーさんご夫妻のお陰で無事終了して、雨の中会長さんの運転する車で帰宅しました。ボストン最後の晩はポッキーさんご夫妻と日本のTV番組を見ながらビールで乾杯しました。 ![]() 朝5時起床。携帯電話で妻と娘に「これから帰ります。」の連絡。会長さんの車でローガン空港に送ってもらい、搭乗手続きを済ませてお別れしました。 |
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ダラスからデトロイトへ行く時の緊張はもうありませんでしたが、デトロイトへ到着してNW 11便のゲートへ行った時に、カウンターに居た女性が日本人と思われたので「日本語で大丈夫ですか?」と質問。「はい、11便のお客様ですね!」の返答に「あ〜日本に帰れるゾッ!」と思わずニンマリしたのでした。今回の「第二回ダラス・オフ会」の準備から私のボストン行きの航空券の手配まで全てして頂いた前田さんに感謝致します。またお忙しい中、私の我儘な願いを叶えてくれたポッキーさんと会長さんにこの場を借りて深く感謝致します。本当に有り難う御座いました。下記のURLから「ポッキーのボストン案内」へ行けます。ボストンに興味のある方は是非訪れて下さい。 http://www.pockyboston.com/ |