この数日、私のメールボックスに表題無し、アドレス不詳のメールが入るようになりました。メールの裏を見ても発信先が解らない様になっています。相当情報処理に詳しい人物の発信と思われます。以前にも私のページに対する批判や抗議のメールは入ったことは有りましたが、皆さん、堂々と氏名を名乗り内容も論旨のしっかりしたものがほとんどでした。しかし今回の一連のメールの内容はいやがらせとしか言い様のない論旨のあいまいなものです。要するに、事実と異なることをいかにも真実のごとく発表する事はやめろと言った内容だと想像します。まず”未知のメーラー”の方に抗議します、さらには個人的に貴方に連絡を取る事が不可能のため、私の貴重なページの一部を使って反論したいと思います。

貴方は”フリースピーチ”の精神を、はき違えていませんか?

事実の歪曲といった非難に対して、私はこう問い掛けたい。あの事件ですべての人から認められている事実などな全く無いし、あの悲劇の時間が世界の歴史の中のほかの出来事と比べると詳細に記されず、調査も行われず、意見の合意もなされていないままではないか!と・・・・・
公式の歴史書を見ると、ケネディは単独狙撃者に射殺され、その犯人が大統領の死を嘆く真面目な一人の市民によって殺されたことになっています。話はそれで終わりです。この歴史書はウオーレン委員会によって作り出されたものですが、発表当初から多くの人々によって批判され、現代ではその結論に同意する人がどのように見積もっても過半数以下であることはだれしも認める事実です。我々はその様な歴史を信じるべきなのでしょうか?その歴史にはたとえばこんな単純な疑問も含まれています。リー・ハーヴェイ・オズワルドはダラスの街で名前を明かす事無く高性能のライフルを購入する事ができたにもかかわらず、突き止め易い偽名をつかって通信販売のちゃちなライフルを注文したりするでしょうか、さらにお粗末にもその偽名の身分証明書を後生大事に持っているでしょうか?あるいは、テキサスのフォトワースの高校を中退し、ろくに読み書きもできない、委員会の言うところの、マルクス主義を信奉する人物が軍において高度な訓練と知識の必要とされる秘密部隊に配属され、ロシア語の講義を受けていた事が神聖な歴史なのでしょうか。アメリカ合衆国はそれほど人材が不足していたのでしょうか?あるいは、観光旅行の途中でソ連に亡命し、アメリカ大使館に出向きアメリカの機密をソ連に渡す意志を告げながら、好き勝手に行動する事ができた事が歴史の真実なのでしょうか?CIAはそれほどまで無力な存在だったのでしょうか?さらには、その人物が、たった18ヶ月後には同じ大使館に出向き、アメリカに戻る意志を告げると、帰国の為のパスポートといくらかの金を渡された事が、疑問を持つ事の許されない歴史なのでしょうか?
彼が帰国したとき、なんの取り調べを受ける事無く上陸でき、あまつさえ、一時でもマルクス主義を信奉して亡命までした人物が、ダラスの過激な反共白系ロシア・コミュニティーにどうして溶け込む事ができたのか疑問に思う事が歴史に対する冒涜となるのでしょうか。同様にニューオリンズのガイ・バニスター達の狂信的な反共グループに溶け込めたのでしょうか?あるいは、暗殺事件のわずか20日前になって、パレードの通る正確な場所に位置する教科書倉庫ビルに職を得る事ができたのでしょうか、あるいは六階で襲撃をしたわずか数分後に、二階で息切れした様子も無くコーラを手にしたオズワルドを、どうしてベーカーは見る事ができたのでしょうか?
そして何よりも、あの週末に見せたオズワルドの落ち着いた穏やかな顔は何でしょうか、自分は囮だと叫んだ彼の主張や供述はいったい何なのでしょう。
ケネディによって解雇されたアレン・ダレス氏がそのケネディの殺害を調査する委員会のメンバーにどうして任命されたのでしょう?こんな疑問を持つ私は歴史の妨害者なのでしょうか。それだけではまだまだ済まされません。
疑問を持つ事の許されないこの”歴史的事実”を受け入れる為には、ウオーレン委員会の全く非常識な単発説を受け入れなくては成りません。詳しい経過は省きますが、一発の銃弾が合計三個所の人体内部を通過して二本の骨によって方向を変えたにもかかわらず、その銃弾の形は全く変形せず、金属片すら剥げずに、血液や人体組織も付着していなかったと言い切る事が歴史の事実なのでしょうか。

これらの事はすべて”歴史”では有りません。これらはすべて物語なのです、ほんの少数の人たちが信じてきた物語以外の何物でも有りません。この物語は、不思議に思う事を拒み、検証される事を拒み続けてきました。とりわけ実際に疑問視したりする人々を中傷する、貴方の様な”未知のメーラー”の心を満足させるだけの”寝物語”に過ぎません!
気楽な単独狙撃犯説に疑問を持つ人々を変人奇人としてあつかい、訳の分からぬ情報を垂れ流ししている馬鹿な男と片ずけている内はかまいませんが、実際にこの様な形で攻撃されるならば、物語を擁護する膨大な量の証拠を整理するか、それとも物語を以前にも増して攻撃し続けなければなりません。
アメリカの偉大な大統領の一人であった、トマス・ジェファーソンは「真実とは、意見の自由市場で成就できるときに広がるものだ。」と言っています。あの悲劇的な事件の後、一度たりとも歴史の自由市場は開かれてはいません。今、私はささやかながらその自由の市場の片隅に、まさに吹けば飛ぶような小さな露店を開いています。この小さな露店はそれなりに活況を呈していると思っています。この事を自由市場においでいただき、そして私の小さな店に顔を覗かしてくださった皆さんに喜んでお伝えできる事を幸せに思っております。

                                                            1999年5月16日