■エドワード・ケネディ氏死去

米民主党の大物上院議員で、「テッド」の愛称で知られたエドワード・ケネディ氏が25日夜、悪性脳腫瘍のため、マサチューセッツ州ハイアニスポート市内の自宅で死去した。77歳だった。遺族が発表した。ボストン生まれ。暗殺されたケネディ米大統領の実弟で、もう1人の兄は上院議員を務めたロバート・ケネディ氏。1962年に兄の大統領就任に伴う補欠選挙で上院議員に初当選し、政界入りした。2人の兄と同様に大統領を目指すものの、69年7月に自身が運転していた車の事故で同乗していた女性が死亡した点を問題視され、80年の大統領予備選でカーター大統領(当時)に敗れた。しかし公民権法(64年)や投票権法(65年)、障害者法(90年)、育児介護休業法(93年)の議会通過で大きな役割を担い、保守派が優勢だった80年代から2000年代前半にリベラル派議員として発言力を発揮した。昨年5月に悪性脳腫瘍が発見されて摘出手術を受け、早期に議員生活に復帰。8月の民主党大会に姿を見せ、党員や支持者らの熱烈な歓迎のなか、大統領選の候補者だったオバマ上院議員(当時)への支持を力強い声で訴えた。今年1月、オバマ大統領の就任式に出席したが、式典後の昼食会で発作を起こして病院に搬送された議員生活40年以上の米上院議員は、エドワード氏を含めて史上6人のみ。補欠選を除いて8回当選し、民主党のロバート・バード上院議員に次ぐ長老議員だった。(CNN NEWS)

故ケネディ氏は「最も偉大な上院議員」と オバマ大統領

米民主党の重鎮だったエドワード・ケネディ上院議員(77)の死を受け、オバマ大統領をはじめとする政治家が哀悼の意を表した。オバマ大統領は、「我々の時代の、最も偉大な上院議員だった」と、その業績を称えた。オバマ大統領は、「半世紀にわたり、公民権関連の立法化から保健、経済にいたるまで、文字通り米国民のために働いてこられた。上院における賢明な助言は、高く評価できるものだった。昨年の大統領選時に接した彼の信念と力強い支えが、特に心に残っている。命に関わる病と闘う勇敢な姿からも、激励と英知を受け取った。我々の時代がひとつ、終わった。我が国は、倒れたきょうだいの後を継いだ、偉大な指導者を失った。彼こそ、我々の時代の、最もすばらしい上院議員だった」とする声明を発表した。また、ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領は、「ケネディ議員が亡くなったという知らせを受け、(妻の)バーバラとともに、深い悲しみに包まれている。長年にわたり、政治的には意見は一致しなかったが、公務に対する確固たる信念は、いつも尊敬していた」と語った。また、故ケネディ議員の姪(めい)マリア・シュライバーさんと結婚した、アーノルド・シュワルツェネッガー・カリフォルニア州知事は、「テディおじさんの死に、マリアもわたしもうちひしがれている。『上院の獅子』と世界に知られた、社会正義のチャンピオンだった。さらには、我が一家の要石であり、愛する父、夫、おじだった。信念の男だった」と悲しみを述べた。(CNN NEWS)

1963年に暗殺されたジョン・F・ケネディ元大統領の実弟、エドワード・ケネディ米上院議員(77)が25日に死去したことで、米国の政界に一時代を築いた名門ケネディ家は、実質的に最後の「大物」を失った。輝かしい家名の一方で、男性兄弟4人のうち3人までもが暗殺や戦死に見舞われた「悲劇の王朝」は、エドワード氏の死を境に米政界の表舞台から、ひとまず遠ざかることになりそうだ。
 東部マサチューセッツ州を拠点とするアイルランド系のケネディ家は、実業家として資力を蓄えつつ、ケネディ元大統領の祖父は州議会議員、父は駐英大使と、代を追って公職の階段を上ってきた。
 ケネディ家の名を不動のものとしたのは、20世紀に誕生した「第3世代」のきょうだい9人だ。次男のジョンは上院議員を経て61年、史上最年少の43歳で大統領に就任。三男のロバートは、司法長官に抜擢(ばってき)された。
 女性では、元大統領の妹で今月11日に死去したユニス・ケネディ・シュライバーさんが、知的障害者の国際スポーツ大会「スペシャルオリンピックス」(SO)を創設し、日本など世界各国との交流を進めた。
 ロバート、エドワード両氏ともに大統領をめざし、民主党内で候補指名を競った。だが、ロバート氏は68年、遊説先のロサンゼルスで暗殺された。
 ダラスで狙撃され死亡した元大統領に続く暗殺劇は、長兄のジョゼフ氏が第二次世界大戦中の44年に、自身が乗る海軍機が墜落し死亡した記憶までも呼び覚まし、ケネディ家を「悲劇の一族」としても印象づけた。 悲劇は兄弟3人が不慮の死を遂げたことにとどまらない。4世代目を見渡しても、事故死や病死が後をたたない。 エドワード氏にしても、69年にマサチューセッツ州で、自ら運転していた車が橋から海に転落し、同乗していた秘書の女性が死亡した「チャパキディック事件」は汚点となった。エドワード氏は事故後、半日近くも警察へ通報しなかった。80年の大統領選で民主党の指名獲得を逃した要因の一つは、この事故をめぐる負のイメージだった。
 AEI研究所のオーンステイン研究員(政治学)は、ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)で、エドワード氏について「カリスマ性や多くの強みをもつ、まさにケネディの本流だった」とし、短命だった兄とは対照的に「長さ」をもって米国政治に貢献したと指摘した。(産経)

故ケネディ議員、29日に葬儀 アーリントン墓地に埋葬


25日に悪性脳腫瘍で死去した大物民主党上院議員のエドワード・ケネディ氏の葬儀は、29日午前にボストン市内の教会で営まれる。同氏事務所が26日発表した。ケネディ氏は葬儀後の29日午後5時、ワシントン郊外アーリントン国立墓地に埋葬される。場所は暗殺された実兄ジョン・F・ケネディ大統領の墓のそばという。消息筋によると、ケネディ氏の遺体は27日午後から28日まで、ボストン市内のジョン・F・ケネディ大統領図書館に安置される。28日夕方にはスミス・センターで、追悼礼拝が営まれる。複数の消息筋によると、葬儀ではオバマ大統領が弔辞を述べる見通し。(CNN) 
エドワード・ケネディ上院議員(享年77)の遺体が27日午後から、ボストンのジョン・F・ケネディ大統領図書館に安置され、多くの市民らが弔問に訪れた。ケネディ氏のひつぎは星条旗に包まれ、同州ケープコッドの自宅からボストンへ移された。同氏が80年大統領選で出馬の第一声を上げた同市中心部のファニエル・ホールでは、同氏が上院議員を務めた年数と同じ47回の鐘が鳴り響いた。ひつぎを運ぶ列は州議会議事堂や同氏のかつての自宅など、市内のゆかりの場所を経由して、ジョン・F・ケネディ大統領図書館に到着。図書館前には弔問開始前から、遺族や友人、一般市民ら約1600人が並んだ。遺体は28日までここに安置され、同日夜には葬儀が営まれる。オバマ米大統領が追悼の辞を述べるほか、歴代大統領やブラウン英首相らも参列を予定している。

ケネディ議員葬儀、オバマ大統領や議員らが最後の別れ

エドワード・ケネディ米上院議員の葬儀が29日、ボストン市内のカトリック教会で営まれ、昨年の大統領選で同議員が支持したオバマ米大統領や遺族らが、故人に最後の別れを告げた。オバマ大統領は弔辞を述べ、「何も持たざる者たちの王であり、民主党の魂であり、上院議員の獅子だった」とケネディ議員を称えた。葬儀にはクリントン、ブッシュ、カーターの歴代大統領3人や、現職および過去の上院議員らも参列。また、チェロ奏者ヨー・ヨー・マ氏やテノール歌手プラシド・ドミンゴ氏による演奏が行われた。ケネディ議員の棺は夕方、ワシントン郊外のアーリントン国立墓地に搬送され、暗殺された実兄ジョン・F・ケネディ大統領のそばに埋葬された。これに先立ち、連邦議会議事堂の外で短い追悼礼拝が営まれ、集まった議員らが故人の妻ビッキーさんに盛大な拍手を送った。又、エドワード・ケネディ上院議員が、ローマ法王ベネディクト16世宛てに書簡を書き、オバマ米大統領が先月バチカンを訪問した際にこれを法王に手渡していたことが、29日分かった。埋葬の際にカトリック聖職者が読み上げた書簡の一部によると、ケネディ議員は法王に闘病中であることを明らかにしたうえで、自分のために祈ってほしいと法王に求めていた。同議員は書簡で、「1年前に脳腫瘍と診断され、治療を続けてきたが、病魔はわたしをむしばんでいる。わたしは77歳なので、死の用意はしている」と述べている。バチカンからの返信は約2週間後にあり、ケネディ議員の病を知って悲しんだ法王が、同議員が信仰と希望を持ち続けながら神の意思に自らを委ねるよう祈る、としている。

エドワード・ケネディ氏の墓、一般市民に開放

25日に死去したエドワード・ケネディ上院議員がワシントン郊外のアーリントン国立墓地に埋葬されてから一夜が明けた30日、同氏の眠る墓が一般市民に開放された,。
ケネディ氏のひつぎは29日夜、実兄のジョン・F・ケネディ元大統領やロバート・ケネディ元司法長官の墓の近くに埋葬された。ロバート氏の墓と同様、大理石の墓標に高さ約75センチの十字架が立つ。墓の前には参拝者のためにロープが張られたが、将来的には専用の歩道が設けられる予定だ。墓は午前8時に開放され、数時間のうちにさっそく花やカードを供える人の姿がみられた。墓地関係者によると、同日午後にはビクトリア夫人が墓参を予定しているため、一時閉鎖される。