ニーリー街の奇跡
テキサス劇場の幸運に、皆んな興奮状態でバスに乗り込み、次の目的地に向かったのです、場所はテキサス劇場のすぐ裏手。1963年初頭、当時オズワルド夫妻が下宿していたアパートで  West Neely Street に現存します。建物はかなり傷んではいるようですが、現在もまだ現役のアパートメントとして使用されているのです。ここで、1963年3月31日(マリーナ・オズワルドの証言)に、三枚の写真がマリーナによって撮影されたと言われています。世にいう Backyard Photo 日本では「戦闘への準備」などと呼ばれていますが、今回の旅においても是非行ってみたい場所のひとつでした。事前の打ち合わせでもオーククリフ地区の治安状況や、現在もまだアパートとして使用されていて住人が居るということで、建物の裏庭であるその場所に入り込むことは不可能であると言われていました。まあ、考えてみれば当然のことで、私としては、せめて建物の前にバスを止めて前景でも撮れれば十分と思っていたのでした。現場が見えてくると幸いにも隣家の建物が取り壊されていて、裏庭が横から見える状態になっていました。これなら、隣の空き地から裏庭が撮影できると思い、勇んでバスを降りたのでした。しばらくすると、二階のドアが開き中年の男性がビール片手に我々のほうを見ながらゆっくりと階段を降りてきました。瞬間、私は顔をこわばらせて「みか」さんの方を見ました、「みか」さんも顔を引きつらせて最大級の困惑の表情!自分の身になって思えば、空き地とは言え隣からワイワイガヤガヤ自分の家に向かってカメラを向けられれば、決していい気持ちはしないだろうし、ましてやここはアメリカ!日本以上にプライバシー意識が高いはず・・・・緊張の一瞬でした。「Hi You are Japanease? Come on in ! 」彼の口から出た言葉に耳を疑いました。「みか」さんは”すっとんきょう”な声で 「Realy ? 」 頭のてっぺんから声を出していました。考えてみれば全員がケネディの写真つきのティーシャツ姿、来訪目的は一目瞭然ですから、不審人物には見えなかった事が良かったのかも知れません。まさに「ニーリー街の奇跡」の瞬間でした。それからはもう大〜変、全員興奮の極に達したメンバー達は、我先に木戸の中になだれ込んだのでした。
現場はまさに寸分狂わぬほどに当時のまんま!よくぞこれだけ変わらずにと思えるくらいでした。 ジョンソンと名乗るかの住人(写真)握手を交わし近くで話すと酒臭かった、アルコールで陽気になるタイプの方で本当に良かったです、まさに天国と地獄の違いになる所だった訳ですから。最後に感謝のしるしとして、謝礼金を手渡したとき「感謝の気持ちです、これでバドでも買って下さい」と言ったら、満面の笑みをたたえて「Thank you ! Thank you ! 」よほど嬉しかったみたい。全員興奮状態でバスに戻ったのですが、予想外の事態の進展に、本来はこれだけしか撮影出来なかったはずの建物前景写真はどうも誰も撮ってこなかった様です。白黒写真の当時のものと、まさに寸分違わぬ建物でした。バスの中、「俺だったらおもちゃのライフルやウオーカーを備え付けてレンタルするのに」とか「いや、観光地にあるような顔だけ出して撮影する看板を作って金とればいいのに」などと賑やかなこと!ついさっきの困惑はどこに行ったのかしらん?あの時の緊張の顔写真を撮っておけばよかった!最後にディリー広場の裏手にある歴史広場やケネディ記念モニュメントに挨拶をして関連現場のツアーを終了しました。畑中さん、宮奥さん夫妻、それに駒田さんはここでお別れ、畑中さんと宮奥さんが話している、「・・・それでしたら私の車でどうぞ。」などと会話している。いいですか、つい5時間前にはまったく面識のなかったお二人なんですよ!又しても、ケネディ仲間万歳!
オズワルドになり切ってポーズ!右手の位置がチョット違った。足の長さと体型はこの際無視!画像にマウスを置いてください


興奮の極に達するメンバー
 テキサスを楽しむ
思えば、旅行前の「ラッキー」の連続が、この地に来ても続いていたことになります。テキサス劇場にしてもニーリー街の家にしても、ほんの数分訪問時間がずれていたら、何の興奮もないツアーになっていた事でしょう。心底、こんなについていて、帰りの飛行機が墜落するんじゃないかと思うくらいでした。さて、この日のしめくくりはフォトワースの町に行っての「ロデオ」見学。ダラスと言ってもいわゆる観光地ではなく商業都市ですので他に見るものと言っても何もなし。多少足を伸ばせば「NASA・ヒューストン基地」やサン・アントニオの「アラモ砦」などが有るのですが、ほとんど一日ツアーの行程です。手っ取り早くテキサスを満喫するにはと思ったのが「ロデオ」見学でした。会場はフォトワースの町の歴史保存地区とも言えるストックヤードにあります。フォトワースと言えばケネディが人生最後の「公式演説」をした町で、ダラスに向かう朝、文字通り最後の演説をしたのが宿泊施設になった「テキサスホテル前」です。この場所を見てみたいと思ったのですが、かの運ちゃん、ホテルの玄関車寄せにバスを止め「ここだよ!」ホテルに泊るわけではないので遠景を見たかったのに!もう、あきらめて「あんがとさん!」と言ってロデオ会場に向かいました。ロデオも我々の勉強不足かも知れませんが、ルールが解らないとあまり面白くありませんね「どうも、8秒間以上、牛の背中に乗っていればOK」のようですが「技術点」というか、どちらが美技なのか解らない。でも会場全体が歓声と拍手に包まれるので、つられて拍手しちゃいました。でも迫力だけは最高でしたネ。見るとメンバーの中にはコックリコックリ、熟睡している人も居る。早々に引き上げてホテルに戻りました。本来は、この日は遅くなるし疲れるだろうと思って「イカゲソパーティー」は予定していなかったのですが、「コックリ」グループも急に元気が出て又してもパーティーをやっちゃいました!ほんと、みんな好きネ・・・・
 事件発生、アメリカ人の信義を糾弾する!
23日朝、又しても一睡もしなかった私は(”えへん”と咳払い)早朝の町にカメラ片手に散歩に出かけました。外はこの地方独特のスコール、びしょぬれになりながら再びディリー広場へ。昨日の賑わいとは打って変わって静寂があたりを包んでいました。記念プレートの前に佇み再びケネディの魂と短い会話をしたのでした。ふと見ると昨日の花輪や花束はそのまま残っているのですが、土田先生の本が有りません。「まっいいか、かの天国の人がテレパシーを正しく受け取ってくれたかどうか確認の為に持ち去った!とは思いませんでしたが、だれか日本語の読める人が興味を引かれて持っていったか、読めずともケネディ関連の本と知って持ち去ったか・・・・」いずれにしても何らかの形でケネディを愛する人の手に渡ったものと思い、心は穏やかに現場を立去ったのでした。ホテルに戻り、他のメンバーが再び町を散策してアメリカならではの「実弾射撃体験」ツアーに行くのを見送って午前中ゆっくり睡眠をとらせて頂くことにしました。昼頃、一旦荷物を取りに来た和田さんの登場が今回の事件の始まりでした。
寝起きの目に飛び込んできたのは何と「例の本」、寝起きの為に意味が解らず「何で君が持ってるの?」和田さんの証言によると以下の通りとなります。
午前中の時間、皆の思いは同じでディリー広場に向かったそうです。その後、ヒューストン通りの一本東側のマーケット通り沿いにある「Conspiracy Museum 」(共謀博物館とでも訳しましょうか)を訪ねたとの事。(ここは少々値段は高めに設定されては居ますが、六階博物館などでは入手できない関連書籍の古書や掘り出し物の資料を入手できることで、その道の人には多少有名な店なのですが。著者注)皆が入店して見ると驚いたことに、例の土田先生の本が$18.50 の値札付きで置いてあるのを発見したのです。見つけた和田さんは冷静に「この本は昨日、日本から持って来て、我々がJFKに捧げた物だ。著者に証拠で送るから写真を取らせろ」と要求したのだそうです。(もし、私が一緒に居たら間違いなく後先考えずに、即逆上して”どなり”かかったことでしょう。)和田さんは瞬時に”誰かがここに持ってきて売っていった可能性”も有るのでは?と考えてくれました。和田さんの言葉を借りると、「相手の出方を考えると緊張の一瞬」だったそうです。店員は、やましい事でも有ったのでしょう、素直に値札をはがして返してくれたのだそうです。(アメリカ人の気質として誰か他人が持ち込んだものを買って販売していたのであれば、絶対に権利を主張してこのような行動は取らないはずです、ましてや「これは前からあった古本だ!」などと言ってくれればもっと面白かったのに!)
顛末を聞いて私の体は怒りに打ち震えたと言っても過言では有りません。真摯にケネディに捧げるべく持参し、万感の思いを込めて置いてきたものを、こともあろうに持ち帰ってそのまま商売の具とするとは!このような店ですから事件に多少なりとも関心のある方が店員を構成しているのでしょうから、前述の通り興味を持って熟読の為に持ち帰ったのであれば、それはそれで許せるのですが、即日、店頭に並べるとは何事!言語道断!罰当たり!(他に無いかな?)貴様ら、日ごろから神に祈り、加護を求め、アメリカの信義を誇りにしているのは偽善以外の何物でもないではないか!無信仰の権化みたいな日本の若者でも墓前に供えられているものを、持ち帰って販売するなどと言う暴挙はしないぞ!もし、私がその場に居たら、正しく英語表現できるかどうかは別問題として詰め寄り、怒鳴り散らしたことでしょう。ある意味では大きなトラブルにならず良かったのかも知れませんが。その夜、三連荘の「イカゲソパーティー」でこの話になった時、思わず涙が止まりませんでした。
帰国後28日付でこの店に上記のような趣旨の抗議の手紙を発送いたしました。多分返事も無いでしょうが、こうでもしなければ気が納まらないのです、もしも、間違って謝罪の手紙でも戻ってくれば、アメリカの信義健在なり!と思えるのですが。そのような「道」を踏める輩であれば初めからこんな事しないしネ・・・・
 さらばダラス
後味悪い話を聞いて眠気もすっ飛んでしまいました。皆は射撃場(写真)へ向かいましたので私一人。当初の予定では、かの「Conspiracy Museum 」に行って古書あさりでもしようかと思っていたのですが、”けったくそ悪いし”行ったら何を言い出すか解らないのでやめにして一般の商店街を散策、女房への土産でも買おうかと歩き出しました。目に止まったのは、いわゆる「骨董屋さん」まず目に入ったのはとんでもない量の古レコードの棚、私はあまり興味がありませんが、小澤さんや鈴木さんが一緒でしたら歓声を上げるだろうと思われる程、奥まったところには結構古書が並んでいる、ただ、一般の骨董屋なのでケネディ関連には特定していない、探すのも結構大変。あまり目ぼしいものが無いので店内を見ながら出ようとすると目に止まったのが「LIFE]や「TIME」の古本の山、年代別に整理はされているので、もしやと思い60年代のコーナーを漁ってみました。するとどうでしょう、日本では多分手に入らないであろう品がごそごそ出てくる、1963年事件直後発売された「追悼記念号」$160、1961年発売の「ケネディ就任特集号」$30と、有るは有るは!しっかりしゃがみこんで物色を始めました。「$160 か〜、ちょっときびしいな」少ない予算ですので、安いのを沢山買うか?特別なものを一冊買うか?悩みに悩みました「まっ古書収集で、将来は”なんでも鑑定団”出演を目指す訳でもなし」と思い、選んだのが写真の二冊。1964年10月2日号 $75 と1966年11月25日号 $45 。前者は、当時存在すら知られていなかった幻のフィルム「ザプルータフィルム」が世界で初めて紹介され「オズワルドが一人で出来たのか?明確な疑問点!」の表題と、コナリーが明らかに帽子を右手で持つ”Z230”のフレーム写真が巻頭を飾った事で有名なザプルタフィルム特集号、後者はウオーレン報告書を批判し「どのようにして委員会が証拠を作り上げたか?」 の表題本です。二冊合計$120の値段!早速値引き交渉、無理だと思っても、ままよ$70 からスタート。店員さん、しばし、考え込んでから・・・「OK 」 なんじゃ?古本屋の値段設定のあいまいさは日本もアメリカも変わらんじゃないか、もっと安く言えばよかった。おまけに、日本からのはるばるのお客にプレゼントと言って1961年8月4日号をつけてくれました(表紙は破れていましたが)おかげで、女房への土産予算は霧散の憂き目に、帰りの機内で、ドル札整理の意味もこめて買った大好きな「GODIVA」一箱だけに変身してしまいました。その後、出発前にメールで依頼されていた講演会に出席、「ケネディとダラス」という演題で小一時間ほど講演をこなして来て旅の予定は全て終了したのでした。
旅もついに最後の夜、又しても「イカゲソパーティー」の始まりでした、他のメンバーの土産話や買い物自慢、中でも圧巻は小澤さん!ダラス庶民のマーケットへ繰り出してお買い物、支払いの段になって「Travellers check OK?」とやったそうです、そしたらチェッカーの女が目をむいて「Trouble sex ? 」と答えたとか。チェッカーの女が若かったか年増だったかは聞きそびれましたが、「OKよ」ときたらどうしたんでしょうネ。全員腹を抱えて大笑い!私も今、これを書きながら思い出し笑いしてしまいました!24日早朝、帰国の途についた我々に「みか」さんお手製のおにぎり朝食、色々ありましたが本当にお世話になりました。今度来た時には「ゆきさん」「みかさん」のダブル添乗でお願いします!
 エピローグ
ダラスフォトワース空港でロックフォードさんとお別れ、何と!彼はここからデトロイト経由でボストンへ。ネット上で知り合ったボストンの友人のご招待でさらに7日間の一人旅。確か海外は前回のオフ会と今回で二度目のはず、実にいい度胸をしています。でも考えてみれば数十年前の私も二度目の海外は一人旅でしたが。とにかく無事を祈ってお別れしました。雪のセントポールを経由して全員無事成田到着、毎度のことですが、楽しみを待つ時間は長く、楽しみは一瞬!の気分です。最後に一本締めで三々五々別れていきました。口々に「来年早々東京オフ会をやって再会しましょう」の言葉を最後として。
こうして第二回ダラスオフ会は、成功裡に終了いたしました。旅の手配をした者としては、無事故でほっといたしました。よくこんな時、「いたりませんで」とか「力不足でご迷惑を」と言った枕詞をつけるのが普通なのでしょうが、今回の旅に限っては、参加者全員に胸を張って「良かったでしょう!」と言うことのできる旅であったと思います。次回のダラスオフ会も今回のように全員に満足していただけるようなオフ会にしたいと思っています。是非、その時には貴方もご参加ください。その前に明年早々にでも、今回の報告会と土田先生の全快祝いを兼ねて、阿南先生も交えた国内オフ会を企画いたしますので是非々ご参加ください。心よりお待ちいたしております。   (完)

  参加者の声
      今回参加された方々の感想文を、送られてきたテキストをそのまま転載いたします。(到着順)

和田圭三さん

楽しい旅行でした。ホテルで見たテレビ(CNNやNBCニュースなど)は特集番組をやっているし、メンバーはみんなJFKに思いをはせている人なのですから、普段JFKについて話し合える環境にない私にとっては夢のような5日間でした。道中の詳しいレポートは省略させていただくことにして、いくつか思ったことを。
1.ディーリー広場にて 思ったより傾斜がきつい。これは初めて現場に行かれた方も書かれていますが、考えてみれば、鉄道のガードがヒューストン通りと同じ高さな訳ですから、ガードをくぐるためにはかなり下がって行かなければならないのです。現場に行かないと解らない感覚でした。それに、テーグの立っていた場所とダルテックスビルとの関係も。現場で前田さんも強調されてましたが、教科書倉庫ビルの高い階からエルム通りを狙う弾道から、テーグの位置はあまりにも離れすぎている。角度的にはダルテックスビルの2階から、というのはかなり納得できました。
2.当日のオズワルドの移動経路 これに関しては、このオフ会ならではの企画。それもズバズバ決まるところが恐ろしい。閉鎖中のテキサス劇場の外側に立っているときにCBS(だったと思う)のTVクルーが出てきて、偶然ロビーに入れたのも凄かったですが、なんと言ってもオズワルド(?)がライフルを持って写真を写した裏庭に入れたことでしょう。あの時は皆さん興奮状態でしたね。
3.ダラスの熱い日 22日は快晴で長袖のT−シャツを着ていると汗ばむぐらいとても暑い日でした。翌日は外にいると震え上がるぐらい寒い日でしたからよけいにそう思ったのですが、40年前のあの日もこんな感じだったのでしょうね。もし、あの日寒かったら、雨が降っていたら、彼の車はオープンカーでは無かったかもしれない、そう思うと凄く残念です。
4.土田先生の本の事 これには驚きました。22日に現場で献本したあの本が、翌日JFKメモリアルの近所の「陰謀博物館」で18ドル少々の値札をつけて売られていたのです。ここには22日に独りで行って、マンチェスターの原書を買ったのですが、23日に6階博物館の売店で一緒になったメンバーの皆さんの依頼で、一緒に行くことになったのです。店に入ると真っ先にあの本が目に入り、目が点になりました。誰かがここに持ってきて売っていったのか? それともここの人間が持ち去って売ろうとしたのか? ともかく店の人間に、「この本は昨日、日本から持って来て、我々がJFKに捧げた物だ。著者に証拠で送るから写真を取らせろ」と言うと、いとも簡単に返してくれました。彼らもやましいところがあったのでしょうが、彼らがどう出るか緊張していたので、少々拍子抜け。ホテルに帰って本をお渡しし、事情をお話したときの前田さんのお怒りを見て、改めて怒りが込み上げてきました。
5.全体的な印象 私が出会ったダラスの人々はおおむね親切でした。もっとも上記の本屋のようにとんでもない奴もいましたが、ダラスの「負の遺産」であるJFK暗殺事件の追悼式に集まった我々にお礼を言ってくれる人。射撃訓練場でいろんな銃を出して記念写真を取らせてくれた店員さん。テキサス劇場で内部の写真を取らせてくれたオークリフ財団の人たち。バックヤードに招き入れてくれたあの下宿人。本が戻ってきたことも含めて、これもひとえに前田さんの人徳なんだろうな、と思っています。初参加の私を暖かく迎えてくださった前田さん、そして皆さん、本当にありがとうございました。

植田浩司さん

ダラス・フォートワース空港を出発したバスは、途中トレードセンターを通過しながらハイウエイをダウンタウンへと向かった。車の量が増えてはじめ、渋滞気味になったところで、ハイウエイを降りる。トリプルオーバーパスが見えてきた。翌日の式典に向け交通規制が始まっている。高まる緊張感。お構いなしにバスは走り続ける。オーバーパスを抜けるとその瞬間、目前にデイリープラザの光景が広がる。まさに感極まった瞬間だった。「とうとう来たんだ」というのが率直な感想であった。本や映像をもとに創造していたことと実際現場に行ってみるのでは違うというのが今回感じたことです。もう既に言い尽くされていることですが、デイリープラザは広々とした印象はあるものの、実際の事件はごく狭い場所で起こったのだということ。坂が想像以上に急であったことなど全てが新鮮に思えました。歴史が動いた現場に立ってみて、事件の場所を尋ねて見ながら40年前この事件にかかわった人たちは何を思い、行動していたのだろうという考えがふとよぎりました。狙撃した側、狙撃された側は何を思ってその行動を取っていたのだろうか。オズワルドは何を思ってあのような行動をとったのだろうか。そんなことを考えながら、多くの現場を見ることができました。「ダラスに行って現場を見たい」という思いは以前から強くあったのですが、なかなかきっかけがつかめず、結局今回のオフ会というオファーに飛び乗ってそれがようやくそれが実現しました。一人では実現できなかったであろう場所もまわることができ(オズワルドになれたのは最高のハプニング!)とても充実した旅行であったと思います。前田さんをはじめ、皆さんには成田で初めて会ったのに、ダラスについた時点でそんなことはすっかり忘れて、古くからの知り合いだったような錯覚に陥っていました(ご迷惑もお掛けしたかとは思います)。ネット上の印象と違い皆さん気さくな方が多くとても楽しかったです(特に前田さんの印象がぜんぜん違ってましたね)。夜の宴会も日本の旅館にいるみたいで楽しかったです。今回このメンバーでダラスにいけた事は本当に良かったと思っていますし、今後もこの出会いは大切にしていきたいと思っています。できればまた行きたいですね。

中北幸夫さん

テキサスのビーフジャーキーをほおばりながら、これを書いています。またまた行っちゃいましたねぇ〜!募集の連絡をもらい早々と参加表明したものの、出発前日まで何も準備していませんでした。さすがにあせった出発前日は、昼までで仕事を切り上げ、あわてて荷物を詰め、職場のみんなに後は任せて一足先に成田に到着。まだ、明日ダラスへ行くという実感はありません。実感したのは、翌日の出発ロビーで久々の再会をしたころからでしょうか。とにかくアメリカは遠い!!エコノミー症候群は免れたものの、もうちょっと時間短縮できないものでしょうかねぇ〜。とうとう来ました運命の日。映像や画像で何度も目にした40年前がよみがえります。4年前に訪れたときほどの興奮は無かったものの、ビデオ撮影に忙しかった前回とは違い、じっくりこの目でデイリープラザを見渡すことができました。でも、この場所に立つと前回同様に、ここの地形およびポイントとなる場所相互間の距離によって、事件がますますわからなくなってしまいます。デイリープラザを訪れた人は、みなそう思うんじゃないでしょうか?運命の時間が近づくにつれて、人が増えてきました。その中でも、統一したユニホームを着込んだ日本人集団ということで、めちゃめちゃ目立ちましたよね。いっぱい写真も撮られたし、取材攻勢も受けたし、計算どおり大成功ですね、前田さん。ただ、翌日の朝刊ではボツにされたのが残念ですが、ダラス・フォートワース地区で放映されたニュース画像が手に入ることを期待して、楽しみに待ちましょう。しかし、この後がすごかったですね。まずは、テキサス劇場。これで見納めになると覚悟して写真をパチリ。「何か写るかな?」と思い、ガラス窓にデジカメをあて内部へフラッシュを送りました。画像を確認すると、「あれっ!!明かりがついてる!!!」不思議に思い、続けて数枚写していると、中から人が出てきました。この後、まさか中へ入れてもらえるとは。次がまたすごい!!オズワルドの下宿に到着。有名なあの写真の場所。危険な場所なので、意識的に遠くからの写真撮影をしていると、ビデオをまわしながらロックフォードさんがどんどん近づいていきます。「大丈夫かな?」と思うと同時に、中からビール片手に大男が出てきました。「やっべぇーーーーー!!!」一瞬、体が凍りつきました。「最初に撃たれるのはロックフォードさんだとしても、何らかの危害が自分にも及ぶかも?」などと考えながら様子を見ていましたが、「あれっ?なんとなくフレンドリーな雰囲気に見えるのは気のせい?」と思いは変わり、最後はまたしても中に入れてもらえるとは。一生ものの貴重な写真を撮影し、大男にお礼を言って立ち去るまでほんの数分の間でしたが、これができただけでもダラスへきた価値があるというものです。これがあるからやめられませんね。こんな貴重な体験ができるのは、ここのオフ会だけです。ここのオフ会が無かったとして、いつか自分でダラスへ行くことができたとしても、デイリープラザをぶらぶらするくらいでしょう。今度はぜひダラス警察地下ですね。なんとなく可能になるような気がします。今回のオフ会では、テーグの現在の姿を目にし、ジェームズ・レヴィルにサインをもらい握手したことなども1つ1つ貴重な体験ですが、これらが脇役となってしまうほど、中身の濃いものでした。次回のオフ会も、ぜひとも参加させていただきたく思います。前田さんをはじめ、中出さん、小沢さん、鈴木さん、駒田さん、堀口さん、和田さん、植田さん、お世話になり、本当にありがとうございました。次回の国内オフ会でお会いできることを楽しみにしています。さて、ダラスの熱い日でも観るとしよう。

小澤正治さん

私にとって、第1回のダラスオフ会に引き続き2回目のダラス訪問でしたが、やはり、前回同様に興奮、感動の毎日でした。今回、は暗殺後40年の節目の年で、直前にテレビ朝日系のテレビ特番があったり、また土田先生の著作本が発刊される等のこともあって、旅が近づくにつれてこみ上げてくるワクワク感は、前回それ以上でした。そして、改めて思うのですが、前田さんをはじめ、このサイトの会員メンバーの皆さんと一緒に行けたのは最高でした。全員、訪問する目的がはっきりしているのですから、感動、驚きを皆で共有できることは本当にすばらしいことだと思います。今回のクライマックスは何といっても、11月22日の40年セレモニーに立ち会えたことでした。ある程度予想していたにせよ、エルム通りを交通規制するほどの人々が集まったこと・・・。また、前田さんの発案で、JFKクラブ・ジャパンのプリントTシャツを着たメンバーがデイリー広場に献花したことで(最初、これを聞いた時、チョット気恥ずかしいと思ったのですが、地元のメディアや集まった人達の反応を見れば、大正解でした)、我々の熱い想いが広場に集まった人達にもアピールできたこと・・・ビバリー・オリバー、エド・ホフマン、ジェームズ・テーグ、ジム・レーベル等の事件に立ち会った目撃者・関係者等を実際に見ることができたこと・・・ 6階博物館に再訪できたこと・・・ 40年前を彷彿させるようなテキサスの熱い日差しの下で体験できたのはすばらしかったです。そして、午後のバス視察でも、前回は外観のみしか見られなかったテキサス劇場の中を垣間見れたこと・・・、当初無理だと言われた、オズワルドのバックヤード写真の庭に住居人のOKが出て、入ることが出来たこと(あれはJFKクラブ・ジャパンのプリントTシャツの威力が効を奏したといえるのではないでしょうか。あれを見れば我々の来訪目的が説明なしに解ったはずですから)・・・当時の面影が残る状態で視察ポイントが見ることができたのは嬉しかったです。また今回は、地元のレストランや、ロデオ、またダラス市民でごった返すショッピング・センター等も時間的余裕を持って廻れたことも、テキサスの文化、生活に接することが出来て個人的には楽しめました。連日のイカゲソ・パーティー(?)で、若干の寝不足が続きましたが、体調を崩すことなく、有意義なダラスの4日間を過ごすことが出来ました。ダラスオフ会連続参加の方、東京オフ会参加の方、今回初参加の方、それぞれ皆さんとはそんなに会っているわけではないのに、何か10年来の友人といった感じがするのが、オフ会の不思議な魅力だと思います。この出会いを大切にして、今後もJFKクラブオフ会に参加できたらと思いますし、JFKおよび暗殺事件の真相を自分なりに探り、認識を深めて行きたいと思います。最後に、個人旅行扱いながら、すばらしい旅をすべて、取り仕切っていただいた前田さんに感謝いたします。

堀口春夫さん

今回初めてダラスOFF会に参加しましたが一言で言えば、何と言っても感動の連続で非常に有意義なOFF会だったと思います。一人旅の時はデイリープラザと6TH FLOOR MUSEUMしか見れず仕舞いだったけれど今回はバスに依る移動と前田さんの詳しい解説付きでパークランド病院、テキサス劇場、ティピット殺害現場、オズワルドの逃走経路等々、隈無く回り満足度100%でした。その上更に幸運にもテキサス劇場では閉鎖されていたにも関わらず内部に入れてもらえ、入り口のホール部分だけまでとはいえ感動ものだし、又オズワルドのバックヤード写真を撮影した下宿ではそこの住人がたまたま出てきて庭の立ち入りをOKしてくれ、オズワルドが立っていた情景そのままに残っているまさにその位置で皆代わる代わる奇跡的な記念写真を撮ることが出来これも又々感動ものでした。それと何と言っても今回のオフ会のハイライトはデイリープラザでの献花だろうと思います。没後40年という節目の年ということもあって特に大勢の人々で広場は埋まってましたが、そこへ一際目立つ白のユニフォームを身につけた一団が先頭に花輪を掲げてしずしずと記念ベースプレート前まで進み献花し土田先生の新刊本を添えて皆で黙祷をする。これが絵にならない訳が有りません。大勢の報道陣はそれを見逃さず早速各局テレビカメラマンのターゲットになり前田さんはインタビュー攻勢にあってました。メンバーの着ているケネディのユニフォームもインタビュワーから「ワンダフル」「グレート」と賞賛の言葉で前から後ろからと注文付けられ被写体になってました。ユニフォームは正解でした。これで前田さんの製作の苦労も報われましたね。
今回のOFF会でケネディを通して素晴らしい出会いを得られた事、また沢山の貴重な思い出が残せた事、本当に感動の今回のダラスOFF会でした。

鈴木克美さん

JFKクラブオフ会に参加したのが昨年の4月、それからこの日を待ちわびていた私はついにこの地に降り立ちました。ダラスです。その時の感動は今でも心にしっかりと焼きついています。
この日ばかりは、イヒ・ビン・アイン・ダラスですね。今回のオフ会は最初から最後までハラハラトキドキの連続でした。この報告書に書ききれない程です。シックスフロアー・デイリープラザを始め、縁の場所を多数見学しましたが、感想は皆さんと同じです。なによりケネディに対する共通の思いを抱いている皆さんとその日その時を一緒に出来たことが私にとっての喜びです。そして、今回の思い出として前田さんのケネディに対する思い、熱意を改めて感じました。出発前、クラブオリジナルTシャツ作製 これは思わく通り大成功でしたね  (*^_^*) そして、22日当日の献花時、土田先生著の本の件で、流した涙、忘れられません。私も、今回のオフ会参加でケネディに対する思いは出発前と帰国後とでは明らかに違っている自分がここにいる。皆さんも同様かと思います。ケネディも僕たちの思い(最近の世界の暴動、戦争に対する憤り、そして自由、平和)が通じているこを信じて止みません。
最後に今回一緒に共にできました堀口さん、和田さん、中出さん、小澤さん、中北さん、駒田さん、植田さん、途中で合流されました宮奥ご夫妻、畑中さん、そして前田さん大変お世話になりました。
次回の海外オフ会は、是非Go to the Berlin いやBostonでした o(^-^)o ですね。前田さん。

中出 忍さん

「第二回ダラス・オフ会」に参加出来て本当によかったです。前回のオフ会の時が海外旅行初めてでしたので、次は家族とこれも長年の夢である映画の都ハリウッドへ行こう。と決めていたのに気が付いたらまたダラスに行ってしまいました。今回はまた、ボストンの友人のご好意でオフ会後に単身ボストンへ行くという大胆かつ無謀な計画まで実行してしまい、生涯忘れる事のない思い出深い旅行となりましたが、直前に土田先生が不参加になったのは残念でした。ミネアポリスの入国審査官から「お前はダラスへ行くのか?」「イエス」と答えたら「ケネディの40周年のセレモニーか?」と聞くので「イエス」そしたら「俺も明日行くんだ。お前エキサイティングか?」なんて聞いてきたのでビックリ!そしてダラス到着。4年前と変わらぬ広さと晴れ渡った空の色に「また来たぞ〜!」と思わず叫びそうでした。今回のデイリープラザでの40周年セレモニーは予想していた以上の人出でしたが、我がJFKクラブが一番目立っていたのは間違いありません。前田さん執念のTシャツ作戦は大成功でしたね!そして皆さんが書いていますが、テキサス劇場の中に入れた事と、何と言ってもバックヤードでの記念撮影ですね〜!考えて見ると子供の頃からJFK暗殺事件の写真で最もよく目にした写真は、私の場合クリント・ヒルが大統領車へ飛び乗る瞬間の写真とオズワルドが撮ったといわれていたバックヤードの写真だったと思います。その現場で自分が記念撮影するなんて考えた事もなかったですね。まるで自分が歴史の中にタイムスリップしたような感じでした。もっとも此処に入れてくれた、ビール片手のおっさんを見てると「これはきっと夢だ!」なんて思いましたが。兎に角今回のオフ会は大成功だったと思います。夜皆で食べに行ったステーキ屋もフォートワースでのロデオもよかったし、連日のイカゲソパーティは忘れられない思い出となりました。またまた今回も我々駄々っ子を全部背負ってくれた前田さんに深く感謝します。あの「LIFE」はお宝ですよ〜ん!今回一緒に参加した小澤さん、中北さん、鈴木さん、駒田さん、堀口さん、和田さん、植田さん、イロイロとお世話になり有り難うございました。また現地での添乗員美佳さんアドバイスありがとうございました。ダラスからデトロイトへ行く前の「大丈夫ですよ!」の励ましは嬉しかったです。さあ〜皆さん今度は来年の「第三回国内オフ会」でお会いしましょう!*すでに帰国後の12月5日に小澤さんと鈴木さんと堀口さんとプチ忘年会で再会したロックフォードでした!