第六回国内オフ会が無事終了いたしました。えっ第五回じゃないの?と言った声が聞こえて来そうです。06年に実は三島において第五回のオフ会を開催していました、ところがオフ会前後から殺人的な忙しさ・・・・ついつい毎日ベットが恋しくなって「報告書」を書くタイミングと言うか時間がとれず「ズルズル」と・・・・・
気がつけば一年経過。大変申し訳ありませんでした。今も状況は全く同じなのですが二回もサボっては何を言われるか分ったもんじゃありませんので、疲れた体に鞭打って書いています。

 プロローグ

2007年5月19日、東京にて恒例の「プチオフ会」が開催されました。いくら忙しいと言っても欠席もできず東京へ向かいました。まっ、このプチオフ会は特にこの場に書くようなことではないのですが色々とハプニングのあったオフ会でしたが(笑)。それはさておき、この場で我ながらの名案を考えつきました。忙しい毎日のなかで少しでも負担軽減を目論んでいた私、「皆で運営するクラブ」を提案しました。(こんな大義名分は我ながらすばらしい!)このことは決して負担軽減が主目的ではなく(無いと言ったら嘘ですが)前々から考えていたことなのです。完全休眠状態であったメルマガの再開とオフ会企画の委譲です。(実は他の企画もあるのですがシステム上のテクニックが私の能力を超えているので現在勉強中)幸いなことにメルマガ再開にはうってつけの方「サリンジャーさん」がおります。本人がサリンジャーを名乗っているくらいですから間違いありません(失礼)早速JFKクラブの「特別報道官」をお受け願いましました。少なくともこのページ運営にあたって一部とは言えパスワードをお知らせした最初のことでした。その後の活躍はメルマガを購読されている方でしたらすでにご承知の通りです。それともうひとつ、オフ会の開催権限の委譲です、まっ権限委譲といえば格好が良いのですが、すなわち雑用係任命と言ったところかしらん(ごめんなさい)。これまた最適な方がいました「ロックフォードさん」です。それに東京組の面々の結束力と言うか飲み会に対する集中力は大したものですので安心してお任せできると思いました。(笑)  こうして2007年オフ会はロックフォードさんを中心としたメンバーで準備に入ったのです。
 ロックフォードさんの活躍

会場選びの段階からロックさんの活躍が始まりました。日程の調整と会場選び、これは車の両輪みたいなもので「あちらを立てればこちらが立たず」の関係です。「やはり土田先生と前田さんの日程調整が第一」とのありがたいお言葉、我侭を言わせていただきました。特に私の我侭が大きく、ズルズルと日程が先延ばしに・・・やっとのことで9月8日の線が浮上しました。何とか調整がついたのは良いのですが今度は会場・・これにはサリンジャーさんや猫さんも加わっての会場探しとなった様子、感謝です。誰がどこから探してきたのか飯田橋近くの貸しスタジオ。過去、一般の貸スタジオで開催したことは無く特に「会費」への跳ね返りを恐れた私は「色々な条件を満たした上、かつ会費を最高でも7000円台に抑えて」などと条件を連発しました、ここでも我侭を言って申し訳ありませんでした。準備の佳境に入った時期、ちょうど私に「企業研修講師」の仕事が入り毎朝8時には家を出る時期と重なって、毎朝7時台に連絡をいただくような日々でした。おかげさまで準備の進捗状況は手に取るように解ってとても安心でした。「ところで、懇親会の会場のほうですが」とのロックフォードさんの言葉に、即「そっちは条件抜きでおまかせします。ベテラン揃いですし(笑)」決着、東京駅八重洲近くの会場とのこと、私の帰宅のことをご考慮頂いたのか、それとも少しの時間でも居させたいと言う魂胆なのかは知りませんが。普通「飯田橋」から懇親会と言えば飯田橋駅近くの会場か、移動するとすれば「新宿」じゃないかしらん。準備が完了し、あとは当日を待つばかり。そんな時にロックフォードさんからの連絡。なんと一般的にはオフ会どころではない事情の突発!「事情はありますが何とか出席します」との事「あまり無理をしないで」と言うのが精一杯でした。このオフ会報告を熟読されている方でしたらお気づきかと思いますが第二回のオフ会での小澤さん。第四回オフ会での土田先生と、オフ会開催直前にはこの手の「オフ会どころではない事情」が勃発しているのです、こりゃ何かの「タタリ」かしらん?次回のオフ会計画の時には三島大社へ行って「厄除けのお払い」をしてもらおっと・・・・・
 勉強会

最終的に13名の参加者、ここには常連中の常連「ナッキーさん」の名前が在りません。
どう言う事情かは知りませんが名誉の?骨折。現在、ギブスをはめて松葉杖の生活とのこと「ナッキーさんのことだから松葉杖で来て、一時期のケネディもこうだった。などと言うのでは」と無責任な話をしたのですがやっぱり不参加、加えて駒田さんも仕事が入ってキャンセル最終的に12名の参加者に落ち着きました。今回初参加の方は町田の井上さんと東京の森田さん、そして埼玉の渡邊さんの3名、お会いできるのが楽しみです。
いよいよ当日、飯田橋より徒歩8分を気楽に考えスタート。ところが車優先の日本、直線では8分かも知れないけど歩道橋を上ったり降りたり、加えて年齢は絶対関係ない(たぶん!)けど日ごろの運動不足、大体、地方の人間は徒歩8分なんていう所はたいてい車。確かに「チョッとタバコを買いに」行くのも車、と言う人が多いのが地方です。加えて台風一過の暑さにヘトヘトになって会場到着しました。
5月以来の人、一年ぶりの人、初めての人、ひと通りのご挨拶を終えて開会です。最初のご挨拶に続いて私のお話、とは言っても何の準備もしていない私でした。確かに「喋る」ことが現在の商売の私ですがそれはパソコンの世界の話、多少勉強はしてはいますがケネディの話となると、それなりの準備が必要なのです。それに「名古屋での失敗」が頭をよぎり、この際「ビデオ鑑賞」でお茶を濁すことにしたのです。素材は20年前にテレビで放映されたもの、土田先生の前では失礼かとは思いましたが、事件25周年を間近かに出版された「ベストエビデンス」の著者デイビット・リフトン氏を追った映像です。リフトンが提示した疑問の「エキス」を手短に解説したものです。鑑賞後、本当に話の流れの中で「只今の映像は今から20年前、事件25周年の節目で放映されました。20年足す25年。ムムッ・・ええーー来年は事件後45年になるのですが、アアアウウウウ・・・」後の言葉は皆さんのご想像に任せます。続いていまや恒例となった土田先生のお話です。今回はJFKを離れてRFKのお話、今が旬のお話です。
池田さん・土田先生
左から森田さん・渡邊さん・中出さん 左から小澤さん・鈴木さん・井上さん・堀口さん・菅野さん
冒頭「皆さんすでにご覧になったと思いますが、映画「ボビー」の主人公・・・・」と始まりました。クソーまだ観ていない。第一わが町三島には映画館が存在しない、見れるわきゃないのに・・・早くDVDを買わなきゃ。
講演中の土田先生
ボビーの生い立ちから家庭内におけるボビーの立場から説き起こしてくれました。そして後半はやはり暗殺事件。ここで、正直にお話しますと今から3年前、まだ暇で毎月ページ更新をしていた頃、関連項目の中に「RFK暗殺」の項目を考え準備に入り、ある程度の資料をそろえていた経緯があります。その時の資料は「RFK」のフォルダーの中に今も寂しそうに残っています。そのうちに時間が取れたらアップします(いつになる事やら)。土田先生のお話の内容にもなりますが、ちょっぴりロバート暗殺事件の疑問点について書いてみます、すなはちロバート暗殺も「陰謀」であったと主張する人々の論旨は @正面で取り押さえられていたサーハンが、硝煙輪の残るような至近距離からRFKの後頭部、しかも上向きの致命傷を与えられるのか? A8発しか撃てない拳銃と、十数発の銃声を聞いたと言う証言及びパントリードアの弾痕との整合性 B背後にいた警備員セイン・シーザーの不信な動き C急遽開かれた記者会見と会場へのルートの問題 Dサーハンの判決後に行われた大量の証拠物件の廃棄 E水玉模様の服を着た謎の女性とセラーノ証言。と言ったところでしょうか、もちろん実際に先生のお話を聞いた方々にはご不満でしょうが先生のお話すべてをここでご披露する訳にはいきませんのでこの程度でお許し下さい。
さて続いて質疑応答、いつもと違って?活発な発言が続出しました。初参加の井上さん・森田さんの鋭い質問が飛び交います。ムムこのお二方は何者?聞いてみれば井上さんはダラス在住5年のダラス通(商社のダラス駐在員としてご接待の一環としてディリー広場は数十回いや数百回も通いつめていたとのこと)まだ教科書倉庫ビルには「ミュージアム」も無く、屋上には「ハーツレンタカー」の看板が在った頃を知っているとの事。森田さんに至ってはダラスのJFK AICの日本人初メンバーで、JFKシンポジウム(たぶん、JFKランサー社のシンポだと思いますが)参加のご経験もお有りとのこと、こりゃ鋭い質問が飛び出してもおかしくはありませんワ!数々の質問に土田先生と私でお答え、まっ、これは「解なしの命題」に対する質疑応答ですから回答と言うより「持論展開」に他なりませんが。
最後の締めはボストン直送の「ポッキーグッズ」の抽選会いつもいつもお忙しい時間を割いて買出しに出かけて下さりありがとうございます。今回のグッズは「バースプレイス」で仕入れてきた品々との事、皆さんくじを引く手が真剣そのものでした。
 懇親会

勉強会終了後懇親会場に移動、電車を乗り継いで東京駅まで、申し訳ありません。早速「乾杯」のあと飲みながらのJFK談義の続きです。そこかしこで話題の輪が出来ています。井上さんはダラス駐在時代のお話に花が咲いています、そんな中でカバンから取り出した古びた新聞「事件後十周年」に発行されたダラス・タイムズヘラルド紙の特集号。井上さんがJFK暗殺に入り込んだ原点の資料との事、盛んに熱弁をふるっていました。しまいには、もうこのレベルは卒業したと言わんばかりに「差し上げます。」「本当にいいんですか?」その時にはチャッカリカバンの中に収めていた私でした。飲むほどに酔うほどに、ついさっき口ごもっていた話題が口をついて出てきてしまいました。「やっぱ来年は45周年、また行かなきゃね」ダラスで当日を迎えるのが本筋だろうけど、アーリントンでその時を迎えるのも良いじゃん!いや我々は行っているからいいけど新規参加者はやっぱりダラスじゃなければ!それじゃ両方行ったらいいのでは!でもそうすると3泊5日じゃ強行軍もいいとこ、4泊6日になっちゃうし?中には「ボストン・ニューオリンズも行きたいな!」話は盛り上がりました。まっ、来年の夏ごろ計画しますのでその時はよろしくネ
この項目をお読みの方々、ご興味のある方は今月より「ダラス預金」として毎月1万円ご準備下さい。
お開き後、恒例のカラオケ店に、今回はちょっぴり二次会メンバーは少なかったけど逆に「カラオケ店でカラオケを歌わない」と言った珍現象、先ほどのケネディ談義の続きをやっちゃいました。これって「割高」じゃないの?
せっかく八重洲に会場を設定していただいた義務感から?今回も最終列車で三島に帰るべく改札口で再会を約して別れたのでした。皆さんお疲れ様でした・・・・・・・・

 参加者の声

鈴木 克美さん(サリンジャーさん)

第6回JFKクラブ国内オフ会にご参加の皆様、お疲れ様でした。
先のプチオフ会で代表前田さんから正式に当クラブの特別報道官に任命されるなど、より一層この和を広めていく責任感が増す年になりつつあります。その様な中で始まった今年の国内オフ会は、ロックフォードさんを中心とした会場探しに奮闘!
ロックさん、お疲れ様でした。
いよいよ、恒例の勉強会がスタート。前田さんは日々忙殺とのこと。(お体が心配です)お聞きすると、まだ沢山埋もれているケネディ関連の資料があるとのこと。日の目を見られることを楽しみにしたいと思います。
そして、土田先生の講演がスタートです。
今回はボビーについてでしたが、生い立ちから暗殺までと幅広い講演の中、「なるほど」と感じたことは、4男5女の中で、兄達には勝てる訳がないと割り切る人生。ボビーの人生には複雑な心理があったのではないか?この観点は当然ですが小生にはありませんでした。そして、ジョンが暗殺されたのは自分のせいなんだ。ジョンとボビーの暗殺はどこかでリンクしている等々。流石は、土田先生です。もっとお聞きしたかったのですが、時間の関係で質疑応答へ。
勉強会会場を後に懇親会会場に移動、そして、「来年の45周忌オフ会は海外で・・・。」ついに、前田さんから 「月一万円貯金宣言!」再び "Ich bin ein Berliner" いや、Dallas と言えるのが楽しみです。そして、"Go to the Berlin" いや、ボストン、アーリントン ですね。
土田先生、前田さん、そして皆さん、今後とも宜しくお願い致します。

中出 忍さん(ロックフォードさん)

「第6回 国内オフ会」へ参加の皆様お疲れ様でした。今回、前田さんの命により実行委員長を勤めさせて頂きましたロックフォードで御座います。サリンジャーさんが感想文に書かれたように、今年の国内オフ会は初めて準備段階から前田さんの手を離れて任された訳で、例年の私は「参加記念」のボストングッズをポッキーさんへ頼むだけという実に人任せな風情でした。ところが今年は、まず会場探しから始めなくてはいけません。しかし私は都内は映画鑑賞やコンサート・博物館巡りなど遊びに出掛けて来るだけで、仕事や生活しているワケではないので正直なところそんなに詳しくない。そこで「第2回 国内オフ会」の会場探しで活躍した猫太郎さんと先のプチ会で「特別報道官」に任命されたサリンジャーさんに協力を依頼して「首都圏組」のパワーを結集しました(笑)。取り合えずインターネットを駆使しての貸会議室探しが始まったのですが、これが中々いい物件が無い。いやあるには有るのですが何処も料金が高くて…前田さんからの司令により諸々の費用を込みにしても会費は例年と同額程度でやって欲しいとのこと。勿論、私としても会費は安く上げたい。しかし探した物件の何処で計算しても、仮に参加人数が12〜15人集まっても9,000円台になってしまいます。20人も集まれば大丈夫なのですが、そんな皮算用をした揚句、当日臨時徴収をするようでは実行委員長失格です。また区民会館なども探したのですが、その地域の住民じゃないし、職場も都内じゃないのでこれは無理(もっとも何処も9月まで満杯)。そこでサリンジャーさんに「メルマガ」に開催予定を掲載してもらい先行告知をさせてもらいましたが、これは何とか早目に参加人数を把握したいとの苦肉の策でした(前田さんにも「もう載せちゃうの?」との言に理由を説明)。そんな悪戦苦闘の中やっと見つけたのが今回の会場「「スタジオ・フェザー」だったのです。兎に角参加人数を最小にしても何とか開催出来そうな金額なので早速、猫太郎さんとサリンジャーさんに相談して仮予約を入れたのでした。この時期に土田先生より今回の勉強会でのテーマをメールにて連絡した頂きました。先生には会場探しについてもメールにて助言を頂きました。2次会の「懇親会」探しは前田さんも書いていますが、この分野は私の得意(笑)とするところでこれもインターネットで探して八重洲に決定。懇親会場所は猫太郎さんから特に遠方から来られた方々の交通アクセスに配慮してとの助言で決めました。さて勉強会と懇親会の開催場所が決まったので、ボストンのポッキーさんに「記念品」グッズを依頼。実はこの時期ポッキーさんは仕事の合間に日本のお父様を呼んで家族でカナダ旅行に出掛けたりとかなりタイトな状況の中「JFK生家」へ行って買って来て呉れたのでした。ボストンからグッズが届き、あとは開催日を待つばかりとなった頃に私事ですが、前田さんが書いてくれた「オフ会どころではない事情の突発!」が発生。しかし何とか日程的な都合はついたので前田さん猫太郎さんサリンジャーさんにも連絡して参加することに決めました。また開催日前日に以前声を掛けていた友人の渡邊さんから連絡が来たので勉強会のみという事でしたが参加してもらいました(これで予定の最低人数を確保)。さてオフ会当日は心配していた台風も去りまさに台風一過の晴天…というか猛暑のぶり返しのような暑さで、自分で選んだ場所とはいえ会場に着くまでには汗びっしょりでした。途中のコンビニで土田先生とバッタリ。早速「スタジオ・フェザー」へ駆けつけて会場の設営を開始。今回初参加の町田の井上さんと東京の森田さんに友人の渡邊さんを加えた13名の参加者で無事オフ会を開始することが出来ました。超多忙中の前田さんは今回ビデオ上映でしたが、実はこれにはもう一つ理由がありまして、今回は私が所有するJFK関係のビデオから暗殺25周年に日本テレビの「11PM」で放送したJFK特集番組を見てもらうつもりだったのですが、何処に行ったのか自宅で行方不明になってしまったのでした。そこで前田さんに説明したところ「分かりました何とか考えます!」がリフトンを追った「ビデオ鑑賞」となったのでした。該当のビデオはいまだに行方不明なのですが、捨てるわけないので何処かに有る筈です。出てきたら今度の国内オフ会で披露したいと思います。さて真打の土田先生の講演ですが、予告通りに今年公開された映画「BOBBY」を含めたRFKのお話でした。実際私にとっては兄JFKの暗殺よりもRFK暗殺事件の方がより鮮明に記憶されている事件で、彼が司法長官時代に来日してエセル夫人と共に訪れたことのある都内のスケートセンターへ親と一緒に行たこともあり、子供ながらかなり親近感を持っていたので彼の暗殺事件はショックでした。今回先生のお話を聴いてボビーが抱いていた複雑な心理状態などが理解出来たように思います。白黒をハッキリさせる正義感故に時に冷徹な男として描かれる反面、大統領選のころは米国内における貧困に目を向けるリベラル派の急先鋒としてのイメージが形成される過程がより理解出来たと思います。映画「BOBBY」に関しては、あの映画は監督エスティベスのRFKに対するオマージュ的観点から作られた作品としての評価から私としては好きな作品です。勝手な想像なのですが、数年前から同じタイトルでO・ストーンがRFKを描いて呉れると思っていましたが、彼が作ったらもっと陰謀の匂いがする政治色が強い作品になったでしょうね。さて土田先生の講話も終わり質疑応答・記念品クジ引きも無事終わり記念撮影後に皆で「懇親会」会場の八重洲「素材屋」まで移動しました。「懇親会」はもう和気あいあいで活発な意見交換が出来たと思っています。楽しい時間はアッと言う間に終了して常連の1人植田君の音頭で無事「第6回 国内オフ会」も終了しました。今回、「実行委員長」の大役を無事終えることが出来ましたのは偏に皆様のお陰です。早朝の電話連絡にお付き合いしてくれた前田さん、お忙しい中再三メールにて助言及び励まして呉れた土田先生、会場探しでの助言や現地まで下見に行ってくれた猫太郎さんとサリンジャーさん。そしてボストンのポッキーさん。皆さんにこの場を借りてお礼申し上げます。本当に有り難う御座いました。さて来年は「第3回 ダラスオフ会」が実施されるかもしれませんが、取り合えず暮の「公認プチ忘年会」でお会いしましょう!

小澤 正治さん(猫さん)

第6回国内オフ会に参加の皆様お疲れさまでした。特に今回、勉強会の会場選定、懇親会、お土産グッズ等を全て取り仕切ったロックフォードさん、見事予算等の諸条件をクリアして、すばらしい幹事のお仕事ぶりでした。
今回は、たしかTBSがリフトンを取材した前田さん所蔵のビデオ上映と土田先生の講演の2演目でしたが、リフトンのビデオは、私も録画してあるものでしたが、日本で紹介されたケネディ特番の見応えのあるビデオの中の1本だと思います。特にワシントンに到着前のエアフォース・ワンの交信テープが聞けるのは涙モノです。ところでケネディの遺体はどの時点でダラスの棺から移されたのでしょうか?本当にビデオに紹介されたようにジョンソンの大統領宣誓式の僅かな時間に為されたのか?不気味に残る謎です。
土田先生の講演は、私には大変有意義なものでした。というのもロバートの暗殺に深く切り込んだ内容の書籍、ビデオは殆ど私は持っていないため最高の情報収集となったのと、また、ケネディ一族の中での特に家族・兄弟でのポジションについての先生の見解もとても興味深かったからです。先生の講演は、様々テーマで毎回楽しませていただいておりますが、改めて先生の豊富な知識に感服しました。
その後の懇親会、カラオケボックスにもかかわらず、話に夢中で自身1曲も歌わなかった2次会等も、和やかで楽しい宴でしたが、今回、初参加の井上さん、森田さん、勉強会でお別れした渡邊さんと、あまりお話ができなかったのがちょっと残念でした。またの機会で、是非ケネディ談義に花を咲かせましょう。
最後に、前田さん、土田先生、報道官サリンジャー鈴木さん、毎回オフ会開催に尽力されているこの御三役に改めて感謝いたしたいと思います。皆様、今後ともよろしくお願い致します。