1999年7月17日、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニアの操縦する マサチューセッツ沖に墜落した自家用飛行機はケネディJrの操縦するもので 1999年7月18日午前11時15分アップ開始
![]() ![]() 捜索打ち切りへ、上院議員への意欲があった? ケネディ元米大統領の長男ジョン・F・ケネディJr(38)の操縦する自家用飛行機が米北東部マサチューセッツ州沖で墜落した事故で、米沿岸警備隊は十八日夜(日本時 ![]() ジュニアの死にも疑惑が? ジュニアの生存が絶望視されたことで米国中に悲しみが深まる中、関係者の間では、日ごろは飛行に慎重だったとされるジュ ニア氏がなぜ悪条件を突いて操縦カンを握ったのか、疑問の声があがっている。 ジュニアが操る自家用機のパイパー・サラトガ単発機が空港を離陸した十六日夜は、米北東部は濃いもやがかかり、月も見えない天候だった。同じ空港からの飛行を取りやめたあるベテラン操縦士は、「当時の視界は わずか六、七キロで水平線も見えず、自分の位置を見失ってしまう状態だった」と話している。 ジュニア氏が単発機の操縦免許を取得したのは昨年四月二十二日。約十五カ月、飛行時間百時間程度のジュニア氏にとり、極めて困難な飛行条件だった。しかもジュニア氏は計器だけに頼る飛行は許されておらず、ベテランでさえ敬遠するほどの視界不良であれば、操縦技術も考えると飛行を見合わせるべきだったと指摘する声もある。 しかもジュニア氏は日ごろは操縦に慎重で、天候が悪い時はチャーター機を利用していた。これまでに何度もマーサズ・ビニヤードへ自らの操縦で飛んでいたが、頻繁にインストラクターを同乗させていたというが、十六日夜はインストラクターは同乗していなかった。 また、これまでに米CNNテレビや、十八日付のニューヨーク・タイムズ紙が伝えたところによると、ジュニア氏は数週間前に足首をけがし、十六日夜に空港でジュニアを目撃したパイロットは、 足を引きずっていたようだ、と証言しており、けがが操縦に影響した可能性もある。 小型機には旅客機のようにフライトレコーダーはなく、機体など が発見されても遭難原因は憶測の域を出ない。大統領の暗殺と同様に“永遠の謎”となりそうだ。 ![]() 「ケネディ家は40年以上にわたってアメリカ人に公共の 精神を吹き込み、アメリカの未来に対する信念を強いものにしてくれた」――クリントン大統領は18日午後、ホワイトハウスで悲痛な表情で語った。クリントン大統領は高校生だった1963年の夏、若者代表の一人としてホワイトハウスに招かれ、ケネディ大統領と握手。その興奮が大統領になりたくなった 全米のマスメディアの論調・訃報形式へ 米メディアは、過去に収録したケネディ・ジュ ニア氏のインタビューや経歴の詳細を繰り返し流すなど、事実上の追悼番組 を一斉に放映し始めている。1997年のダイアナ元妃死亡と同様の規模の報 道で「ケネディ家の悲劇」を伝え続けている。 米メディアは、ケネディ氏の行方不明が伝えられた16日深夜からABCやC BS、NBCなど3大ネットワーク、CNNなどケーブルテレビは救助作業の模様 を逐一、24時間体制で報道。「生存の望み」があった18日午前は国民感情を 考慮してケネディ氏の人柄などを現在形で伝えていたテレビ局もあったが、午 後9時半(東部時間)、米沿岸警備隊が記者会見し「絶望」との見解を明らかに した後、過去形に変わりつつある。19日付のロサンゼルスタイムス紙など米新 聞も早版から1面トップで一斉に「ほぼ絶望」を伝え、一部では訃報(ふほう)記 事の形を取っている。 一方、テレビはケネディ元大統領の暗殺事件で、棺にひざまずくジュニア氏 の映像から現在に至る経歴の詳細を繰り返し放映。ケネディ大統領暗殺とダ ブらせる形で「米国のローヤルファミリー」といわれるケネディ家の悲劇を伝え、米国民の受けた衝撃の深さを物語っている。 また、タイムやニューズ・ウィーク誌など雑誌メディアも締め切りを延長して 一斉に「カバーストーリー」としてケネディ氏の事故を特集。ニューズ・ウィークは55ページのうち29ページを特集に当てたという。 遺体発見 AP通信によるとケネディJrの遺体が飛行機の残骸の中で発見されたとの事、他の二人の情報に関しては不明、 予想された事態とはいえ、心からご冥福をお祈りいたします。 7月21日午後9時30分 関連記事 米沿岸警備隊は21日午後(日本時間22日午 前)、マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島南西沖約12キロで、ケネディ 元米大統領の長男で雑誌発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)、キャ ロリン夫人(33)、同夫人の姉ローレンさん(34)の遺体を発見し収容、搭乗し ていた自家用小型機も引き揚げた。事故発生後5日後の遺体発見により、米 国民は悲しみを新たにしている。 米沿岸警備隊の発表によると、機体は胴体部分が水深約35メートルの海底 に横たわり、中から3人が見つかった。国家運輸安全委員会が原因解明を急 ぐが、操縦していたケネディ・ジュニア氏が同島の空港に向けて着陸しようとし て方向を誤り、進路を変えようとしているうちに操縦を誤ったという見方が出て いる。 遺体が海上の船に収容された後、ケネディ・ジュニア氏のおじのエドワード・ ケネディ上院議員(67)らが現場へ直行し、悲劇的な対面をした。 ケネディ・ジュニア氏らの追悼式は母親ジャクリーンさんが生前に訪れてい たニューヨークの教会で23日午前11時(日本時間24日午前0時)、クリントン 米大統領夫妻や家族が出席して行われる。これに先立ち22日夜には同市で ケネディ家の出身であるアイルランド系米国人による公開の追悼式も予定され ている。 全員の遺体発見 予想されたこととは言え、現実にニュースになると残念、妻キャロリンさんと姉ローレンさんの遺体発見のニュースがながれました、本当残念な結果です。 又一つ、ケネディ神話の扉が開きました。 それにしても、アメリカと日本のニュース価値の差を感じました。今日の新聞には、ケネディのケの字もありません。アメリカでは依然トップニュース。ケネディに対する評価の差を、まざまざと感じた一週間でした。 葬儀執行 ![]() 遭難事件から見えてきたもの さすがに18日の事件発生以来の騒ぎも一段落した今日(7月27日)今回の事件の総括を兼ねて今回の出来事から見えてきたものを考えてみたいと思います。まず、第一に巷間言われている事ですが、個人主義と合理主義の徹底したアメリカ社会に、およそ縁のないはずの「アメリカ王室」の虚構が意外とアメリカ人の心を結構引きつけていた、と言う事ではないでしようか? 私にはCNNのインタビューで一市民が答えていた発言が、強く印象に残っています。「国家として君主制を否定しているからと言っても、私たちにもある特定の人々への憧れはあります。それは個人の心の問題であり、決して矛盾しないと思います。」たしかに、世界の王室に対するアメリカ国民の憧れは、その自国民よりも強いといわれるほどで、それは裏返して言えば、世界のトップであり、なんでもできるはずのアメリカにとって唯一、他国に劣っているものと言えば「国家の歴史」なのです。彼らはその(表現は悪いですが)劣等感を自国の中に疑似王室を作る事によって満足感を味わっているのではないかと思えるのです。彼らは、ケネディ・ジュニアを「アメリカの王子」と呼び、ケネディ家を「私たちの王家だった。」と表現してはばからなかったし、実際にまさに異例ずくめの捜索態勢とマスコミ報道でした。当初、この事件は「なんら、のろわれた悲劇でもなんでもなく、不運と何らかの過失によってもたらされた、ごくありふれた事故である。」と述べていたニューヨーク・タイムズ紙ですら、連日一面トップで報道し続けたのです。第二に、今回の反響の大きさの理由としていくつかの理由が上げることができます。まず、ジュニアがケネディ家の中でもっとも人気が在りしかも日本流に言えばケネディ一族の当主であった事、さらにそれを報道する側のメディアが、ますます私的な悲劇を公的な悲劇へと仕立て上げる時代になっていた事、そして、暗殺や銃乱射が繰り返される「悲劇の民主主義」がその根底にあるのではないかと思われるのです。他人の不幸は甘美な優しさを誘い。悲劇好きな大衆は「神話」を無意識のうちに探し出し、王室のようなものに強く引かれるのかも知れないのです。 考えてみれば、ケネディ一族の多くは自家用飛行機で世界中を飛び回り、今回の事故のあったマサチューセッツはケネディ家の拠点であり、その上空を飛行する頻度は非常に高かったのです、まさに、ニューヨーク・タイムズの言う、不運と何らかの過失によってもたらされた、ごくありふれた事故であるはずなのです。しかし結果は違いました、それはすべて36年前のあの日にさかのぼり、そして自家用飛行機で不慮の死をとげた人物が彼の息子であったからなのです。アメリカ国民は36年前に起こった事件のニュース・ドキュメンタリーに再び捕らえられたのです。実は「ケネディ王朝」といった言葉は当時から存在していました、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディの在任中、「アメリカは確実に24年間はケネディ家に支配されるであろう」と極めて現実的に予想されていたのです。まさにアメリカ史上、初の王朝の誕生が予感されていました。しかし、その王朝を担う人物達は、ダラスでの暗殺・ロスアンジェルスでの暗殺・チャバキディック事件の失脚と次々と歴史の舞台から去っていきました。そして、何かの悪意のある力が、特権と罰のためにケネディ家を選んだと言う理論が生まれ、そして「神話」となったのです。ジュニアはこの神話を背負って生きてきました、名声と優れた容姿を与えられた彼は、ケネディ家が作り出してきた名家の文化から、結局彼自身を切り離すことはできなかったのです、しかし彼は逃れられない名声について、品位とユーモアの感覚を守り、その恵まれた立場を、安っぽい浅薄なやり方で誤用することもなかったのです。為に、年老いた人々は、若かりし頃、新しい時代を予感させてくれた彼の父親とその人物像をダブらせ、若い人々にはいつの日か定着していた「プリンス・オブ・アメリカ」としての憧れと親愛を勝ち得ていたのです。 今回の事故について、彼がそもそも飛行を決断すべきだったのかどうかと言う疑問が残っています。しかしアメリカ国民は、彼の判断ミスを非難するよりも、ケネディ家の人々がいつも、政治でも、戦争においても、決して危険をいとわない人々であったと言う事だけを見る事を望んでいるのです。ケネディ家の人々が死におびえることを拒否してきたことには、ある種の高潔さすら感じられるのです。そしてこれが再び「神話」を作り出していくのではないでしょうか。 いま、アメリカにおいて新しい王朝の誕生の可能性が見受けられます。しかし彼らの王朝は単に支配者としての王朝であり、権力の外に超然とするような「王家」には決してなれないでしょう、それには「神話」が不足しているからです。 ![]() 今回事故のあった海域で故大統領と遊ぶ Jr の有名な写真 7月18日からアップして参りました「緊急レポート」は今回で終了します。数日現在の状態のままにしてから、機会をみて推敲のうえ一項目に加えます。 1999年7月27日 |