「横浜オフ会」開催へ

三島・東京・名古屋・大阪と開催されてきたオフ会。大阪オフ会の終わる頃、自然と「横浜」の名前が挙がりました。「名古屋・大阪だから今度は横浜じゃろう!」との発言。一般の方にはその関連性がお分かりにならないとは思いますが、オフ会常連の方には意味がお分かりいただけると思います。そう「オフ会」常連のメンバー達の「地元」なのです。今回は「植田君」の地元?チョット違った、彼は「横須賀」が地元。でも「横須賀」となるとチョッピリ交通の便が悪いので、すんなり「横浜」となりました。それに、はるばる大阪まで初参加してくれた「ジンベイザメの佐野さん」の地元でもありますので御礼の意味もこめて「横浜オフ会」の開催が決定したのでした。植田さんにおんぶに抱っこ、何せ横浜は全くの無知!横浜駅に降り立ったのはかれこれ40年前でしかありません。植田さんのご連絡にも「はいはい、お任せします。」としか答えようがありません。ただ一点だけ希望があります。懇親会は「中華街」でネ・・・・・
9月になって本格的に動き出しました、まずは日程から。やはり11月22日前後となるのでしょうが今回はちょっと事情があって、なるべくなら土曜日は避けたいと思っていたのです。理由は「土田先生のお楽しみ」を奪ってしまう可能性があるからです。いまだに先生から「お楽しみ」の内容についてはお話いただいてはおりませんが。ところが、植田さんから「日程が決定しました。20日の土曜日と言う事で、先生のご了解も頂きました。」との連絡。ありゃま、先生大丈夫なのかしらん?早速先生にメールすると「遠方からお見えになる方々のご都合を優先して、植田君に任せました。」とのお返事。まったく、こんなクラブの為にありがたい事です。9月後半になって「会場決定」の連絡。「ちょっと辺鄙な所ですが、藤棚地区センターを確保しました。」との連絡「辺鄙な所」って・・・まさか「横浜の田舎って?」とは思いましたがお任せしました。まさか田んぼのなかの一軒屋というわけでもないでしょうから。
早速ページアップ、参加募集を始めました、常連さんから次々と参加表明(ただ一人を除いて・・・フフフ)加えて大阪にも参加された松平さんやひさしぶりの森田さん・青木さんからも「参加しま〜す」とのご連絡。加えて植田さんの勤務する業界新聞社の社長さんもチョット覗いてみようとご参加との事。業界紙とは言えマスコミ関係の方、こりゃチョット気張らなくっちゃ!それに加えて土田先生がオフ会の直前にテレビ出演、勿論「ケネディ関連の番組」その収録の時に番組ディレクターに今回のオフ会の話をされたそうです、そしたら興味を持たれた様子で「私も参加しても良いかしらん?」との事、ひょっとしたら飛び入りで一名参加されるかもしれません。とのメール、勿論大歓迎!とお返事しておきました。ひょっとしたらクラブオフ会もマスコミデビューかな?なんて思ったりして。

 何を話そう?

毎回恒例になっているオフ会前半の講演会。毎回、土田先生と私がお話しているのですが。いつもながら「何を話すか?」に苦労しているのです。やっぱり、暗殺事件関連かな?毎回メンバーが入れ替わっているのであれば同じ話を繰り返していれば良く、苦労は無いのですが、過去7回の国内オフ会に常連として参加されている方が多くいらっしゃいますので、いまさら「魔法の銃弾」の話では「又か!」などとの声が上がってくるのは必至!「TSBDからテキサス劇場への道」「事件前夜のオズワルド」などと演題を考えていました、しかし、これらの演題をこなすにはそれなりの事前準備が必要。早く決めなければと思っていても仕事は次々と入ってくるし、徹夜の気力も今は無く、困っていたときに先生からメール。「20日にお目にかかるのを楽しみにしています。話の内容は、『ケネディの核政策・・・平和共存に向けて』のタイトルでどうでしょうか。」そうじゃ、何度も皆には話していた事なのですが「ケネディは『暗殺』だけじゃないよ!」と話していながら、自分自身で『暗殺関連』じゃなければならないと思い込んでいたのです。急遽演題変更、を思ったのが18日!わずか2日しかない。手っ取り早くお話が出来る内容を知識として持っている「ニューフロンティア」について話す事にいたしました。この前半の講演会に関しては、オフ会当日ロックさんから新たな提案があり次回から新たな展開を見せる事になるのですが(多分?)この時には夢にも思っていなかった私です。

 横浜へ

準備万端整えて、いざ横浜に向け出発。地区センターのページには横浜駅からの詳細な案内が書いてあるので問題なし。今回はバスで行こうと案内を頭に叩き込んだ「ふむふむ、東口バスターミナル(そごう1階)からC番乗り場 市営バス102系統滝頭域行き、じゃな」そごうデパートの一階ならばすぐに解ると電車に飛び乗りました。横浜到着と同時に「スタスタ」と歩き「確か横浜駅前のデパートは「高島屋」だったよな!そうか「そごう」も出来たんだな」などと思い探し回る」ところが、なかなか見つからない。駅前の案内地図を見て「ビックリ」反対側だった。何せさきほど書いたように、横浜に降り立ったのは、かれこれ40年以上前の学生時代の事、当時横浜駅の海側には何にも無かった、横浜駅前の繁華街は西口でしかなく、案内に書いてあった「東口」の文字を全く気にしていなかったのでした。やっとの思いでターミナルに到着、バスを待つ間風景を眺めるとやはり「そごう」の先には何にも無かった。バスに乗る事、数十分会場前に到着、横浜人に言わせれば「辺鄙」な所となるのでしょうが私にとっては街中もいいところ、建物もりっぱなものです。早速報告書用に外観をカメラにおさめているとロックさんが声をかけてきました。プチオフ会で何度も会っているのですがやはり定例オフ会での再会は一味ちがいます。「まだ、昼食を摂っていないので、どっかで食事をしましょう」と誘いそれらしき所に歩き始めると前から堀口さんが向かってきました。唯一人「常連さん」で参加の連絡が無かったメンバーです。三人で喫茶店で食事をしている間、嫌味の一つもと思っていると「メルアドが変わったのを連絡したでしょう!」との事。連絡を受けた受けないで、時間が過ぎてしまいました。もうすぐ開始時間、まっアドレス帳を修正しておきますわ、で決着しました。会場に入ると植田君のお出迎え、やはり幹事となると早めの入場となるのでしょう、ご苦労様です。見ると初見のご婦人が一人お座りになっている、確か参加者の中には女性は居なかった筈なんだけど?すると「泉谷でございます、夫が所要で来れなくなったので代理で参りました」いやいや恐縮です。例の業界紙の社長夫人でした。さすが、上に立つ人は違う!約束した以上、都合ができたら代理を立てるなんて発想は訳のわからない「オフ会」に関しては思いもよらないのですが。鄭重に御礼申し上げました。時間がきて全員は揃わなかったけれど、開始する事にしました。

 勉強会
左から鈴木・森田・青木の各氏
左から中北・小澤・堀口の各氏
左から植田・松平・泉谷の各氏
左から中出・和田の各氏

いよいよ勉強会の開始!第二回国内オフ会で阿南先生に講話をお願いして土田先生にと続けてきた勉強会。ただ飲み食いして楽しむのも良いのですが、やっぱり勉強の時間を加えてきた事は正しかったと思うのです。全く最近は「勉強」なんか遠い昔の話になっていますからネ。
さて、昨日準備したレジュメをお渡しして「ケネディのニューニューフロンティア政策」についてお話を始めました。ニューフロンティアとは何でしょうかと問われて、はたとお困りになる方がほとんどかと思います。中には「宇宙」の事と思っていらっしゃる方が大半ではないでしょうか?実は新しい時代の変化に対応し
講話中の土田先生
講話中の私
たさまざまな分野に対する壮大な政策ビジョンに他なりません、不幸にして「志半ば」にしてそのビジョンは費えましたしたが、現代に置き換えても決して遜色の無いビジョンになのです。ここでその事をお話しするわけには行きませんが是非ページをお読みください。
ケネディのニューフロンティアスピリッツを具現化した逸話として「鉄鋼問題」の経緯をお話して私の話は終わりました。約一時間の話でしたが、土田先生が盛んに「もっと長く・もっと長くとジェスチャーしている」素人研究者が一時間も話せたのが精一杯なのに・・・・
さて土田先生の講義です、ケネディの核戦略、さらには東西冷戦の終結を模索する彼の象徴的な名演説として知られる「アメリカン大学の卒業式における演説」を中心とした講義でした。東西の利害を見つめ、お互い共通の利益を認めつつ共存して行こうとの演説は当時の冷戦下のアメリカにおいては破天荒な提案であり、アメリカ国内の保守派にとってはまさに弱腰の態度に映ったはずです、さらには「包括的核実験停止の交渉を始めることの宣言や大気圏内核実験の一方的中止」の宣言など、土田先生の詳細な解説に参加者の目つきも変わっていました。核問題に関して言えば、それから50年の歳月が流れてもいまだに「プラハ演説」が大ニュースになる位の遅々とした歩みでしかない事に驚きと無念を感じざるを得ないのは決して私一人では無い筈です。歴史に「もしも」は禁句ではありますが「もしケネディに、あと5年の時間を神が与えてくれていたら?と思うと残念で仕方がありません。



 次回の国内オフ会又3年後に向けて!

先生の講話が終了、すると大阪の和田さんが何やら「ごそごそ」前回の大阪オフ会で皆さんにと思っていたのですが、と言いながら紙包みを配り始めている。見ると「おお、懐かしやベルリーナ」ではないか!「私は、揚げパンである!」の逸話のパンである。前回の大阪オフ会の報告書や私のベルリン紀行のページで盛んに取り上げられた「ドイツの揚げパン」である。聞くと大阪では手に入らず、ネットで調べたら渋谷で販売している事を知り、今日寄り道をして買ってきました!との事。ヒヤー、大阪発渋谷経由横浜かよ?その執念たるや「負けそー」久しぶりにベルリーナの味を満喫していると、ロックフォードさんが「提案があります」と話し始めた。「第二回国内オフ会から始まってからずっと勉強会は土田先生や前田さんにおんぶにだっこで7回目を数えてきたのですが、次回からは我々メンバーも何かの話材で話をするようにしませんか?」とのご提案!おおいに結構!それでこそ、こうしてメンバーが集まってオフ会をやっていく意味合いが倍増すると言う事です。続けてロックさん「こんな提案をする以上自分に最初のお鉢が回ってくる事は覚悟の上、次回のオフ会では私が何か話す事にします」発言、何かすでに腹案がある様子でライフルの模擬弾を取り出して何やら土田先生と話している、フムフム来年のオフ会が楽しみじゃわい!ついでに、会場も埼玉でどうかしらんと提案(ロックさんは埼玉県桶川の住人)桶川ではチョット不便(失礼)なので大宮か浦和でしょう、今はさいたま市か!そんなこんなで次回の開催地は「さいたま」となったようなならないような?(後日のメールにて埼玉開催は決定的となった様子ですが)こうなったら話は3年後に飛んでしまえと一提案!ご承知のように2013年は「没後50周年」現地ダラスでその日を迎えるのは我々JFKクラブの宿命?でもありますので「第四回ダラスオフ会」を宣言しました。ダラスオフ会の常連さん達は何度も訪れているので「ダラス」のみではチョットと思えるので味付けとして「ニューオリンズ」を提案しました。カナル街700番地やインターナショナル・トレードマート、それに例のキャンプ街544番地や自宅のあったマガジン街4907番地等々、現在どうなっているのか知る由もありませんがニューオリンズにも関連する場所もたくさんあります。まったく我々のアメリカ旅行はどうなっちゃてるのかしらん。通常の観光旅行の定番都市は完全に「蚊帳の外」です。後日土田先生よりメールで、早々と「ダラス・ニューオリンズオフ会」への参加表明が送られて来ました!こりゃ絶対に成功間違いなしを確信しました。

 中華街
さー飲もう!とたんに元気になた人も見受けましたが全員で「中華街」へ移動。懇親会の会場設定の連絡を植田君から受けたとき「飲み放題・食べ放題」ですから安心して飲み食いできます。との事でしたが「バイキング形式」ではあまりお話が出来ないと思っていたのですが「バイキング形式ではなく単品の料理を席まで持ってきてくれます」との事。フームどういった感じになるのか解りませんでしたが中華街に降り立ってビックリ。どのお店も「飲み放題・食べ放題」の看板、どうもどこかのお店が始めて我も我もと広がった様子です。でもさすがに名前を聞いた事のある「老舗」と呼ばれるようなお店には「飲み放題・食べ放題」の看板はありませんでしたがネ。その前に会場となるお店を探すのに一苦労、肝心の植田君も案内地図とにらめっこして探し回っている「おいおい大丈夫かいな?」この通りでもないあの通りかな?と歩き回る事数分、やっとこ目的の店を発見!さあ入ろうと思ったら今度はロックさんが居ない「ありゃま、はぐれちゃったかな?」そう言えば「大阪オフ会」の時もロックさん大阪駅で迷子になったっけな!「たくー」携帯電話で連絡を取り合って探し回る。こんな時本当に携帯電話は便利ですよね、もし携帯電話が無ければ絶対に見つける事が出来ない筈。「魔よけのストラップを買っていたら迷子になっちゃった!」と言い訳しながら合流したのでした。でもその後の言い草が良いじゃん!「買った後全く同じものが他の店で半額で売っていたのには頭にきた」だって、おいおいその次元の話じゃなかろうと非難轟々でした。バイキング方式以外の食べ放題とは、メニューの番号を言うとその料理が出てくる方式でした、所謂、中華料理と違って小皿にぶち込んだ料理が次々と出てくる、風情も何もあった物ではない、まっ、こんなもんか!こちとら飲めれば良いんだし。(笑)
あちこちで話の輪が出来ている、中にはプロレスの話で盛り上がっている、色々な話題で思わぬ共通話材が在るものですね。最後に關帝廟前で記念写真。屋台のお兄ちゃんにカメラのシャッターを頼んだら、欲しくも無い「天津甘栗」を買わされたのはご愛嬌か、女房へのお土産にしました。
 又来年!
通例通り、そのままでは終わらないメンバー達は近くのカラオケ店に移動、毎度の事ながら「なつかしのメロディー」のオンパレードでした。心地よい酔いのなか、今回も最終電車で帰路についた私でした。又来年、今度は「さいたま」でお会いしましょう。ここまで書いておけば間違いないでしょうネ ロックさん(笑)
 オフ会を終えて
皆様方からお寄せ頂いたオフ会感想を掲載します(到着順)、後着分も順次追加します。(送付原文のまま)

鈴木さん

皆様、横浜オフ会お疲れ様でした。
年に一回のオフ会、毎回そうですが有意義な一時でした!先ず、前田さんのケネディ大統領の政治ポリシーについてからスタート。小生は土田先生、前田さんの知識の比ではありませんが、興味があるテーマで、確かにニューフロンティアとは?と問われても、今の小生には「こうです」と答えられないかもしれません。FDRのニューディール政策から始まり、トルーマン、アイク、そして、ニューフロンティアへと分かりやすく紐解いて頂きました。しかし、「前日まで何も準備していなかった」とおっしゃった前田さんの知識(講演)に、感服しております。最後の段で「ニューフロンティア・スピリットは今も生きている」という言葉が大変印象的でした!
次に土田先生の講演について、オバマ大統領が最近、「ロシアとアメリカは核兵器製造禁止に向けてお互い積極的に努力する」ことになりましたが、この事が、あのプラハ演説に繋がるのですね。学生時代に感動したレーガンとゴルバチョフとの歩み寄りに思いを馳せながら、米国の平和戦略を説くとともに、ソ連に対する米国の態度を再検討しようではないかと示唆する名演説、アメリカン大学の演説(平和の戦略)について拝聴させて頂きました。
この演説がケネディ大統領が暗殺された一因になったのでは?とも言われていますね。そして、平和部隊のお話。とても感心があるのですが、日本ももっと平和部隊への評価が高まってくれれば…。ケネディ大統領とフルシチョフとの手紙のやり取りの秘話もありましたが、自分なりに真剣に平和について考えてみたいと思った次第です。
最後にうえぞう君、幹事お疲れ様でした!和田さん。大阪から飛行機でかけつけて頂き、昨年の大阪オフ会で話題になったベルリーナパンですが、大阪・神戸にお店がなかったらしく、わざわざ渋谷のお店で買って頂きまして大変ご馳走様でした。そして、土田先生、前田さん、皆様、楽しい一時をありがとうございました。3年後の50周忌は、Ich bin ein Dallas、New Orleans and Boston?ですね。

和田さん

数年前、新横浜に3ヶ月ほどいたのでなんとなく懐かしさを感じつつオフ会に参加しました。 幹事さま、お疲れ様でした。今回のオフ会、前田さんの言葉を借りれば、「原点に帰る」内容で、アメリカ政治オタクの私も新たな気持ちで興味深くお話を伺うことができました。 鉄鋼危機のお話、ソレンセンの本にあったケネディが原稿にない激しい言葉の「アドリブ」を入れたため、記者たちが驚いた、というエピソードが心に残っています、演説しているうちに怒りがこみ上げてきたのでしょうね。何の本だったか忘れましたが「冷酷なまでの怒り」って書いていました。 ジョゼフがベツレヘム・スティール傘下の造船会社にいたこともあって、鉄鋼会社側も驚いたでしょうね。しかし、労組が大統領の条件をのんだのに、経営側から裏切られて、さすがのケネディも怒ったのですね。結局、鉄鋼会社はその年の値上げは撤回し、ソレンセンによるとケネディは「アメリカ大統領の職権の勝利」をおさめたわけです。マイケル・サンデル教授のひそみに倣えばケネディは「アンチ・リバタリアン」だったのかも・・・。もっとも翌年は鉄鋼価格の値上げを認めたようですが。 大統領が労使交渉に顔を突っ込むのはちょくちょくあるようですね。確かトルーマンだったと思いますが、炭鉱労働者のストを止めさせるために、労働者を陸軍に編入する、なんて荒療治をしたことがありました。ストは中止になりましたが、最高裁で違憲判決が出た、と記憶しています。(ドラマ「ホワイトハウス」でも大統領が国賓を招いた晩餐会の席を抜け出しては労使交渉に顔を出す、なんてシーンがありました)
 土田先生からお話いただいた「核のお話」。アメリカだけが核保有国だったときに国際管理体制ができていれば今みたいなことはなかったのでしょうけれど、ボタンの掛け違いはニューメキシコの砂漠で原爆実験が行われた1945年7月に始まっていたのだと思います。 原爆の対日使用に反対したレオ・シラードや、チャーチルとルーズベルトに「核の国際管理」を提案したニールス・ボーアなんかほとんどスパイ扱いでしたものね。東西冷戦は小心者の独裁者スターリンが東欧の戦後処理を考えて動き始めていたせいで1944年には顕在化していましたから、日本に原爆を落とした本当の理由もアメリカの公式見解である「米兵の戦死を防ぐため」ではなく、対ソ戦略の一環だったのは確かだと思います。そこに人種差別的な香りも漂っているように思います。つまり、日本人になら原爆を落としてもいいだろう、という考え方です。大体、当時の日本はソ連を仲介にして降伏への道を模索していたわけですし、アメリカもその動きをつかんでいたはずですから、先の「公式見解」には無理があります。 ただし、7月中にポツダム宣言を受諾できなかった日本政府の責任は重いと思います。外交下手は今に始まったことではありませんね。 NPT(核拡散防止条約)はあるものの「持つ者と持たざる者の格差」がある以上、核の廃絶はアメリカの銃規制と同じで難しいでしょう。 しかし、それを明言したオバマ大統領の意気やよし。

All this will not be finished in the first one hundred days. Nor will it be finished in the first one thousand days; nor in the life of this Administration; nor even perhaps in our lifetime on this planet. But let us begin.
これらはこれからの100日でなしとげられることではないだろうし、これからの1000日、いやこの政権の間に、もしくはこの地球上でのわれわれの生きている間でさえなしとげられないかもしれない。しかし初めようではないか。(JFK Jan.20 1961)

堀口さん

第8回国内オフ会、皆様お疲れ様でした。横浜での開催というのも初めてで今回植田 さんが幹事役で会場捜しや懇親会の場所セッティング等ご苦労様でした。いつもの様 に前田さんと土田先生のお話があり、先ず前田さんからは今回は「ニューフロンティ ア」についてありました。一口にニューフロンティアと言ってもいろいろある事や当 時のアメリカの時代背景も知ることが出来ました。
次に土田先生からは「アメリカン 大学でのケネディ演説」についてのお話でした。この演説内容全部を目にしたのは今 回初めてでこんなに長いというのも知りませんでした。それでもこの中の一部分には とても気に入っているフレーズがあり、以前より知っておりました。「.....少なくて も多様性を認める様な世界を作る努力はできるはずだ、なぜなら我々は皆この小さな 星に生き皆同じ空気を吸い、皆子供たちの未来を大切に思っている。そして我ら皆死 にゆく者なのだから」と。これは'99年10月17日放送の関口宏の「知ってるつもり?」 と言う番組で「ケネディ家の光と闇」というタイトルでケネディを取り上げて、そのエンディングロールにこの言葉を流しておりました。それを見て当時この言葉に感動 したのを覚えてます。今回初めてその演説全文をじっくり読ませてもらいました。今回の勉強会の内容は、前田さんも土田先生も事件に関しては出なかったものの(コー ラの件ちょっと出ましたが)それぞれに自分にとって勉強になり感銘を受けました。 まだ1年先になりますが次回も楽しみにしております。

中出さん

「第8回国内オフ会」の皆様お疲れ様でした。昨年の大阪オフ会に続き、私ロックフォードの独断で決めた横浜開催となりました。大阪オフ会の2次会席上で「次は横浜で開催するから幹事よろしく!」と突然の指名に快く(?)快諾してくれた植田さん有難うございました。またご苦労さまでした。さて、横浜に程遠くない場所に住んでいながら、実に10数年振りの横浜入りでしたが、湘南新宿ラインが通ったお陰で、昔は2時間以上掛ったのが1時間20分で横浜です。昼食を済ませてから前田さんと堀口さんと一緒に藤棚地区センターへ到着です。会場には既に皆さん揃っており、いよいよ第8回国内オフ会の開始です。今回の講義は何と前田さんと土田先生揃って、暗殺事件から離れたお題目でありまして、チョット意外と感じたものの逆に新鮮で密度の濃い時間を過ごした感じでした。前田さんの「ニューフロンティア」に関する講義は、正直なところ初めてキチンとニューフロンティア政策を理解したように思います。「柱」となるお題目が実に理論的で、その実現に何を成すべきかが明確に分かりました。コロコロと変化する日本の政党の「マニフェスト」との違いを大いに感じました。次は土田先生の講義で、ケネディの演説の中でも私が特に好きなアメリカン大学卒業式での「平和の戦略」説でした。先生が用意して呉れた英文と訳文による解説は実に分かり易く…実はこの演説の全文を訳文で読んだのはこの時が初めてでしたが、この演説の意味と重要性がよく理解出来ました。冷戦時代に共産主義国(ソ連)との共存を真剣に考えただけでなく、実践しようと考えていたケネディ大統領の偉大さを改めて認識しました…そんなケネディの理念とは真逆を考えていたのがCIAや軍部や軍事産業だったのでしょうが、今更ながら残念至極です。本日は暗殺なしと思っていたのですが、オズワルドのコーラ瓶についてのお話は土田先生のサービス?だったのでしょう!帰ってから書籍と映画で少し確認してみましたが、落合信彦氏の「決定版2039年の真実」P114には「〜12時30分をちょっと回った頃、彼は2階の食堂にある自動販売機で、コーラを買って飲んでいた。〜」との記述がありました。また映画では、「O・ストーンの「JFK」ではオズワルドはコーラ瓶持っていませんが、バート・ランカスター主演の「ダラスの熱い日」(1973年)では持たせてました…。これは面白いので、もう少し調べてみようと思います。1次終了、一般会員でのエトセトラの発表は以前から考えていたことでしたが、実際的に考えるとやはり無理かな?と思っていたのですが、何時までも前田さんと土田先生ばかりに頼っているのも如何なモノか?との思いから、思い切って提案してみました。言いだしっぺなので当然私が最初になるのは想定していたので、第9回の前座発表はロックフォードが務めさせて頂きます。会場でも言いましたが、これは順番形式にはしないで、何か発表もしくは疑問がある事柄でもなんでも有りにして、自由に発言する場にすれば楽しいかなと思っています。大阪の和田さんなどは結構いろいろと話題が有るように思いますが…おっとこれは私の次の方の指名ではありませんよ(笑)2次会は場所を有名な中華街に移しての懇親会となりましたが、第8回を無事に終えて良かったと思いながら飲んでいたので、心地よい酔いが回って来まして…3次会のカラオケには寄らないで横浜21時11分の湘南新宿ラインに乗ったのですが、自宅に着いたのが深夜の2時半だったのは何故?前田さん、土田先生有難うございました。幹事の植田さんご苦労さまでした。和田さん貴重なスイーツ御馳走様でした。では皆さん新年会を企画しますので、年明けにまたお会いしましょう!

小澤さん

第8回国内オフ会に参加の皆様お疲れさまでした。初の横浜進出ということで、勉強会・懇親会の会場選定等を取り仕切っていただいた、うえぞう(植田)さん、ご苦労様でした。今回は、前田さんと土田先生の講演の2演目。今回も私には「一応知っているつもりだが、詳細はようわからん」というテーマで、自身のJFKの知識の浅さを補足する上で大変貴重な内容でした。前田さんの「ニューフロンティア政策」の解説は、具体的にJFKの政策の骨子を調べたこともなく、月着陸を国家目標にしたこと位しか頭になかった私にとって、わかり易い内容でした。アイゼンハワー政権が2期続き、戦後15年が経過した1960年のアメリカの状況において国内の人口増加、老齢化に対する政策課題をケネディは「ニューフロンティア」という言葉で各分野に方向性を示したことがよく解りました。私は、「ニューフロンティア」という言葉は軍人出身のアイゼンハワーから世代交代を促す意味で大統領選の「イメージ戦略」のキーワードとして使われたという感じを強く持っていたのですが、またひとつ理解が深まった感じです。しかし思うのは1期目途中でJFKが亡くなってしまったこと…もし大統領職2期を務めていたらアメリカはどうなっていたのだろう?前田さんの話を聞きながらそんな感慨にふけった私でした。続く土田先生の講演は、有名なアメリカン大学での演説の解説。過去のオフ会で「就任演説」「ベルリン演説」のテーマでの解説を拝聴している私は、この演説もよく引用される有名な一節しか知りませんでしたので、是非詳細な解説を拝聴したいものだと思っていたので本当に嬉しく思いました。前年、キューバ危機という核戦争一歩手前まで行った米ソ両国の、その後の指導者が軍部との軋轢を抱えていた事情を考慮した内容であったことがよく解りました。しかし思うのはケネディとフルシチョフがケネディの大統領の任期を終える1968年まで両国の指導者でいたなら世界はどうなっていただろう?そんな感慨にふけった私でした。今回もオフ会の勉強会は私のJFKの理解を深める大切な場であることを再認識しました。前田さん、土田先生ありがとうございました。そして次回はテーマを広げてロックフォード(中出)さんの講演もあるような予告もありましたので、ますます楽しみです。
その後の横浜中華街での懇親会、カラオケボックスも今まで同様、和気藹々とした雰囲気で楽しめました。森田さん、松平さん、青木さんとも再会できましたし、初参加の泉谷さん、常連メンバーの中出さん、中北さん、堀口さん、和田さん(差し入れごちそうさまでした)、報道官サリンジャー鈴木さん、会場幹事・植田さん、みなさんありがとうございました。

中北さん

今回は、暗殺事件からちょっと離れてまず、前田さんの「ニューフロンティア」。言葉としては何度も聞いたことはあるものの、要は何なのか、明確に理解できていませんでした。10年程前に、前田さんのサイト読破の挑戦の過程で読んでいるはずなのに…また忙しくなりそうです。
次は、土田先生です。冒頭に「健康保険」。うーん、難しい。日本でも社会保険と国民保険、組合管掌と全国健康保険協会管掌の社会保険に、最近問題となっているさまざまな国民健康保険。日本でもこんなにややこしいのにアメリカで…まあ、日本とアメリカでは当然異質の健康保険だとしても、過去のさまざまな経緯により出来てしまった多くの国保を仕分けするより、新しく作るほうが楽かもしれませんが。で、本題の「核」ですね。ここでは、米ソの冷戦時ではあっても、二人の偉大なリーダーが信頼関係を築き、未来への方向性を示そうとしていた様子が再認識できたように思います。「彼を失った地球は、小さくなったように思われる。」
初めての横浜の地でのオフ会。中華街での懇親会では大変元気な現役の学生も参加され、オジサンたちは圧倒されっぱなしでしたが、実に刺激的でした。皆様、またまた大変お世話になり、ありがとうございました。