私のワシントン

私にとってダラス・オフ会は今回で3回目にあたり、事前の準備が、たとえ出発前日まで進んでいなくとも「何とかなるめぇ〜」という慢心がありました。出発迄の2週間の間、もう一つの趣味でもある洋楽系の音楽のコンサートが3公演、また先輩社員を送る会の幹事担当等もあって、アフターファイブも準備に時間が割けず、結局、出発当日の朝方からの準備となってしまい、せっかく前日買ったワシントン・ガイドブックをを入れ忘れてしまいました。(これが後の旅に影響を及ぼすことになってしまったのですが・・・。)ワシントン訪問の日、ガイドブックの無い私は、今回のホテル部屋のパートナーであるロックフォード(中出)さんに全てを託す事にして、ロックさん、うえぞう(植田)さんを加えた3人で、13:00にアーリントン集合までの時間を共に過ごす事にしたのでした。私の希望でスミソニアン航空・宇宙博物館訪問を2人に了解いただき、途中、ホワイトハウス、ワシントン記念塔を写真に収めながら、スミソニアンに到着。小学生時代、アポロ計画の月着陸情報に新聞切抜きを行っていたほど強い関心を持っていた私は、宇宙開発の展示を中心に子供心に戻って、「ケネディが月着陸を国家目標にする方針を打ち出したからこそ、40年近くも前に人類が月に行けたのだ」という感慨にふけりながら館内を巡ったのでした。お土産用のNASA宇宙食をしこたま買い込んだ後、ロックさん、うえぞうさんと合流、今度はロックさんの希望であるFBIビルと、程近いフォード劇場、ピーターセンハウスを目指し到着した時点で、時刻は12時30分過ぎ。これでは、徒歩ではアーリントン13:00到着は無理ですのでタクシーを拾い、若干の遅刻ながら他の皆さんと合流を果たしたのでした。JFKの墓前に暗殺のあった東部時間13時30分に居ることは、過去2回のオフ会でダラスのデイリー広場で迎えた時と違った感慨があり、「本来は命日はこちらで迎えるのがいいのかなぁ」という思いが心をよぎり、その横にひっそりとある白い十字架のロバートの墓の前に立つと、JFKの墓前以上に心が動かされたのでした。ここで予定では土田先生ご一行とジョージタウンまで合流することだったのですが、ロバートの墓でうえぞうさんと写真撮影をしている間に、土田先生ご一行、ロックさんを見失ってしまいました。ご一行がアーリントンハウス方面に向かったということも考えられましたが、ここで合流で出来ないと完全に逸れてしまうので、一旦ビジターセンターに戻ってしばらく待ってみたのですが、なかなか現れる気配なし。時間だけが無為に過ぎていく・・・ということで、うえぞうさんと私は、単独でジョージタウンを目指し、そこでご一行との合流を試みることにしたのです。しかし、ガイドブックが無く、あるのは前田さんからいただいた資料の地図と前日もらったワシントンの簡易パンフのみ。しかも前田さんの資料の地図はジョージタウンが入ってない・・・うえぞうさんは、私同様、資料類、地図といったものを持ってないようで、調べる気配もなし、そのわりには悠然と構えていて・・・ううう!しかし方向さえ間違わず歩いていけば・・・ということで「すっかたなかんべさ、ぼつぼつあるくべ(仕方ない、とにかく歩こう)」ということにしたのです。(何故タクシーを拾うことを考えなかったのはジョージタウンの地理情報がわからない上、とこで降りるかもはっきり決められない状況で、私とうえぞうさんの英語力では混乱の元になると予測され、2人は異論なく歩き続けたのでした。)アーリントン記念橋を渡り、リンカーン記念堂で記念撮影後、記念堂を行く方角を確認する基準にして北上、途中ウォーターゲートビルが見えてきたので記念撮影後、どうにかジョージタウンのM通りに辿り着いたのです。しかし・・・予定では土田先生ご一行はJFKの住んでいた家を巡ることになっているのですが、私とうえぞうさんは家の場所がわからない・・・ううう!土曜の午後とあって、若者を中心に人でごった返している中、目指すJFK在住だった家を通行人に聞いたところで、「ここを2ブロック行った所を右へ曲がって一つ目を左!」なんて早口英語で言われたら、2人のヒヤリング力では理解不能、混乱の元になると予測され・・・ということで、私達は本屋へ入り、地図・観光ガイドコーナーで家の場所を突き止めることにしたのです。「ここまで来てJFKの家を見られずに帰られるか!」という思いで・・・厚めの観光本にJFKの家は写真付き紹介ページがあり、茶色の家で、N.st. 3307という住所であることが解ったのですが、地図にポイントされたページが無い・・・ううう! ということで、私はうえぞうさんに、持っている簡易パンフの地図と、この本を持ってレジに行って店員に、「この家の場所をこのパンフの地図に記してくれ」と頼むよう、年長でJFKクラブの先輩でもある特権でお願い(ほとんど命令調、うえぞうさん、スミマセンでした)したのですが、うえぞうさん、悠然と即「出来ませーん!!」と拒否。悠然としている割には度胸がねえなぁ・・と思いつつ、ここで2人で揉めても仕様が無いので、私が、知人に頼まれていたカクテルのレピシ本を購入している間、うえぞうさんには細かいマップで家の場所の特定をお願いしたのでした。うえぞうさんが何とかその場所らしい地区を突き止めてくれたので、通りの表示に気をつけながらそのブロックに辿り着いたのですが、先ほどの本にあった家を紹介した写真の記憶が茶色以外、心に余裕が無いせいかディティールが思い出せない・・・ううう!そのブロックを一回りした後、先ほどから家でペンキを塗っている男性の家、3307の表示はないものの茶色で、私達の反対側を通行していた男性が写真を撮っていたので、たぶん間違いないと思い、ペンキを塗っている男性に自分達はJFKの住んでいる家を探している旨を伝えたところ、「この家ですよ。」という答え。ううう!う!とにかく、土田先生ご一行と合流は出来なかったにせよ、私とうえぞうさんはJFKのジョージタウンの家とのご対面をなんとか果たしたのでした。その家は思ったより大邸宅では無く、街の景色に溶け込んだ品のいい家でした。しかし2人ともアーリントンからよく歩いたわい。こうなったらということで、私達2人はホテルまでの帰路も歩くことにして、(後でわかったのですが、ロックさんはジョージタウンの帰りのタクシーで私達が歩いているのを発見したそうですが、そのままホテルに帰ってしまったそうです。私がガイドブックがないのを知っていながら、アーリントンで、そしてジョージタウンで私達を見捨てたロックさん、ううう! あなたは冷たい!←うそです。(爆)) 途中、タイ料理のレストランでうえぞうさんと私は、夕食をとりながら今日1日を振り返って、多少のアクシデントがあったからこそ、楽しめた部分も多い1日であったと語りあいました。また、前田さんに「おんぶにだっこ状態」でグループ行動主体で旅をすることが如何に恵まれているかと実感する1日でもあり、自身の英語力の無さに痛感する1日でもありました。(その夜のイカゲソ・パーティーではロックさん、うえぞうさんには失礼なこと言ってしまったかも知れません。スミマセン)