暗殺事件関連の文書は計約500万ページに上り、暗殺記録収集法に沿ってこれまでに88%以上の文書が全面的に、11%は一部黒塗りで機密を解除され、ワシントン郊外の国立公文書館で公開されている。
残りの3200点の文書も2017年10月に解禁が予定され、当時のトランプ大統領は「JFKファイルの全面公開は明日だ。非常に興味深い」とツイートしていた。
ところが解禁されたのは2890点で、残る約300点の公開が突然延期された。1992年の法律は、「国家安全保障上の理由で大統領は公表を見送ることができる」としており、CIAや連邦捜査局(FBI)が大統領に一部文書の公開延期を要請したためとみられてきた。
しかし、大統領はその際、「文書秘匿が適切かどうかを2021年10月26日までに再検討する」としており、公表の是非を、トランプではなくバイデンが、大統領としてが判断することになります、その期日が迫っています

バイデンとケネディ

年配の米国人は、1963年11月22日のケネディ暗殺事件をどこで聞いたか記憶している。当時、デラウェア大学の2年生だったバイデンは『アメリカはJFK暗殺を記憶する』(2013年)という著名人の著作集に短文を寄稿した。
「今も鮮明に記憶している。金曜日の午後で、暖かい日だった。授業が終わり、ホールから外へ出ようとしたら、誰かが『大統領が撃たれた』と叫んだ。キャンパス内に車を止めていたので、友人3人で車まで走り、カーラジオを付けた。信じられない思いだった。30分後か1時間後、大統領の死亡が伝えられた。学生らは口々に『聞いたか』『本当か』と叫んで途方に暮れた」

当時の学生がマイカーを持つのは異例だが、バイデン家は裕福ではないものの、父親が中古車のセールスマンだった。バイデンとケネディは同じアイルランド系カトリックで、バイデンにとってケネディは輝ける星だった。
「ケネディが当選した時、私は高校生だった。ケネディはすべての可能性を切り開いた。就任演説から月面到達の夢まで、彼は未来にあらゆる可能性があると力説した。60年代、アイルランド系カトリックは『2級市民』とみなされていたが、彼のおかげでプライドを持てた。偉大な伝説の人物だ……暗殺は米国で絶対に起きてはならないことだ」
2021年1月20日、バイデンはケネディに次いで米史上2人目のカトリック教徒の大統領となった、そして彼のオフィスには、現在キング牧師とロバート・ケネディの胸像が飾られている。
速 報
ケネディ暗殺機密文書の全面公開を延期
【10月23日 AFP】
米ホワイトハウス(White House)は22日、1963年のジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)元大統領の暗殺に関する機密文書の全面公開を延期すると発表した。
 ジョー・バイデン(Joe Biden)大統領は声明で、来年の12月15日まで未公開の文書の「全面的な一般公開を差し控える」とした。
 2018年、ドナルド・トランプ(Donald Trump)前米大統領がケネディ氏暗殺に関する機密文書を公開したが、一部は国家安全保障の観点から公開が見送られた。
 ホワイトハウスは公開延期の理由について、公文書の担当者による精査に時間がかかるとしており、バイデン氏は「軍事防衛や諜報(ちょうほう)作戦、法執行機関、外交への危害からの保護の必要性」に言及している。
 ケネディ氏暗殺後、当時の連邦最高裁判所長官アール・ウォーレン(Earl Warren)氏率いる委員会による調査報告書は、ソ連在住経験のある元海兵隊員のリー・ハーベイ・オズワルド(Lee Harvey Oswald)による単独犯行だったと結論付けた。しかし、この報告書には調査が不十分だったとの批判も上がった。
 米国の法律では「国民への十分な周知」を図ることを目的に、ケネディ氏暗殺に関するすべての政府記録の公開が義務付けられている。  (c)AFP