危機への鼓動・アメリカ



政府の陰謀

1961年4月のピッグス湾事件の敗北はケネディにとって大きな転換点であった。彼は聖域と言われた中央情報局にメスを入れ、ダレス長官の更迭、と言った荒療治まで行った。そして軍部への不信感もまた増幅していったのであった。しかし彼の基本は当時としての平均的なアメリカ人の考え方でありキューバ共産政権との平和的な共存は考えられなかった。1961年10月ケネディは、「可能な限りの方法で、キューバの共産主義政権を転覆させる為の秘密作戦」の検討を指示した。これに先立つ4ヶ月前国防長官マクナマラは独自に統合参謀本部と共同である作戦計画の作成にとりかかった。”シンクラント0プラン”である。この作戦はキューバに何らかの変化、すなわち”キューバ国民が共産主義政権に対して蜂起した場合””カストロ政権内部に変化が起った場合””カストロ自身に異常が認められた場合”など、自然発生的な事態に、アメリカがどのように作戦的に対応するかを研究するものである。このような未知の状況、あらゆる事態に速やかに対応できる作戦研究を「コンテインジェンシー・プラン」と言う。そして、1961年11月、キューバ共産党政 権転覆計画が起草された。国家安全保障会議文書には次のように書かれている。
「大統領の意向を基に、合衆国政府はキューバ国内の共産政権を取り除き、アメリカと平和共存できるような政権を樹立する為にキューバ国民を援助する。時は切迫している。キューバ国民は、国内においては抵抗のシンボル、国外においては反共産活動への関心を必要としている。」
ここに国家が国家を秘密裏に転覆させる極秘作戦が展開する事になる。作戦名”マングース”
そしてこの作戦には東南アジアにおいて共産ゲリラ壊滅作戦に従事しその辣腕ぶりを評価されていたエドワード・ランズデール大佐が召喚され准将に昇格の上、作戦実行指揮官に指名されたのである。

マングース作戦

マングース作戦は1962年10月を目標に開始された、キューバ国民に対する宣伝活動から始められた。短波ラジオの謀略放送、宣伝ビラの配布の常套手段から開始された。さらに、キューバ国内でレジスタンス運動を組織する為、亡命キューバ人による工作隊が次々と送り込まれていった。彼らはキューバ国内で次々と破壊活動の準備をすすめ、1962年1月の時点で本格的な破壊活動を開始する、精油所・鉄道・製糖工場は言うに及ばず、映画館やデパートなど一般市民の集まる場所にまで及び数百人の民間犠牲者を出している。(蛇足になるが、最近のアメリカのテロに対する断固たる対応に対して、カストロがアメリカにそのようなきれいごとを言う資格はないと発言しているのは、この時代の事を言っているのである。)キューバ国防省の記録によると、1962年1月から8月までの八ヶ月間で6000件の破壊工作の報告がある。この破壊活動による悲惨な被害によって、多くのキューバ人はアメリカとの関係は完全に葬り去られたと感じていた。

カストロを殺せ

マングース作戦の最重要部分はカストロの暗殺である。この計画は、1975年政府の秘密工作に関する調査委員会、「外国要人に対する謀略活動調査委員会」いわゆるチャーチ委員会によて白日の下にさらされた。1962年8月10日ラスク国務長官の部屋でケネディ政権の閣僚・高官による秘密会議が開かれた、この席上、マクナマラ国防長官は”カストロを排除するのなら、殺す以外に方法はない”と発言したと伝えられる。
アメリカ合衆国政府が一主権国家の元首暗殺に関与していたのである。
チャーチ委員会の法律顧問であったフレデェリック・シュワルツ氏はマングース作戦について語っている。
「当初、CIAはマフィアを雇っていた。マフィアは毒薬をカストロに注射して殺害する計画であった。また、キューバ軍の上級将校を買収していた。この将校は吹き矢のようなもので猛毒を縫った針をカストロに放つつもりだったと言う、さらにはカストロの趣味であるダイビングに目をつけ爆薬をしかけたきれいな貝殻を仕掛けたり、カストロ愛用の葉巻に爆薬をしかけて、カストロの髭をこがし権威を失墜させるなどといった信じられないような計画が真面目に考えられていた。」
これらのマフィアの計画はすべて計画倒れに終わっているが、政府はあきらめる事なくCIAは配下の工作員も直接派遣していたといわれている。

0プランとマングース

国防省の0プランとマングース作戦とはその性格上別々のルートで独自に進められていた。国防省は四月から五月にかけてキューバの目前、カリブ海域でこれまでにない大規模な軍事演習を展開した。まず、四月九日から二四日にかけて、アメリカ四軍総勢一万人がプエルトリコのビエケス湾に上陸、侵攻するという事件があった。さらには、そのすぐ後の五月七日から十八日にかけて「クイックキック」となずけられた大規模な軍事演習が決行された。これらの一連のアメリカ軍の動きはキューバにとって露骨な威嚇以外のなにものでもなかった。
ランズデールのカストロ政権転覆計画の仕上げはこの軍事作戦0プランとの連動にあった。マングース作戦の心理作戦・挑発行為はアメリカ軍の直接的な介入を正当化する為の口実作りであり、裏と表でカストロ政権転覆計画は、着着とすすめられていたのであった。マングース作戦と0プランが、不気味な連動を見せてくるのであった。