概説

あの感動的なケネディの時代、彼の時代を知るものにとって彼の強さと優しさの資質、卓越した知性とユーモア、世界の平和と国内の正義のために果たした功績は永遠に忘れる事はできない。しかし、悲劇的な事件が起った35年前、まだ子供だったり、生まれていなかったりしていた人々にとっては、ケネディ像は、さほど鮮明ではないであろう。勿論、若者達も、ケネディに関する本や雑誌、それが彼を、良く書いてあるものも悪く書いてあるもの・正確なもの不正確なものに関わらず読んでいるに違いない。アメリカでも世界でも、ケネディの高邁さにあやかろうと、色々な政治家や評論家がさまざまな形で彼の名前を引き合いに出したり、彼の言葉や先例を引用しているので、若者達はそれも耳にしているであろう。また、彼の名前をあまりにも英雄的な神話の彼方に祭り上げた偶像崇拝者たちの誇張も、皆知っているに違いない。さらには、ケネディが今も尚アメリカ国民の尊敬と愛情を受けている事に我慢の成らない人々の非難もまた知っているであろう。
しかし、若い世代としては、ジョン・ケネディを知り、理解しようとするならば、彼の成功と共に失敗も、初期の制約と共に後期の成長も合わせ、彼が実際にどんな人物だったかを知らなければ成らない。
この35年間、歴史家は、ケネディの外見の矛盾をどのように捉えるかについて苦慮してきた。彼は、演説でも対位法的な手法を使った、例えば、「我々は恐怖から交渉してはならず。交渉を恐れては成らない。」と言った言い回しである。また、彼の政策自体が対位法的であった、「右か左か」の二者択一を斥け、いかなるイデオロギーのレッテルによっても容易に分類できない事績を作り上げた。彼はアメリカの警戒心ないしは軍事力を弱める事なく、超大国の緊張を緩和した。「タカ派」はキューバ危機における彼の毅然たる態度を引け会いに出すが、彼が一発の銃弾も撃たずに、交渉によってミサイルを撤去させた事を見逃している。「ハト派」は、あれやこれやの危機においての彼の平和的態度を強調するあまり、彼が軍事力を否定するどころか、軍事力を行使する可能性を訴えていた事実を忘れている。ケネディ最後の年、彼は彼の主導によって、部分的核実験停止条約を結んだ事で世界中から賞賛された。しかし、1963年に西ベルリンで彼を賞賛した同じ人間が、デタントのみならず戦争抑止に対する彼のコミットメントについても、また自由世界の安全保障に対するいかなる侵食も恫喝も許さないと言う彼の断固たる決意をも賞賛していたのである。「第三世界」と呼ばれる国々の学者達も、彼等の民族主義的な非同盟主義をケネディが理解したこと、また対外援助、平和の為の同盟、平和部隊、国連を通じて彼が第三世界の経済成長を促進させようと努力したことを賞賛する。しかしケネディは同時に、西側の対応には厳しいがソ連の無法な行動には甘い彼等の二面性を軽蔑し嫌悪していたのである。
国内では、かれの前例のない公民権立法に反対した保守派が、減税と防衛費増額を組み合わせたケネディ財政をレーガンの先例として持ち上げているのだ。実際の所、ケネディはもっと小規模の減税で、赤字幅をもっと小規模にして、低所得納税者に最大規模の恩恵を与えた。防衛予算からは、いわゆる「第一撃」兵器や各軍お好みの新兵器体系群をごっそりと削った。
リベラル派について言えば、彼等は1960年にはケネディの宗教と家族に対して疑惑を持ち、大統領選挙で彼の指名を支持しなかったのに、今では、ニュー・フロティア法案が貧しい人々、年老いた人々への福祉の突破口になったことを名誉にしている。そのくせ、彼等にケネディが財政的には保守主義者であったこと、インフレ率を戦後最低に押さえ、フーバー大統領以来、二桁の財政赤字を絶対に許さなかった唯一の大統領であった事実を忘れているのである。ケネディ以後、彼のように低利率を維持し、連邦支出の伸びを低率に抑えた大統領はいない。
ケネディは、インフレや高金利を招かずに経済成長を刺激し、雇用率を促進する事が可能である事をしめしたのである。
彼は財政赤字を増大させずに、国内の最も恵まれない人々、最も不幸な人々に対する政府の責任を重くしたのである。
彼は、対ソ穀物輸出については、議会指導者達と相談したが、キューバ問題に関しては簡単な説明をしたに過ぎなかった。彼は通商計画については議会の承認を求めたが、核実験停止に関してはそうはしなかった。カソリック教徒としての最初の大統領でありながら、国連で人口計画を積極的に支持した最初の大統領であった。
もっとややこしい事に、彼の公的政策はみんなに知られていたのに、個人の考え方はほとんど知られていなかった。よく、心で深く気にかけている問題を軽く言い飛ばしたり、深く尊敬する人々を自分自身も含めて、冗談の対象にした。進歩的な目標を保守的なレトリックで包み、制約のある案を深遠な言葉で提起したりした。
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディは”幻想を持たない理想主義者”であり、本当に”月”に人間を送った徹底的な実利主義者であり、誕生パーティとワールド・シリーズの賭けと、きわどいジョークをこよなく愛したインテリであり、詩も世論調査も、チャーチルもイアン・フレミング(007の作家)も、ともに貪り読んだ読書家であった。
昔風の愛国者でもあれば、ハードボイルド派の政治家でもあり、”党は時にはあまりにも要求し過ぎる”ことを知っていた忠実な民主党員であった。政敵の労にも報いたが、最初の下院議員選挙出馬の際、彼のポスターを貼らせてくれなかったボストンの店の名前を絶対に忘れない男でもあった。
要するに、彼は資質と資格を兼ね備えたた傑出した大統領であり、グローバルなステーツマンであった。彼はリーダーであるとともに、人間としてもすばらしい人物であった。
彼を失った地球は、小さくなったように思われる。

シオドア・ソレンセン「ケネディの道」より
"Kennedy" Theodore Sorensen
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