![]() |
|
思えば、旅行前の「ラッキー」の連続が、この地に来ても続いていたことになります。テキサス劇場にしてもニーリー街の家にしても、ほんの数分訪問時間がずれていたら、何の興奮もないツアーになっていた事でしょう。心底、こんなについていて、帰りの飛行機が墜落するんじゃないかと思うくらいでした。さて、この日のしめくくりはフォトワースの町に行っての「ロデオ」見学。ダラスと言ってもいわゆる観光地ではなく商業都市ですので他に見るものと言っても何もなし。多少足を伸ばせば「NASA・ヒューストン基地」やサン・アントニオの「アラモ砦」などが有るのですが、ほとんど一日ツアーの行程です。手っ取り早くテキサスを満喫するにはと思ったのが「ロデオ」見学でした。会場はフォトワースの町の歴史保存地区とも言えるストックヤードにあります。フォトワースと言えばケネディが人生最後の「公式演説」をした町で、ダラスに向かう朝、文字通り最後の演説をしたのが宿泊施設になった「テキサスホテル前」です。この場所を見てみたいと思ったのですが、かの運ちゃん、ホテルの玄関車寄せにバスを止め「ここだよ!」ホテルに泊るわけではないので遠景を見たかったのに!もう、あきらめて「あんがとさん!」と言ってロデオ会場に向かいました。ロデオも我々の勉強不足かも知れませんが、ルールが解らないとあまり面白くありませんね「どうも、8秒間以上、牛の背中に乗っていればOK」のようですが「技術点」というか、どちらが美技なのか解らない。でも会場全体が歓声と拍手に包まれるので、つられて拍手しちゃいました。でも迫力だけは最高でしたネ。見るとメンバーの中にはコックリコックリ、熟睡している人も居る。早々に引き上げてホテルに戻りました。本来は、この日は遅くなるし疲れるだろうと思って「イカゲソパーティー」は予定していなかったのですが、「コックリ」グループも急に元気が出て又してもパーティーをやっちゃいました!ほんと、みんな好きネ・・・・ | ![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() 寝起きの目に飛び込んできたのは何と「例の本」、寝起きの為に意味が解らず「何で君が持ってるの?」和田さんの証言によると以下の通りとなります。 午前中の時間、皆の思いは同じでディリー広場に向かったそうです。その後、ヒューストン通りの一本東側のマーケット通り沿いにある「Conspiracy Museum 」(共謀博物館とでも訳しましょうか)を訪ねたとの事。(ここは少々値段は高めに設定されては居ますが、六階博物館などでは入手できない関連書籍の古書や掘り出し物の資料を入手できることで、その道の人には多少有名な店なのですが。著者注)皆が入店して見ると驚いたことに、例の土田先生の本が$18.50 の値札付きで置いてあるのを発見したのです。見つけた和田さんは冷静に「この本は昨日、日本から持って来て、我々がJFKに捧げた物だ。著者に証拠で送るから写真を取らせろ」と要求したのだそうです。(もし、私が一緒に居たら間違いなく後先考えずに、即 ![]() 顛末を聞いて私の体は怒りに打ち震えたと言っても過言では有りません。真摯にケネディに捧げるべく持参し、万感の思いを込めて置いてきたものを、こともあろうに持ち帰ってそのまま商売の具とするとは!このような店ですから事件に多少なりとも関心のある方が店員を構成しているのでしょうから、前述の通り興味を持って熟読の為に持ち帰ったのであれば、それはそれで許せるのですが、即日、店頭に並べるとは何事!言語道断!罰当たり!(他に無いかな?)貴様ら、日ごろから神に祈り、加護を求め、アメリカの信義を誇りにしているのは偽善以外の何物でもないではないか!無信仰の権化みたいな日本の若者でも墓前に供えられているものを、持ち帰って販売するなどと言う暴挙はしないぞ!もし、私がその場に居たら、正しく英語表現できるかどうかは別問題として詰め寄り、怒鳴り散らしたことでしょう。ある意味では大きなトラブルにならず良かったのかも知れませんが。その夜、三連荘の「イカゲソパーティー」でこの話になった時、思わず涙が止まりませんでした。 帰国後28日付でこの店に上記のような趣旨の抗議の手紙を発送いたしました。多分返事も無いでしょうが、こうでもしなければ気が納まらないのです、もしも、間違って謝罪の手紙でも戻ってくれば、アメリカの信義健在なり!と思えるのですが。そのような「道」を踏める輩であれば初めからこんな事しないしネ・・・・ |
![]() |
|
後味悪い話を聞いて眠気もすっ飛んでしまいました。皆は射撃場(写真)へ向かいましたので私一人。当初の予定では、かの「Conspiracy
Museum 」に行って古書あさりでもしようかと思っていたのですが、”けったくそ悪いし”行ったら何を言い出すか解らないのでやめにして一般の商店街を散策、女房への土産でも買おうかと歩き出しました。目に止まったのは、いわゆる「骨董屋さん」まず目に入ったのはとんでもない量の古レコードの棚、私はあまり興味がありませんが、小澤さんや鈴木さんが一緒でしたら歓声を上げるだろうと思われる程、奥まったところには結構古書が並んでいる、ただ、一般の骨董屋なのでケネディ関連には特定していない、探すのも結構大変。あまり目ぼしいものが無いので店内を見ながら出ようとすると目に止まったのが「LIFE]や「TIME」の古本の山、年代別に整理はされているので、もしやと思い60年代のコーナーを漁ってみました。するとどうでしょう、日本では多分手に入らないであろう品がごそごそ出てくる、1963年事件直後発売された「追悼記念号」$160、1961年発売の「ケネディ就任特集号」$30と、有るは有るは!しっかりしゃがみこんで物色を始めました。「$160
か〜、ちょっときびしいな」少ない予算ですので、安いのを沢山買うか?特別なものを一冊買うか?悩みに悩みました「まっ古書収集で、将来は”なんでも鑑定団”出演を目指す訳でもなし」と思い、選んだのが写真の二冊。1964年10月2日号
$75 と1966年11月25日号 $45 。前者は、当時存在すら知られていなかった幻のフィルム「ザプルータフィルム」が世界で初めて紹介され「オズワルドが一人で出来たのか?明確な疑問点!」の表題と、コナリーが明らかに帽子を右手で持つ”Z230”のフレーム写真が巻頭を飾った事で有名なザプルタフィルム特集号、後者はウオーレン報告書を批判し「どのようにして委員会が証拠を作り上げたか?」
の表題本です。二冊合計$120の値段!早速値引き交渉、無理だと思っても、ままよ$70
からスタート。店員さん、しばし、考え込んでから・・・「OK 」 なんじゃ?古本屋の値段設定のあいまいさは日本もアメリカも変わらんじゃないか、もっと安く言えばよかった。おまけに、日本からのはるばるのお客にプレゼントと言って1961年8月4日号をつけてくれました(表紙は破れていましたが)おかげで、女房への土産予算は霧散の憂き目に、帰りの機内で、ドル札整理の意味もこめて買った大好きな「GODIVA」一箱だけに変身してしまいました。その後、出発前にメールで依頼されていた講演会に出席、「ケネディとダラス」という演題で小一時間ほど講演をこなして来て旅の予定は全て終了したのでした。 旅もついに最後の夜、又しても「イカゲソパーティー」の始まりでした、他のメンバーの土産話や買い物自慢、中でも圧巻は小澤さん!ダラス庶民のマーケットへ繰り出してお買い物、支払いの段になって「Travellers check OK?」とやったそうです、そしたらチェッカーの女が目をむいて「Trouble sex ? 」と答えたとか。チェッカーの女が若かったか年増だったかは聞きそびれましたが、「OKよ」ときたらどうしたんでしょうネ。全員腹を抱えて大笑い!私も今、これを書きながら思い出し笑いしてしまいました!24日早朝、帰国の途についた我々に「みか」さんお手製のおにぎり朝食、色々ありましたが本当にお世話になりました。今度来た時には「ゆきさん」「みかさん」のダブル添乗でお願いします! |
![]() |
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
ダラスフォトワース空港でロックフォードさんとお別れ、何と!彼はここからデトロイト経由でボストンへ。ネット上で知り合ったボストンの友人のご招待でさらに7日間の一人旅。確か海外は前回のオフ会と今回で二度目のはず、実にいい度胸をしています。でも考えてみれば数十年前の私も二度目の海外は一人旅でしたが。とにかく無事を祈ってお別れしました。雪のセントポールを経由して全員無事成田到着、毎度のことですが、楽しみを待つ時間は長く、楽しみは一瞬!の気分です。最後に一本締めで三々五々別れていきました。口々に「来年早々東京オフ会をやって再会しましょう」の言葉を最後として。![]() |
![]() |
![]() |
今回参加された方々の感想文を、送られてきたテキストをそのまま転載いたします。(到着順) 和田圭三さん ![]() 1.ディーリー広場にて 思ったより傾斜がきつい。これは初めて現場に行かれた方も書かれていますが、考えてみれば、鉄道のガードがヒューストン通りと同じ高さな訳ですから、ガードをくぐるためにはかなり下がって行かなければならないのです。現場に行かないと解らない感覚でした。それに、テーグの立っていた場所とダルテックスビルとの関係も。現場で前田さんも強調されてましたが、教科書倉庫ビルの高い階からエルム通りを狙う弾道から、テーグの位置はあまりにも離れすぎている。角度的にはダルテックスビルの2階から、というのはかなり納得できました。 2.当日のオズワルドの移動経路 これに関しては、このオフ会ならではの企画。それもズバズバ決まるところが恐ろしい。閉鎖中のテキサス劇場の外側に立っているときにCBS(だったと思う)のTVクルーが出てきて、偶然ロビーに入れたのも凄かったですが、なんと言ってもオズワルド(?)がライフルを持って写真を写した裏庭に入れたことでしょう。あの時は皆さん興奮状態でしたね。 3.ダラスの熱い日 22日は快晴で長袖のT−シャツを着ていると汗ばむぐらいとても暑い日でした。翌日は外にいると震え上がるぐらい寒い日でしたからよけいにそう思ったのですが、40年前のあの日もこんな感じだったのでしょうね。もし、あの日寒かったら、雨が降っていたら、彼の車はオープンカーでは無かったかもしれない、そう思うと凄く残念です。 4.土田先生の本の事 これには驚きました。22日に現場で献本したあの本が、翌日JFKメモリアルの近所の「陰謀博物館」で18ドル少々の値札をつけて売られていたのです。ここには22日に独りで行って、マンチェスターの原書を買ったのですが、23日に6階博物館の売店で一緒になったメンバーの皆さんの依頼で、一緒に行くことになったのです。店に入ると真っ先にあの本が目に入り、目が点になりました。誰かがここに持ってきて売っていったのか? それともここの人間が持ち去って売ろうとしたのか? ともかく店の人間に、「この本は昨日、日本から持って来て、我々がJFKに捧げた物だ。著者に証拠で送るから写真を取らせろ」と言うと、いとも簡単に返してくれました。彼らもやましいところがあったのでしょうが、彼らがどう出るか緊張していたので、少々拍子抜け。ホテルに帰って本をお渡しし、事情をお話したときの前田さんのお怒りを見て、改めて怒りが込み上げてきました。 5.全体的な印象 私が出会ったダラスの人々はおおむね親切でした。もっとも上記の本屋のようにとんでもない奴もいましたが、ダラスの「負の遺産」であるJFK暗殺事件の追悼式に集まった我々にお礼を言ってくれる人。射撃訓練場でいろんな銃を出して記念写真を取らせてくれた店員さん。テキサス劇場で内部の写真を取らせてくれたオークリフ財団の人たち。バックヤードに招き入れてくれたあの下宿人。本が戻ってきたことも含めて、これもひとえに前田さんの人徳なんだろうな、と思っています。初参加の私を暖かく迎えてくださった前田さん、そして皆さん、本当にありがとうございました。 |
植田浩司さん ![]() |
中北幸夫さん ![]() |
小澤正治さん ![]() |
堀口春夫さん ![]() 今回のOFF会でケネディを通して素晴らしい出会いを得られた事、また沢山の貴重な思い出が残せた事、本当に感動の今回のダラスOFF会でした。 |
鈴木克美さん この日ばかりは、イヒ・ビン・アイン・ダラスですね。今回のオフ会は最初から最後までハラハラトキドキの連続でした。この報告書に書ききれない程です。シックスフロアー・デイリープラザを始め、縁の場所を多数見学しましたが、感想は皆さんと同じです。なによりケネディに対する共通の思いを抱いている皆さんとその日その時を一緒に出来たことが私にとっての喜びです。そして、今回の思い出として前田さんのケネディに対する思い、熱意を改めて感じました。出発前、クラブオリジナルTシャツ作製 これは思わく通り大成功でしたね (*^_^*) そして、22日当日の献花時、土田先生著の本の件で、流した涙、忘れられません。私も、今回のオフ会参加でケネディに対する思いは出発前と帰国後とでは明らかに違っている自分がここにいる。皆さんも同様かと思います。ケネディも僕たちの思い(最近の世界の暴動、戦争に対する憤り、そして自由、平和)が通じているこを信じて止みません。 最後に今回一緒に共にできました堀口さん、和田さん、中出さん、小澤さん、中北さん、駒田さん、植田さん、途中で合流されました宮奥ご夫妻、畑中さん、そして前田さん大変お世話になりました。 次回の海外オフ会は、是非Go to the Berlin いやBostonでした o(^-^)o ですね。前田さん。 |
中出 忍さん ![]() |