1963年11月22日の悲劇は、ダラス市民や報道写真家のカメラによって実にさまざまな角度から記録されている。特に、当時アメリカでは、個人用の8ミリカメラが普及しており、大統領のパレードは格好の被写体であった。その中でデイリー広場の現場付近では、少なくとも4台の8ミリカメラが大統領のパレードを記録していた、これらはそれぞれ撮影者の名前がつけられ、ザプルータ・フィルム、マッチモア・フィルム、ニックス・フィルム、フューズ・フィルムと呼ばれる事になる。この中で、最も狙撃現場近くでその一部始終をカメラに収めていたのが、ザプルータ・フィルムである。 このフィルムは、まさに1コマ、1コマずつが解析され、事件の解決に多大な影響を及ぼすと共に、深い昏迷の状況をも生み出したのであった。ケネディー大統領暗殺事件の研究には絶対必要不可欠の、歴史的フィルムであり資料でもある。実際に多くの研究者達は、ウオーレン委員会の公式報告書の発行以後に一般に流布されたこのフィルムを見て、報告書の内容に純粋な疑問を感じて研究を始めた者が多い。皆さんも是非、純真な気持ちでこの歴史的な事件の瞬間を映像で見て頂きたいと思います。マッチモアーフィルム・ニックスフィルム等、多角的視野から事件を視覚的に捉える事ができます。ニックスフィルムは、ザプルータフィルムの丁度反対側から撮影されておりグラシノールの状況が写し出されています。マッチモアーフィルムは、ヒューストン通りへの進入からの映像ですが、犯行の瞬間の部分はなぜかカットされています。フユーガスフィルムは、瞬間の映像こそありませんが事件直後の群集の動きを的確にとらえています。ある意味では他のフィルム以上に事件全体を見るには重要な記録といえます。 ザプルータフィルムの謎 冒頭にも述べたように、このザプルータフィルムは、タイムライフ社がザプルータ氏より購入して版権を取得していた、その後ウオーレン委員会に提出され証拠物件885として、採用されている。しかし、事もあろうに、このフィルムにも手が加えられた形跡がある。フレームエディションのフィルムを見ると、驚愕すべき事がおこなわれているのに気がつく、フィルム全体は極めて良好に撮影されているのであるが、なんと、208コマ目から211コマ目の間の4コマがフィルムから切り取られているのである、207コマ目には明らかに手が加えられている事を証明するように、画面に切り取りの跡がハッキリと見られ、さらには、212コマ目には、横に黒い線が入って明らかに手が加えられている。このような、画面の”飛び”や”画面のノイズ”は他には見られていない。凶器解析をしっかり読んでいただいた方には、この画面の脱落が、いかに重要な意味を持つ事であるか、お判かりいただけるとおもいますが、この207コマ目から212コマ目の間に第一発目の銃弾が発射された可能性がもっとも高い瞬間なのである。この4コマの脱落によって画面から抹殺されたものは、ただ一つ、道路
標識の左部分である。デイビット・リフトンは、この4コマの間に道路標識の左部分になんらかの異常が写っていたのではないかと、推理する。たとえば、銃弾が当たった形跡とか・・・・・(道路標識は事件直後取り替えられている。)
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