|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
皆様方からお寄せ頂いたオフ会感想を掲載します(到着順)、後着分も順次追加します。(送付原文のまま) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鈴木さん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
皆様、横浜オフ会お疲れ様でした。 年に一回のオフ会、毎回そうですが有意義な一時でした!先ず、前田さんのケネディ大統領の政治ポリシーについてからスタート。小生は土田先生、前田さんの知識の比ではありませんが、興味があるテーマで、確かにニューフロンティアとは?と問われても、今の小生には「こうです」と答えられないかもしれません。FDRのニューディール政策から始まり、トルーマン、アイク、そして、ニューフロンティアへと分かりやすく紐解いて頂きました。しかし、「前日まで何も準備していなかった」とおっしゃった前田さんの知識(講演)に、感服しております。最後の段で「ニューフロンティア・スピリットは今も生きている」という言葉が大変印象的でした! 次に土田先生の講演について、オバマ大統領が最近、「ロシアとアメリカは核兵器製造禁止に向けてお互い積極的に努力する」ことになりましたが、この事が、あのプラハ演説に繋がるのですね。学生時代に感動したレーガンとゴルバチョフとの歩み寄りに思いを馳せながら、米国の平和戦略を説くとともに、ソ連に対する米国の態度を再検討しようではないかと示唆する名演説、アメリカン大学の演説(平和の戦略)について拝聴させて頂きました。 この演説がケネディ大統領が暗殺された一因になったのでは?とも言われていますね。そして、平和部隊のお話。とても感心があるのですが、日本ももっと平和部隊への評価が高まってくれれば…。ケネディ大統領とフルシチョフとの手紙のやり取りの秘話もありましたが、自分なりに真剣に平和について考えてみたいと思った次第です。 最後にうえぞう君、幹事お疲れ様でした!和田さん。大阪から飛行機でかけつけて頂き、昨年の大阪オフ会で話題になったベルリーナパンですが、大阪・神戸にお店がなかったらしく、わざわざ渋谷のお店で買って頂きまして大変ご馳走様でした。そして、土田先生、前田さん、皆様、楽しい一時をありがとうございました。3年後の50周忌は、Ich bin ein Dallas、New Orleans and Boston?ですね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
和田さん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
数年前、新横浜に3ヶ月ほどいたのでなんとなく懐かしさを感じつつオフ会に参加しました。 幹事さま、お疲れ様でした。今回のオフ会、前田さんの言葉を借りれば、「原点に帰る」内容で、アメリカ政治オタクの私も新たな気持ちで興味深くお話を伺うことができました。 鉄鋼危機のお話、ソレンセンの本にあったケネディが原稿にない激しい言葉の「アドリブ」を入れたため、記者たちが驚いた、というエピソードが心に残っています、演説しているうちに怒りがこみ上げてきたのでしょうね。何の本だったか忘れましたが「冷酷なまでの怒り」って書いていました。 ジョゼフがベツレヘム・スティール傘下の造船会社にいたこともあって、鉄鋼会社側も驚いたでしょうね。しかし、労組が大統領の条件をのんだのに、経営側から裏切られて、さすがのケネディも怒ったのですね。結局、鉄鋼会社はその年の値上げは撤回し、ソレンセンによるとケネディは「アメリカ大統領の職権の勝利」をおさめたわけです。マイケル・サンデル教授のひそみに倣えばケネディは「アンチ・リバタリアン」だったのかも・・・。もっとも翌年は鉄鋼価格の値上げを認めたようですが。 大統領が労使交渉に顔を突っ込むのはちょくちょくあるようですね。確かトルーマンだったと思いますが、炭鉱労働者のストを止めさせるために、労働者を陸軍に編入する、なんて荒療治をしたことがありました。ストは中止になりましたが、最高裁で違憲判決が出た、と記憶しています。(ドラマ「ホワイトハウス」でも大統領が国賓を招いた晩餐会の席を抜け出しては労使交渉に顔を出す、なんてシーンがありました) 土田先生からお話いただいた「核のお話」。アメリカだけが核保有国だったときに国際管理体制ができていれば今みたいなことはなかったのでしょうけれど、ボタンの掛け違いはニューメキシコの砂漠で原爆実験が行われた1945年7月に始まっていたのだと思います。 原爆の対日使用に反対したレオ・シラードや、チャーチルとルーズベルトに「核の国際管理」を提案したニールス・ボーアなんかほとんどスパイ扱いでしたものね。東西冷戦は小心者の独裁者スターリンが東欧の戦後処理を考えて動き始めていたせいで1944年には顕在化していましたから、日本に原爆を落とした本当の理由もアメリカの公式見解である「米兵の戦死を防ぐため」ではなく、対ソ戦略の一環だったのは確かだと思います。そこに人種差別的な香りも漂っているように思います。つまり、日本人になら原爆を落としてもいいだろう、という考え方です。大体、当時の日本はソ連を仲介にして降伏への道を模索していたわけですし、アメリカもその動きをつかんでいたはずですから、先の「公式見解」には無理があります。 ただし、7月中にポツダム宣言を受諾できなかった日本政府の責任は重いと思います。外交下手は今に始まったことではありませんね。 NPT(核拡散防止条約)はあるものの「持つ者と持たざる者の格差」がある以上、核の廃絶はアメリカの銃規制と同じで難しいでしょう。 しかし、それを明言したオバマ大統領の意気やよし。 All this will not be finished in the first one hundred days. Nor will it be finished in the first one thousand days; nor in the life of this Administration; nor even perhaps in our lifetime on this planet. But let us begin. これらはこれからの100日でなしとげられることではないだろうし、これからの1000日、いやこの政権の間に、もしくはこの地球上でのわれわれの生きている間でさえなしとげられないかもしれない。しかし初めようではないか。(JFK Jan.20 1961) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀口さん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第8回国内オフ会、皆様お疲れ様でした。横浜での開催というのも初めてで今回植田 さんが幹事役で会場捜しや懇親会の場所セッティング等ご苦労様でした。いつもの様 に前田さんと土田先生のお話があり、先ず前田さんからは今回は「ニューフロンティ ア」についてありました。一口にニューフロンティアと言ってもいろいろある事や当 時のアメリカの時代背景も知ることが出来ました。 次に土田先生からは「アメリカン 大学でのケネディ演説」についてのお話でした。この演説内容全部を目にしたのは今 回初めてでこんなに長いというのも知りませんでした。それでもこの中の一部分には とても気に入っているフレーズがあり、以前より知っておりました。「.....少なくて も多様性を認める様な世界を作る努力はできるはずだ、なぜなら我々は皆この小さな 星に生き皆同じ空気を吸い、皆子供たちの未来を大切に思っている。そして我ら皆死 にゆく者なのだから」と。これは'99年10月17日放送の関口宏の「知ってるつもり?」 と言う番組で「ケネディ家の光と闇」というタイトルでケネディを取り上げて、そのエンディングロールにこの言葉を流しておりました。それを見て当時この言葉に感動 したのを覚えてます。今回初めてその演説全文をじっくり読ませてもらいました。今回の勉強会の内容は、前田さんも土田先生も事件に関しては出なかったものの(コー ラの件ちょっと出ましたが)それぞれに自分にとって勉強になり感銘を受けました。 まだ1年先になりますが次回も楽しみにしております。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中出さん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「第8回国内オフ会」の皆様お疲れ様でした。昨年の大阪オフ会に続き、私ロックフォードの独断で決めた横浜開催となりました。大阪オフ会の2次会席上で「次は横浜で開催するから幹事よろしく!」と突然の指名に快く(?)快諾してくれた植田さん有難うございました。またご苦労さまでした。さて、横浜に程遠くない場所に住んでいながら、実に10数年振りの横浜入りでしたが、湘南新宿ラインが通ったお陰で、昔は2時間以上掛ったのが1時間20分で横浜です。昼食を済ませてから前田さんと堀口さんと一緒に藤棚地区センターへ到着です。会場には既に皆さん揃っており、いよいよ第8回国内オフ会の開始です。今回の講義は何と前田さんと土田先生揃って、暗殺事件から離れたお題目でありまして、チョット意外と感じたものの逆に新鮮で密度の濃い時間を過ごした感じでした。前田さんの「ニューフロンティア」に関する講義は、正直なところ初めてキチンとニューフロンティア政策を理解したように思います。「柱」となるお題目が実に理論的で、その実現に何を成すべきかが明確に分かりました。コロコロと変化する日本の政党の「マニフェスト」との違いを大いに感じました。次は土田先生の講義で、ケネディの演説の中でも私が特に好きなアメリカン大学卒業式での「平和の戦略」説でした。先生が用意して呉れた英文と訳文による解説は実に分かり易く…実はこの演説の全文を訳文で読んだのはこの時が初めてでしたが、この演説の意味と重要性がよく理解出来ました。冷戦時代に共産主義国(ソ連)との共存を真剣に考えただけでなく、実践しようと考えていたケネディ大統領の偉大さを改めて認識しました…そんなケネディの理念とは真逆を考えていたのがCIAや軍部や軍事産業だったのでしょうが、今更ながら残念至極です。本日は暗殺なしと思っていたのですが、オズワルドのコーラ瓶についてのお話は土田先生のサービス?だったのでしょう!帰ってから書籍と映画で少し確認してみましたが、落合信彦氏の「決定版2039年の真実」P114には「〜12時30分をちょっと回った頃、彼は2階の食堂にある自動販売機で、コーラを買って飲んでいた。〜」との記述がありました。また映画では、「O・ストーンの「JFK」ではオズワルドはコーラ瓶持っていませんが、バート・ランカスター主演の「ダラスの熱い日」(1973年)では持たせてました…。これは面白いので、もう少し調べてみようと思います。1次終了、一般会員でのエトセトラの発表は以前から考えていたことでしたが、実際的に考えるとやはり無理かな?と思っていたのですが、何時までも前田さんと土田先生ばかりに頼っているのも如何なモノか?との思いから、思い切って提案してみました。言いだしっぺなので当然私が最初になるのは想定していたので、第9回の前座発表はロックフォードが務めさせて頂きます。会場でも言いましたが、これは順番形式にはしないで、何か発表もしくは疑問がある事柄でもなんでも有りにして、自由に発言する場にすれば楽しいかなと思っています。大阪の和田さんなどは結構いろいろと話題が有るように思いますが…おっとこれは私の次の方の指名ではありませんよ(笑)2次会は場所を有名な中華街に移しての懇親会となりましたが、第8回を無事に終えて良かったと思いながら飲んでいたので、心地よい酔いが回って来まして…3次会のカラオケには寄らないで横浜21時11分の湘南新宿ラインに乗ったのですが、自宅に着いたのが深夜の2時半だったのは何故?前田さん、土田先生有難うございました。幹事の植田さんご苦労さまでした。和田さん貴重なスイーツ御馳走様でした。では皆さん新年会を企画しますので、年明けにまたお会いしましょう! |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小澤さん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第8回国内オフ会に参加の皆様お疲れさまでした。初の横浜進出ということで、勉強会・懇親会の会場選定等を取り仕切っていただいた、うえぞう(植田)さん、ご苦労様でした。今回は、前田さんと土田先生の講演の2演目。今回も私には「一応知っているつもりだが、詳細はようわからん」というテーマで、自身のJFKの知識の浅さを補足する上で大変貴重な内容でした。前田さんの「ニューフロンティア政策」の解説は、具体的にJFKの政策の骨子を調べたこともなく、月着陸を国家目標にしたこと位しか頭になかった私にとって、わかり易い内容でした。アイゼンハワー政権が2期続き、戦後15年が経過した1960年のアメリカの状況において国内の人口増加、老齢化に対する政策課題をケネディは「ニューフロンティア」という言葉で各分野に方向性を示したことがよく解りました。私は、「ニューフロンティア」という言葉は軍人出身のアイゼンハワーから世代交代を促す意味で大統領選の「イメージ戦略」のキーワードとして使われたという感じを強く持っていたのですが、またひとつ理解が深まった感じです。しかし思うのは1期目途中でJFKが亡くなってしまったこと…もし大統領職2期を務めていたらアメリカはどうなっていたのだろう?前田さんの話を聞きながらそんな感慨にふけった私でした。続く土田先生の講演は、有名なアメリカン大学での演説の解説。過去のオフ会で「就任演説」「ベルリン演説」のテーマでの解説を拝聴している私は、この演説もよく引用される有名な一節しか知りませんでしたので、是非詳細な解説を拝聴したいものだと思っていたので本当に嬉しく思いました。前年、キューバ危機という核戦争一歩手前まで行った米ソ両国の、その後の指導者が軍部との軋轢を抱えていた事情を考慮した内容であったことがよく解りました。しかし思うのはケネディとフルシチョフがケネディの大統領の任期を終える1968年まで両国の指導者でいたなら世界はどうなっていただろう?そんな感慨にふけった私でした。今回もオフ会の勉強会は私のJFKの理解を深める大切な場であることを再認識しました。前田さん、土田先生ありがとうございました。そして次回はテーマを広げてロックフォード(中出)さんの講演もあるような予告もありましたので、ますます楽しみです。 その後の横浜中華街での懇親会、カラオケボックスも今まで同様、和気藹々とした雰囲気で楽しめました。森田さん、松平さん、青木さんとも再会できましたし、初参加の泉谷さん、常連メンバーの中出さん、中北さん、堀口さん、和田さん(差し入れごちそうさまでした)、報道官サリンジャー鈴木さん、会場幹事・植田さん、みなさんありがとうございました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中北さん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今回は、暗殺事件からちょっと離れてまず、前田さんの「ニューフロンティア」。言葉としては何度も聞いたことはあるものの、要は何なのか、明確に理解できていませんでした。10年程前に、前田さんのサイト読破の挑戦の過程で読んでいるはずなのに…また忙しくなりそうです。 次は、土田先生です。冒頭に「健康保険」。うーん、難しい。日本でも社会保険と国民保険、組合管掌と全国健康保険協会管掌の社会保険に、最近問題となっているさまざまな国民健康保険。日本でもこんなにややこしいのにアメリカで…まあ、日本とアメリカでは当然異質の健康保険だとしても、過去のさまざまな経緯により出来てしまった多くの国保を仕分けするより、新しく作るほうが楽かもしれませんが。で、本題の「核」ですね。ここでは、米ソの冷戦時ではあっても、二人の偉大なリーダーが信頼関係を築き、未来への方向性を示そうとしていた様子が再認識できたように思います。「彼を失った地球は、小さくなったように思われる。」 初めての横浜の地でのオフ会。中華街での懇親会では大変元気な現役の学生も参加され、オジサンたちは圧倒されっぱなしでしたが、実に刺激的でした。皆様、またまた大変お世話になり、ありがとうございました。 |